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2015年3月26日 (木)

日本語の科学が世界を変える

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著者:松尾義之、発行:筑摩書房・2015年1月、価格:1500円+税
日本語を科学するという意味ではなく、日本語で考え、科学することが独創的でユニークな研究成果をもたらすという意味のタイトル。
著者は科学ジャーナリストであり、ここ40年ほどの世界の科学界の動きをウオッチし解読してきた人である。
氏は本書の冒頭に益川博士のノーベル賞受賞講演のはじめのフレーズである「アイアムソーリー、アイキャンノットスピーク イングリッシュ」を引いている。
益川博士は日本語しか話せないけれども世界の最先端の研究をおこない、ノーベル賞を受賞したことの重要性をこの言葉から引いているのである。(益川教授は、もちろん英語の読み書きは堪能であるそうだが)
日本人が母国語である日本語でものを考えることは当然であるが、科学の世界ではそうでもないらしい。先端の研究を正確に論理的に解説することができる言語は、英語も含めて世界にはそう多くないという事実がある。
日本語はもちろんそれができる。だからわたしたち日本人は幸せだ。科学も法律も自国語で表現でき、思考することができる。
さらに、本書の伝えたいことは、じつは日本語による思考・研究が世界の科学界をリードする要因のひとつになっているのではないかという点である。
詳細は本書にゆずるが、ポイントはふたつであろうか。ひとつは日本語が漢字、かな、アルファベット、数字などさまざまな表現手法を取り込めること。漢字が表意文字であることである。漢字で表された単語からはある程度の内容や意味がくみとれる。多種の文字を組み合わせる表現手法を駆使することでおのずから脳は鍛えられるだろう。
しかし、このことは日本語のデメリットでもあったが、日本語ワープロの開発で問題は一気に解決された。
もうひとつは、日本が独特の文明圏にあるといことである。英語圏の人たちはとうぜんながら英語で思考し科学する。そしてとうぜん、それは宗教や文化的な背景からくる価値観に大きく影響されている。かたや日本には異質の文化・価値観があり、西洋文明圏だけでは発想しえない思考も得やすいだろう。画期的な研究や発明は異文化との衝突や交流のなかで生まれるのであれば当然のことかもしれない。
とくに、日本では中間を・中道・中庸をたっとぶ価値観がある。ところが一神教の世界はそうでもないそうで、二律背反の世界観であり中間に寛容ではないという。
湯川博士の研究などをこうした中間に真理を見出そうとする東洋的な価値観の延長線上にあると氏は考えている。
近年、ノーベル賞の受賞者に日本人(現国籍は別として)研究者が増えてきた。先の益川氏、IPSの山中氏、ダイオードの中村氏などなど。著者がいうには、日本の科学研究の質が高いことは世界の定評となっているとのこと。また、世界の科学は近年つまらなくなっているが、逆に日本からはおもしいろい研究がうまれているとも。
このことは英語的思考によるマンネリや沈滞、異文化のもつ新鮮さの表出かもしれない。
近年は建築の分野でも日本人の建築家が世界で高く評価されている。彼らはけして日本的な意匠で世界に打って出ているのではないが、西洋人にはない発想や価値観・美意識が意識せずとも文化的な背景としてあることは間違いない。それが高度な科学技術や教育に裏打ちされて世界に認められてきたのだろう。
本書の後半部では生物学の木村博士、スーパーな研究者西澤潤一博士、微生物の堀越博士、結晶学の蔡博士などのすぐれた研究者の紹介にあてられている。いずれも、ノーベル賞に匹敵あるいは超越する業績を残した研究者である。
そして、日本の研究風土として「泥臭さ」をいとわない姿勢があるという。これが成功の一因でもあると。

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