都城市民会館を取り巻く状況が厳しくなってきた。
日本建築学会は、民間による会館の活用提案を模索しており、都城市との取り決めでその締切が1月31日となっている。市はそれまでに具体的な提案がなければ解体やむなしという強固な意志を一貫して示している。
先日、その締切が来たのだが、情報では実現可能な具体的な提案はまとまらなかったらしい。
都城市民会館は世界遺産の候補ともされているこの地のかけがえのない文化遺産であるにもかかわらず、昨年、南九州大学が20年間の借用契約を中途で破棄し、返還の申し出をして以来、都城市は12年前の解体の決議を原点とするという意味不明な論理で一気に解決しようとしているが、わたしはそれには絶対的に反対する立場だ。
12年前の決議は、新しい音楽ホールができ、築40年の市民会館の今後をどう考えるのかということが論点であった。
それから12年が過ぎた現在、市民会館はすでに築50年を過ぎ、登録こそされていないが、立派な文化財である。20世紀の建築文化遺産としての価値は、12年前よりはるかに高い次元で認められている。
12年前に大学に20年間無償で貸与するためアスベストを除去する予算を可決し、新たな利活用を決めた時点が戻るべき原点であろう。もっといえば、50数年前、市民のためのホールが欲しいという切実な願いを込めて建設を決めた時点を原点にすればいい。
日本建築学会では、今回の改修計画をまとめるにあたり、建設当時の構造計算をもとにした詳細な構造適検討をしており、それによると大規模な耐震改修も不要であるとのこと。
そもそも、専門的な音楽ホールは新しい文化ホールがあるのであるからそこを要求する必要もなく、市民が気軽に利用できる集会交流施設・社会教育施設に転用すれば、解体に要するとされる数億円の費用でも充分に改修利活用が可能である。そうすれば、本来の意味での「市民会館」になるだろう。
そもそも、昨年の市民4000人を対象にしたアンケートでは、解体派が83%という数字が喧伝されているが、実際の有効数は1150人であり3割にも満たない。アンケートの結果を報道する際は、「アンケートで市民4千人のうち1150人が解体と答えた」と言って欲しい。
実際は市民の大多数はこの問題に無関心であり、どうでもいいのである。市民の多くは、仕事と子育て、両親の介護に追われてそれどころではないのだ。
文化のことは長期的な視点に立ち、行政が責任をもって判断すればいい。そのために税金と行政がある。行政マンは市民を文化的にミスリードしないように、旅に出て見聞をひろめ、たまにはコンサートや美術鑑賞をするなど文化度を高めるためにこそ、その報酬が決められ、支払われている。
だいたい、アンケートの添付資料には保存改修に40数億円かかるとかコンクリートの劣化が激しいとかマイナスの要素がちりばめられているし(会館の建築的価値を示す資料も部分的にはある)、12年前の解体83%のアンケート結果と解体の決議の歴史とともに、市の基本的な考え方として、「解体すべきである」とはっきりうたっている。
こんな恣意的とも言えるアンケートにおいて、3割未満の人しか解体と回答しなかったことの方が驚きであると言えるのかもしれない。
劣化のことに関していうと、築50年のコンクリート造建築がある程度劣化しない方がおかしい。中性化は確実に浸透していく。鉄筋の暴露は一般的にはあって当然である。アンケート添付の資料に、劣化を示す証拠写真のひとつとして扇の要のコンクリート部分に苔が発生している写真が載せてあるが、これは劣化とはまったく関係ない次元であり、市のメンテナンスの放棄(昨年までは大学の管理かもしれないが、それ以前からこの部分は植物が生えていた)を示しているにすぎない。市民の貴重な資産を適切なメンテナンスなしで劣化させておいて、なんと思っているのか。
むしろ、わたしは会館のコンクリートは密実で良質な施工の部類であるとおもう。当時は生コン車がなく、現場でプラントを組んでコンクリートを製造・打設していたので、コンクリート自体は現在よりはるかに良質であるに違いない。タイルも貼ってないローコスト仕様であるので、ほとんどの建築で問題となっているタイル剥落の危険性もなく、部分的に補修すればまだ十分耐用可能である。
そんなこんなで、わたしは世界遺産候補を壊そうとする市の姿勢に大きな疑問を持っていますので、仲間とともに本日、市に公開質問状を提出し、NHKの取材を受けてきました。
以下に収録します。
昨年12月のシンポジウムで山名先生が示した世界遺産「メタボリズム建築群」のスケジュール案も併せて添付します。
最近のコメント