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2010年9月10日 (金)

9・11の標的をつくった男

2010090746802 飯塚真紀子 著/2010講談社/1900円

9.11といえば小泉さんが郵政選挙で圧勝した日を思い浮かべる人もいるだろうが、2001年のこの日、アメリカの繁栄を象徴する建物であった世界貿易センタービルが飛行機の突入という未曾有のテロ攻撃を受け崩壊し、世界を震撼させた。

この秀麗なツインビルを設計したのが建築家ミノル・ヤマサキである。日本からの移民を両親にもつ日系二世であり、貿易センターはじめ、たくさんの秀作をアメリカはじめ世界の各地に残している。日本では滋賀県の信楽に神慈秀明会の神殿をつくった。

本書の副題は「天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯」となっている。天才かどうかは評価が分かれるところだろうが、差別という言葉は日系人であるというヤマサキの生い立ちを示している。アメリカは人種差別の国である。現在でも黒人や黄色人種への白人による差別は、露骨なものは影をひそめたのだろうが、やはり心の深い部分に抜きがたくしてあるだろう。しかし、アメリカは差別はあるにしても、実力さえあれば、それを公正に評価する国でもある。ヤマサキはアメリカに差別され、建築家としてその実力を認められた。

ヤマサキは1912年にシアトルで生まれた。日本人の移民が増え、その貧しさと異文化からくる排斥運動が強くなってきた時期のようだ。そして、そろそろ戦時色が強まってくる時期でもあり、日米は政治面で徐々に対立を深めていく。ただ、さいわいにして、ヤマサキは1941年の太平洋戦争開戦当時はニューヨークで建築事務所に勤務していたため、西海岸に住んでいた日系人のような収容所暮らしは体験せずにすんだ。それどころか、そのころ、彼は事務所で米軍基地の設計を担当していたそうだ。当然、FBIや軍からは尋問や調査を執拗に受け、軍からも基地の担当をはずすように事務所に圧力がかかったそうだが、事務所の代表がヤマサキの才能を高く評価していたため、竣工まで担当することができたという。アメリカとアメリカ人の懐の深さを感じさせる話である。

上記の本書のカバー写真に写っているスーツ姿の男性がヤマサキだ。その両側にあるのがワールドトレードセンタービルである。といっても、これは模型であるが、脚立に乗ったヤマサキが小男だったとはいえ、かなりの大きさの模型であることがわかる。ヤマサキの事務所は、模型事務所かと見まがうほど、模型を重視し、たくさんの模型をつくったことを本書で知った。事務所は倉庫のような巨大な空間を擁し、無数の模型が積み重なっていたそうだ。

わたしはこのビルを現地で見たことはないので、その批評をすることはできないが、あのツインビルのスカイラインが、ニューヨークを代表する景観であったことは理解している。ハドソン河の対岸から見るマンハッタンのビル群を先導し、すっくと立つその姿は秀麗だった。

1986年に亡くなった、この世界的建築家であるヤマサキの評伝は本書がはじめてであるという。アメリカにもないという。おそらく、日系人だからという差別の構造もあるのだろう。日本人も、相手が日系人だとなると、白人より一段と見下す傾向がある。もちろん、おなじ日系としてのシンパシーは感じるのだろうが、ありがたみに欠けるのである。白人崇拝の感はまだまだ消えない。

あれから9年、日本風に言うと10回忌ということにもなる。月日のたつのは早いものだ。グラウンドゼロと名付けられた跡地では、あたらしいビル計画がスタートしている。数年後には、またマンハッタンを代表する巨大な高層ビルが姿を現わすことだろう。そして、ツインタワーの残像は人々の記憶から徐々に消えていくのかもしれない。ヤマサキの評価はどうなるだろうか。

最後に、ヤマサキは4度の結婚歴をもつ艶福家でもあったことを付け加えておこう。モテモテだったそうだ。この点もあやかりたいものだ。

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