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2011年2月20日 (日)

一級建築士定期講習

一級建築士の定期講習制度が制定され、義務付けられた。アネハ氏のおかげだろう。これは建築士事務所の管理建築士講習とは別であり、事務所に所属するすべての建築士がその資格に応じた講習を定期的(3年に1回)に受講しなければならないのである。一回こっきりの管理建築士講習とはその点が違う。

法施行後3年間だったかの猶予期間があり、来年の3月くらいまでに初回を受ければいいのだが、今後は駆け込み受験による混雑や、締め切り近くになって受講者がいなくなると、逆に講習会が宮崎県では実施されなくなるなどのリスクも考えられるので、余裕を見て今回受講してきた。

たぶん、ほとんどの人がすでに受講済みだとおもうのだが、どうなのだろう。わたしの身近なところの建築士はほとんどが受講済みのようであり、猶予期間をのんびり過ごしていた私の方が少数派だとおもうのだが。

それにしても、これからは3年間ごとに定期的にこの講習を受講する必要があるので、費用と時間的にはわずわらしい。講習や勉強自体はいいことなので歓迎するが、自主的に行くのと義務的に行くのでは気持ちの持ちようも学習効果も違ってくる。もともと、わたしは講習や講演にはよく行く方であり、それなりに本も読むし、最低限のスキルアップには努めてきていたとおもうのだが、全体に建築士のレベルが上がるのであればいいとおもうしかない。新たな利権と天下りを盛り込む官僚のしたたかな作戦は、さらなる資格と講習とそれを扱う組織を増殖させ、写真屋さんをもうけさせている。なぜか、受験はもちろん講習にも写真が必要であり、年に数回、写真屋さんに通っている気がする。

今回の講習は日建学園にした。この講習は有資格の登録団体が複数開講していて、受講料を比較したところ、いちばん安い料金だったことと、講習が毎月あって日程調整に便利だったからである。都城市にもサテライト教室的なものがあるのだが、残念なことにここでは講習はしていなくて、宮崎市の宮崎校で受講する。日建学園は建築士の多くが世話になっている建築系資格の有名な受験予備校であり、全国の主要都市に教室を展開している。

わたしが一級建築士の資格を取ったのは、かれこれ15年ほど前のことになるが、そのとき、宮崎県で合格した39人のなかで、日建と縁がなかったのは私ともうひとりだけだったことを、当時、日建の営業マンに聞いたことがある。そのもうひとりは公務員だったそうで、「公務員は通りやすいんですよ、辞めないからですね。」というようなことを言っていた。わかったようなわからない話だが、辞めないから社会に害を与える心配がないという意味なのだろうか。もうひとつ、「公務員はプライドがあるから日建には行かない」ようなことも言っていた。

それにしても、37/39だからスゴイ数字である。95%ということになる。日建学園は、建築士の資格においては、地方ではかくも絶大なる力を持っているのである。なぜかというと、他に類似の学校がないからである。建築士の資格を希望する人は、とりあえず日建に行く。都城市から宮崎市まで車で1時間以上かけて、仕事が終わってから駆けつけるのである。たぶん毎週1回かそれ以上、長い人はそれを数年間続ける。

わたしがなぜ日建に行かなかったかというと、その当時(今でも)貧乏であり、ケチだったからだ。年間数十万円(当時で30~50万?)の受講料を払う選択肢はわたしにはなかったのである。でも、さすがに一回目に製図で落ちた時は、ことしもダメだったら日建に行こうかな、とすこしは考えた。落ち目になると弱気になるものだ。

わたしは日建に行かずにたまたま合格できたが、日建の有用性は認める。日建でなくてもいいのだが、受験のためのスクールは有用である。とくに製図においては。なぜかというと、まわりの人たちの必死さ、優秀さが認識でき、こちらも必死にならざる得ないからだ。

わたしは二級建築士も受験したことがあるが、そのときは京都にいたこともあり、当時の同僚と京都のある建築専門学校で二級の製図講習を2回か3回受講した。受験の製図はそのためのテクニックとノウハウの勝負であり、建築家としての設計能力とはほとんど関係ない。短時間に、どれだけ効果的に設計と製図ができるかを問われる。講習の初日、その教室で受講するまわりの人たちのスピードと精巧さに驚愕した。真剣に取り組む姿勢をみてこちらも気を引き締め直した。これが重要だ。じっさいの受験用のノウハウ以前に、この闘う姿勢、気持ちが重要である。

