7月15日は博多山笠のクライマックス 追山が行われた。
九州を代表する祭のひとつであり、かねてより是非見てみたいと願っていた。
前日の夜に都城を出発し、15日午前2時ごろに博多駅からひとつめの地下鉄駅近くの駐車場に車を停め、徒歩で博多駅に向かう。歩きながら周囲をみると、予想より駐車場は空いていて、もっと駅近くまで来て留めてもよかったようである。
追山当日は午前4時半から博多駅周囲は交通規制がかかる。当日は駐車場もいっぱいなので博多駅周辺は避けた方がよいというネットで拾ったアドバイスに従った。
博多駅前には飾り山も設置してあり、周囲の飾り山と併せて早めに会場に来て、それらを見物しながら時間を待てばよいと思っていたのだが、ところが、博多駅では深夜の2時にすでにほとんど飾り山は解体が済んでいる状態。警備の人に聞いてみたところ、日付が変わる12時・零時から解体をはじめるという。ハヤ。
駅前から続く博多駅前の大通り・大博通りに出る。まだほとんど人はいない。時おり通行人が行き過ぎる程度。
地下鉄の祇園駅のあるところからが追山の走行ルートとなり、時間になると見物人でごったがえすらしい。大博通りは広いので、ビギナーの見物にはちょうどいいというネットのアドバイスである。追山は櫛田神社を出発し、延長5キロの行程でこの周囲を駆け抜ける。途中、細い道や曲がり角もいくつかあり、そうしたところは道が狭いため危険であるそうで、毎年、見物人と接触したりして怪我する人もいるという。
この周囲には飾り山もいくつかあるはずだが、たぶん、博多駅と同じく解体中であろう、飾り山見物はあきらめることにする。
祇園駅入り口の交差点には数人の見物客が待機していた。追山のルートは、この交差点から大博通りにちょっとだけ入って清道と書かれた赤い旗を廻ってUターンし、大博通りから一本北側の筋をめがけて行く。
清道旗の前には東長寺という大きなお寺の門があり、この門を開けて管主が山を見送るらしい。各曳山を担ぐ流れの衆もこのお寺に向かって挨拶をしていくそうだ。
この交差点のすぐ近くに「西流れ」の集会場が設けてあった。マンションの一階の駐車場らしきところにたくさんの人がいて時おり気勢を上げている。周囲の植え込みにかくれているのでよく見えなかったが、そろいのハッピを着た大勢の男たちがいるようだ。
その道沿いにはこの流れへの寄付を記した木製の木札と朱で水引らしき線を入れた白い紙がびっしりと貼られている。
午前3時ごろになるとぼちぼちと人が集まりだしてくる。
簡易のイスやシートを持ってきているのは地元の人たちのようだ。
4時ごろになるとタクシーやバスでさらにたくさんの人たちが集まりだし、周囲はぎっしりと見物人でいっぱいになる。
4時半、警察がロープで規制線を張り、いよいよ通行止めとなる。この時間になると夜明け前で周囲はやや明るくなってきた。見物人はびっしりで立錐の余地もないとはこのこと。
4時59分が追山の開始時刻である。一番最初の流れにだけ櫛田神社で奉納の唄が許されるので、その時間を1分加味しての開始時刻だという。
ここからは櫛田神社まですぐの距離であり、3分から5分というところだろう。まず、そろいの締め込みをした男衆がたくさん小走りでやってくる。ちびっ子も多い。引率する親だかおじいちゃんも目につく。追山が来る前に、まずは東長寺の門前でご挨拶をするならわしのようだ。小さな子どもの声で「これより、○○流れ、・・・・・・」と口上を述べるのが聞こえてきた。
ほどなく、掛け声とともに追山がやってきた。山を担いでいるのが数十人、その周囲を埋め尽くすように百人以上の男たちが取り巻いている。1トンもある山を担いで5キロの行程を走るので、たくさんの人が交代で担ぐことになる。その交代要員であろう。
清道旗をぐるりと回って行くので、この場所はよい見せ場である。テレビカメラも数台来ているようだ。
全部で7つの追山がゴールまでの時間を競うのであるが、1トンもの山を担ぐのであるからとても危険である。足がもつれてひとりが倒れたら山が転倒したくさんのけが人が出るだろう。そこで、担ぎ手は1メートルほどの縄をみな持っている。ふだんは締め込みのお尻側にはさんでいるので、それが追山衆のトレードマークのようでもあるが、その縄を担ぎ棒に巻いて担ぐそうである。そうして、転びそうになったら縄を持って棒にぶら下がる。こうすれば他の人たちの負担にはなるが、転んで山全体が大きなダメージを負うことはない。
担がれる山の中央部は道路にすれすれくらいのところまで丸太でフレームが組んである。おそらく、ところどころでは道にこの先端を擦りながら行くのだろう。これも山が転倒しないための知恵だろう。
わたしの前を駆け抜けて行った7つの山のうち、ひとつだけ山を担いでいたひとりの若い衆が転倒し、あやうく山の下敷きになりそうで危なかった。転倒すると他のたくさんの担ぎ手に足蹴にされてしまう。しかたがない。みな担いで走るのに必死であり、落後者にかまっているどころではない。
どうなるのか見ていたら、山は無事に旗を廻って行き、倒れた若い衆はうめき声を上げながらしばらくうずくまっていたが、やがて立ち上がって走り去って行った。お尻や足に赤いあざや擦り傷らしきものがいくつか見受けられたが、さいわい大けがにはいたらなかったようだった。
最初の山から5分おきに7つの山が迫力あるタイムレ―スを競って去った後、8番目に飾り山がやってくる。他の追山はすべて曳山といい、担いで走るために適度な大きさを保っているが、この山は飾り山であり、背が高く、ギンギラに飾られ、巨大である。追山のクライマックスかもしれない。
この山はタイムレースには参加しない。櫛田神社を出て、この東長寺前の清道旗を廻って、自分の街に帰って行くそうだ。
したがって、ところどころで立ち止まって山に仕掛けられた演出を見せながら、観客の喝さいを浴びている。
5時に始まった追山は、6時くらいに8番目の飾り山が去って行き、この場所での祭は終了した。見物人もぞろぞろと歩きだしていく。
ここから1キロほど先のゴール地点まで急いで行けば、迫力あるゴールシーンに間に合うのかもしれないが、なにせ人が多い、櫛田神社に参拝して帰ることにする。
他の人たちも同じような考えなのであろう、神社はたくさんの参拝者でにぎわっている。
他の飾り山はすべて祭終了とともに解体されるが、ここは観光用に飾り山が一年通して飾られてもいる。参拝の後、ことしの飾り山を裏表じっくりと見物してきた。
神社の広場には曳山が廻って行く参道を囲んで臨時の桟敷席が設えてある。この観覧席は人気があり、チケットを手に入れるのはとても難しいそうだ。
予約等はなく、発売日に数時間並んで手に入れるしかないという。
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