景観について

2013年3月 7日 (木)

景観まちづくりシンポジウムin綾

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3月23日に綾町で行われるシンポジウムのチラシです。

内容の濃いシンポジウムになりそうです。興味のある方はぜひどうぞ。

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2010年7月20日 (火)

m君からのメール

ようやく梅雨が明けた。ことしの長雨と終盤の豪雨はすごかったとおもったら、さっそくうだるような暑さがやってきた。そんなときに、旧知のm君からメールが届いた。建築家として考えずにはいられない内容なので、ここに紹介しておきます。

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暑くなりましたですね。
(・・・・・省略)
できれば、将来的には、都市景観や社会における建築の意義を問い直すような事ができればと思います。
日本は、建築の社会的な役割が不足しているように思います。
建築の公共性というか。
建築を都市景観にいかすことができれば、もっと景観は美しくなるし、観光客も増えると思います。
歩いて楽しい街になると思います。
日本は、どうしてこんなにも色々な国のデザインをした住宅が乱立するのでしょうか。
外国の人から見て、きちんと日本の文化や歴史を感じることができるような景観づくりができないものかなあと思います。
社会全体として建築の持つ役割や効果をみなおす機会を作っていければと思います。

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たしかに、日本の都市景観はきれいとはいいがたい。醜悪、画一的、無個性といってもいいだろう。とくに、地方都市のロードサイドの景観はどこの都市でも同じようであり、区別がつかない。住宅街も和あり洋ありで混沌としていて、しかも本物の良質なデザインはすくなく、安普請あるいは安易なコピーのデザインばかりが目につくのは周知のごとく。

公共建築も似たりよったりであり、前例主義の官僚は突出を嫌い、無難な前例を踏襲しようとするし、談合と入札で決定した設計屋に良質なデザインや都市景観うんぬんなど、期待する以前の話であろう。楽することだけ考えて当然である。

日本は建築の社会的な役割が不足している」とあるが、建築家の役割が不足しているのだし、市民もそれを期待していないのだ。だから建築家をたいせつにしないし、建築家も市民も建築を物件としてしかみないからアネハ事件も起きる。貧すれば鈍す、にわとりが先か卵が先か、である。

建物は安くて機能的であり、かつ美しいのが当たり前である。そうやって昔から建物はつくられてきた。いまはそこから美しさがすっぽり抜けている。

まじめで誠実なメールをみて、たまには建築や都市について考えてみたりする。くじけそうな元気を奮い起こすこともできる。

m君ありがとう。がんばってね。あきらめたら終わりだもんね。

《メールの続きです。》

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「ヒラカワ」よりm君へ

日本の醜悪な都市景観を肯定するわけではありませんが、東京の上空にビルの谷間に
重なって伸びる首都高の姿を見て、外国人は未来都市を想像するのだそうです。外国
では景観を壊す、そんなことはけしてしないからでもありますが。

それにしても、市民の建築や都市景観への認識は低いですね。だから街が汚
いわけです。もっと建築家をたいせつにしないと。

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「m君」からRE.RE.

東京の場合は、すごく納得できます。
ごちゃごちゃした感じが魅力になるんだと思います。
アキハバラですとか、ゲームですとか、アニメなどと無関係ではないと思います。
知的なクリエイティブさというか、イマジネーションをかきたてる場といいますか。

ただ地方都市は、そうもいってられなくて、長期的な都市計画と景観づくりが
どうしても必要ではないかという気がします。
地方都市であればあるほど、必要だと思うのです。
逆に、地方でそれができれば、すごくインパクトがあると思います。
なぜなら、それをできている地域は、非常に少ないからです。

中国も今後、とても混沌としそうな気がします。
経済的には繁栄していくかもしれないですが、
魅力的な国になるかといえば、疑問です。
創造と破壊は、紙一重だなあと思ってしまいます。

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