« カンボジア 竹と風の学校 | トップページ | 軍艦島 »

2011年5月17日 (火)

梅棹忠夫のことば/ウメサオタダオ展

5月2日はキヨシロー忌だった。6月は17日が松下センセの命日であり、7月は梅棹氏の命日月でもあり、わたしが仰いでいる人たちの命日がこの時期にまとまってある。

梅棹氏は「知的生産の技術」で著名な知の巨人である。昨年の7月3日に天寿をまっとうして亡くなられた。わたしは、氏に知的な面で多大な影響を受けており、知の分野での師と勝手に崇拝もしていた。

2011051754492

著者 小長谷由紀、河出書房新社 2011.3月刊

はじめて読む著者であるが、彼女のことはずいぶん前から知ってはいた。梅棹氏の著作を通じてである。彼女はモンゴルの研究者であり、「みんぱく」の教授である。みんぱくは一般の博物館とは違い、国立大学共有の学術研究機関でもある。一般の博物館には学芸員はいても教授はいないだろうが、みんぱくは学術研究機関であるので教授、准教授など大学と同様に研究者が多数常勤しているのである。

梅棹氏はモンゴル研究の大家でもある。終戦末期の一時期、モンゴルにしばらく滞在してかの地の民族学的調査を実施した。その研究の後継者というわけでもないが、みんぱくにいてやはりモンゴルを担当する小長谷さんは、梅棹氏の記録した膨大なデータを継承していることを氏の著作で複数回見たことがある。また、1998年にみんぱくで開催された「大モンゴル展」の担当者も当時助教授だった小長谷さんであり、たしか、展示されていた都城高専の発電風車のことに関して彼女と書簡を交わしたような記憶もある。

改めて梅棹氏の文章に触れ、大いにインスパイアされた。やはり梅棹氏の先見性は卓越しすぎているとおもう。平易な言葉で書かれているが、その内容は本質をずばりとついている。難しいことを難しい言葉で語る学者は普通であるが、難しいことを平易な言葉で語れる人こそ優秀な学者だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大阪・千里丘陵の万博跡地に「みんぱく」はある。そこでは、現在「ウメサオタダオ展」が開催されている。会期は6月14日までだ。

「みんぱく」とは、国立民族学博物館の愛称である。展示の面でも運営面でも画期的な博物館であり、日本で最も親しまれている博物館のひとつであるとおもう。(設計は黒川紀章)これを梅棹氏が立ち上げ、初代の館長としてながく在籍し、みんぱくの基礎を築いた。みんぱく=梅棹氏といってもいいが、梅棹=みんぱくではなく、氏の活動範囲、思考分野ははるかにそれを超越している。その強大かつ巨大な知の片りんを今回の展覧会は伝えてくれているのだろう。

まだ見ていないが、ことしイチオシの行ってみたい展覧会であり、ウメサオフリークであるわたしとしては、行かねばならない企画でもある。6月には大阪に用事をつくることにしよう。

Umesao2 Umesao23

若かりし(壮年?)氏がアップになっていて、斬新なポスターだ。顔つきと目に才気と「きかん気」がほとばしっている。

蛇足ながら

氏の著作集を通じて知ったのだが、終戦末期のこと、氏はモンゴル及び中国に学術調査員として派遣された。世間では学徒動員と称して、大学生の多くが戦地に送られていたころである。そんな時期に、なぜそんなアカデミックなことを日本政府が実施したかというと、という話である。

たぶん、戦後の日本を憂う人物が政府の中枢にいて、優秀な学生をすこしでも残しておきたいという目的で中国(あるいは他の地域も)への派遣隊が組織されたようだ。ちなみに、このときの中国派遣団長は今西錦司氏である。宮崎県串間市の幸島にも縁の深い人物なので承知の方もいるだろう。梅棹氏も今西スクールの一員として、人生の一時期を共有している。

日本人総玉砕が叫ばれていた当時、冷静な思想を持ち実践した人物がいたことを、評価したいとおもう。

|

« カンボジア 竹と風の学校 | トップページ | 軍艦島 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« カンボジア 竹と風の学校 | トップページ | 軍艦島 »