しかし、日建に話をもどすが、全国で数千、数万の人たちが建築士をめざして日建に通っていることだろう。大枚をはたいて行っているのだから、みな真剣であろうし、講師陣も充実していて生徒のレベルも高いだろう。みな日建で必死でがんばって、解答のレベルをどんどん上げていって、結局ハードルを自分で高くしているような気がしないでもない。でも、日建に行かないとそこに到達できないのなら行くしかない。パラドックスである。

さて、一級建築士定期講習である。会場には37名の建築士がいた。意外に多い。昨年まではひとりかふたりという月もあったんですが、と担当者は言っていた。そのなかで女性はひとりだけであり、こちらは意外に少ない。あとはおじさん、おじいさん連中であり、わかい人は少ない。建築士は高齢化というか、団塊の世代が圧倒的に多いのだろう。わたしの建築士番号が26万台であるが、いまはとっくに30万を超えている。さいきんでは、一級建築士もかなり狭き門(というか人気がないのか)になっていて、全国で毎年2000から3000人程度の合格者であるが(とくにアネハ事件直後は少なかった)、わたしのころ(15年前)で5000人前後、もっと昔の高度経済成長期は1万人近くの合格者を毎年量産していたのである。

国内の住宅の着工数が、だいたい年間に100万戸程度(現在は切っている)であり、マンションの各部屋も戸数に含まれるから、実際の件数では半分もないくらいだろう。増改築や住宅以外のビルや店舗を入れても年間に建築士の関与する案件は100万件もないかもしれない。それに対して30万人を超える一級建築士がいる。一級は最上位の資格であり、一般の木造住居や小規模な物件は二級あるいは木造建築士でも扱える。たぶん、全体の建築数の7割は二級でも扱えるカテゴリーだろう。木造建築士は少ないが、二級は一級より数の上では多い(登録は70万人)が、わたしのように両方所持している人も多いから、実質はよくわからないが、50万人ほどだろうか。やはり建築士は必要以上に多いのだろう。そのことの是非はわからないが。

だから、一級建築士といっても、ふだんは木造住宅やRC、鉄骨造の小物件(二級の範囲)をおもに手がけている人も多いだろう。(私もそのクチであるし、それはそれでいいことかもしれない。)でも、あくまで一級建築士の講習なので、内容は最先端の超高層までを内包したレベルのものとなり、それなりに自負心は感じるが、ふだんの実務と講習内容のギャップも感じたりもする。

さて、講習はどうだったかというと、なんと、全てビデオモニターでのものだった。教室の前面に2台のTVモニターが置かれ、講師は画面からしゃべるのである。たぶん、全国の日建校でおなじ画面を見ているのだろう。もちろん、生放送ではないので、毎月繰り返して放送すればいい。料金が安かったわけが納得できた。聞くところによると、建築士の受験のための講義学習もこの方式だそうで、日建に縁のなかったわたしには驚きだったが、他の人はそうでもなかったようである。

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講習は9時から16時までびっちりと組まれ、法規の解説が3分の2を占める。アネハ事件以降の近年の大改正にはついていけてない部分も多く、有益な内容ではあった。ただ、法規の講義はつまらない。ものづくりの創造的なおもしろさがないから当然なのだが、講師もテキストどおりのことしかしゃべらない。その点、後半の設備、構造の方は建築の創造性ともかかわっている内容であり講師だったのでおもしろかった。とくに構造はテキストも講義内容も少ないページ数ながら充実していたし、講師の建築に対する意識・人柄にも好感がもてた。

講義後に終了考査がある。1時間で40の問題を解く。○×型のマークシート方式だ。いま勉強したばかりのテキストを見ながら、順を追っての出題なのでそんなに難易度は高くない。ただ、あまりに容易だと、文言の裏読みや微細な違いを問う引っかけ的な問題かもしれないと気になって、必要以上に設問の文章を追い、疲れた気がする。ほとんどの人が合格するそうなので、もっとストレートに判断すればよかったのかもしれない。

構造設計一級建築士及び設備設計一級建築士という資格も近年創設された。わたしも昨年設備一級を受講して考査に合格した。昨年末に登録を申請したので近いうちに資格証が届くだろうが、こちらも別に3年おきに定期講習を受講する必要があるとのこと。つまり、これからは3年ごとにふたつの建築士定期講習を受講することになる。しかも、一般の一級は建築士事務所に所属・登録された建築士だけが義務であり、休業中や転職した時は受講せず、また受講して復帰することも可能なのだが、設備一級の方はその条件がなく、返納するまで受講し続けることになるようだ。ウワオ。ちょっと考えてしまった。

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