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2011年2月 5日 (土)

芸術闘争論

2011011150442

「芸術闘争論」著者:村上隆、2010年11月、幻冬舎刊、1800円+税

村上画伯の著作第二弾。前作の「起業論」がおもしろかったので、新作も借りてきて読んでみた。

「闘いもしないで、闘うぼくのことを嘲っていたい人は嘲っていればいい」とオビにある。村上さんは闘っているのだろう。誰と闘っているのだろうか、闘いもせずに美術界の欺瞞の中でぬくぬくとしている人だ。

世界で活躍する日本人アーティストは10人に満たないという。一方で、日本は多数の美術系の大学をもつ。なんと、毎年1万人もの卒業生を産んでいて、人口比率でいくと世界一だそうだ。ニーズもないのに多くの大学があり、卒業はしたけれど、というのは音楽の場合もそうだろうとおもうが、村上さんはこの日本の美術教育を否定する。自由という言葉にからめとられて、不自由な世界にはまりこんでいるのだという。その詳細は本書を読んでほしい。

もともと、美大に来る学生は落ちこぼれだという氏の指摘もおもしろい。予備校などでデッサンの修行を経て美大に行くという高いハードルを知っているので、氏の指摘は新鮮でもある。アート系のすぐれた能力をもつ人材は、マンガ、デザイン、イラスト、ファッション、オタク業界に行く。いわゆるクリエーターである。その才能のない二番手たちが、なんとなく美術学校へ行くのだという。ほんとうの才人は美大以前に自分の道を決定できているのだ。そこまでいかない中途半端な人たちが受験というハードルを乗り越えて美大へ到達する。そして中途半端な教育を受けてニーズのない社会へ放り出される。こうして、自由という言葉に洗脳された不自由な精神をもつ使い物にならない人たちが量産される。

現代美術のシーンで世界的に活躍し、東京芸大卒である村上さんの文書には説得力がある。いまさら闘う必要もないほど活躍しているようにも見えるが、おそらく、カイカイキキという工房をもち、多数のスタッフを雇って作品を生みだしている氏に対するやっかみもあるのだろう。

「芸術は闘争である」誰の言葉か忘れたが、なにかの本で読んだことがある。闘争のないところに改革も進歩もない。おおいに闘ってもらいたい。わたしも建築を志して闘おう。

「芸術闘争論」で検索をかけたら、「もしかして芸術逃走論ではないですか?」とyahooエンジンはこたえてくれた。なるほど、闘争には逃走も必要だろう。

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