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2010年6月10日 (木)

建築確認申請手続きの運用改善?

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住宅なり車庫、ビル、マンション、店舗、学校、病院など建築物をつくる際には、特定行政庁(役所)あるいは民間指定機関の審査・確認が必要である。これを建築確認という。日本には建築基準法という法律があり、形状、機能、設備など建築物の最低の基準が微に細に示されている。これをクリアしない建築物は建設を認められない。そこで、この法律に違反していないことを役所又は指定機関が確認しなければいけない。その作業が建築確認である。

似て非なる言葉に許可制度というものがあり、建築許可というものも存在する。これは、もともと建ててはいけないところに建てる、あるいは建ててはいけないものを合法的につくるため特例を得る制度であり、許可の基準はさらに厳しくなる。

住宅や店舗など市民・社会生活のために建築をつくることは必要不可欠である。したがって、通常の建築行為は市民及び公共の存在のために必須の権利であり、許可制度にはなじまない。かといって、なんでも好きかってにつくればいいというものでもない。おのずからルールというものがあるし、安全性を担保し悪徳業者にだまされないような基準も必要となる。そこで、建築確認という制度があるのであるが、人にとって、建築するという行為は自然かつ必然のものであり、許可が必要なものではないという視点は重視しておきたい。

この6月から建築確認制度の運用が改善(?)されるという。そのための講習会が宮崎市で開催された。午前中は住宅建築、午後は一般建築物という区分けであり、ほとんど一日を費やしての講習に参加してきた。写真はそのテキスト2冊である。

正直いって、なにが改善なのかよくわからない。審査する側(役所等)の労力を省き、同時に申請する側(設計者)の労力も省けるのだろう。それが建築主側にとってはどう影響するのか、よくわからない。建築と国民にとって幸福につながるのかもわからない。

そもそも、発端は数年前のアネハ事件にさかのぼる。金と引き換えに職人のモラルを売り飛ばしたアネハ氏が、構造計算書を恣意に改ざんして、建築物に要求されるはずの強度を損ない、マンションの購入者や居住者に甚大な苦痛と損害を強いた事件である。もともと、アネハ氏が計算書の稚拙な改ざんを試みたところ、難なく審査をパスしてしまい、その後も発覚するまで改ざんの度合いをエスカレートさせていったもののようだ。その内容は、あきらかに鉄筋量が少ないなど、実務経験のある人が見たら、オカシイと直感できるものだったと聞く。

じっさいに、その図面を見た職人や会社は、オカシイと感じて断ったところもあるという。発覚の端緒は、その図面を見たある設計事務所の告発だったように記憶するが、アネハ物件の建築確認を担当した民間の審査機関が建設省(国土交通省)に報告し、大騒動となった。その正直ともいえる審査機関は廃業に追い込まれたが、やはり関与した別の大手民間審査機関はさらに業務を拡張しているのが対象的である。やはりアネハ物件の数件を審査担当した役所は、当然のように誰も謝罪しないし責任も取らなかった。

もちろん、非はアネハにある。酌量の余地はない。設計士のカザカミにもおけない人物である。しかし、金に困った人間が悪事を働くのは設計士とて例外ではないし、悪事の質と量とも医者や弁護士よりは設計士の方がまだましだとわたしは感じている。設計士も、本来はコツコツまじめに働く職人気質の人たちである。

それはさておき、それで行政はどうしたかというと、建築基準法及び関連法の大幅な見直しとなった。一定の基準を超える建築物は、構造計算を厳重に精査するという名目で「適判」という機関が審査することになり、大学の先生など構造研究者がその職務を担当し数十万円という莫大な審査費用と数カ月という期間を要するようになった。おかげで全国のビルやマンションなど大型の物件がのきなみ着工できない状態になり、国会でも問題になったことは記憶している人も多いだろう。

建築士に対する罰則も強化されたし、建築確認申請に対する運用の厳格化にもつながった。一時期はチェックリストや認定書など莫大な書類を添付させられ、申請する側も審査する側も労力だけ倍増しただけで、建てられる建築物の内容は同じというなんとも不毛な作業と結果に辟易したものである。経済までも停滞してこの状況は、さすがにある程度は緩和されたが、制度そのものは同じだった。

「適判」制度ができて、建築物の強度が上がったのだろうが、答えはNOである。もともと、数度の大地震を経て、日本の構造・耐震基準は非常に厳しく、激震を伴う地震に遭遇しても、新しい建物が倒壊する例は少ないことを阪神・淡路の震災が証明している。かの地震で倒壊した家屋のほとんどは、現在につながる耐震基準以前の古いビルや戦後すぐの住宅であり、それ以外は手抜き工事の物件と無理な計画の建物だった。アネハ事件の解決法は、構造学者による厳格な適合判定や役所的な書類羅列主義ではなく、審査員が現場を知り、稚拙な構造偽装を見抜く実務能力と現場体験、及び建築士のモラル向上で十分だったはずである。「オレタチには構造計算などわからないのだから審査できない、せいぜい図面と計算書や書類の整合性を見るくらいのことしかできないのだ。しかしそれさえできなかった」という審査員の開き直りと国交省の計算が「適判」創設につながった。でも、その必要があったとはおもえない。いたずらに責任逃れの言説と書類とが増大し、費用と期間が増加しただけのことだ。

もうひとつ、これまで設計者を単なる図面書きや工務店の下働きのように扱い、敬意を払ってこなかった社会も原因であるし、もちろん、それに甘んじてデザインに逃げ込んでうつつを抜かしてきた設計者も悪い。少なくとも、建築士会が医師会並みの政治力を持っていたら、違った結果になっていただろうが、その才覚と財力のない設計界は無能であると言われてもしょうがない。

十年ほど前、これまで役所が独占していた建築確認が、民間にも開放されることになった。表向きは行政改革であり、民間への委譲、活用である。でも、それは大義名分であり、実質は建築行政職員の天下り先の確保であったととわたしは理解しているし、民間の方が融通がきいて通りやすい、逆に案件によっては役所の方が通りやすいという話を設計士はかわしている。

定年後の公務員を再就職させる、疎ましい職員を追い払う。そのための受け入れ先としての民間機関である。しかし、これは官だけのことではなく、民間もグループ会社に出向などと、似たようなことをやっているので、批判するにはあたらない。みんな自分と、支配できる組織を居心地のいいようにしたいのだ。ちなみに、本日の講習で使用したテキストの発刊元も天下り先である。建築界に限ったことではないが、このような天下り先となっている特殊法人や機構は建築界だけでもゴマンとある。いずれも官僚の半分的を得て半分私欲のための理論で武装されていて、いいかげんだけれども批判されない仕事をしているが、これを適正化するためにはレンホウ議員をあと1000人くらい必要とする。そのくらい数が多すぎるとおもう。官僚が国民を見下し、政治家がそれに便乗した結果だろう。

アネハ事件のあおりで廃業した民間審査機関は、天下りが少なかったのであり、それでも業態を拡大した大手審査機関は天下りの受け入れに誠実だったのだが、それは官営の機関だったのだから当然だ。このことも民間もやっていることであり、人間の本質でもある。誰だって無理を聞いてくれる人や金をくれる人には恩義を感じるものである。

さて、すっかり話がそれてしまったが、こうして(?)建築確認の運用が改善(?)されることになった。そして、自分でもよくわかっていない、つまらない話をつまらなそうに話すテキスト棒読みの講師による講習があり、わたしは数時間、その話をつまらなく聞いて帰ってきた。

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