磯崎新の「都庁」戦後日本最大のコンペ/平松剛
著者:平松剛 文芸春秋 2008.6刊 ¥2190+税
「コンペはたったひとつの極端に突出したアイデアを捜しているのだ」とは本書にある磯崎氏の弁。1985年、もう20年以上も前に実施された日本最大の建築コンペである「都庁」は、残念ながらそのような基準で選ばれなかったようだ。
本書はすごいボリュームがある。都庁のコンペを詳細に追っているのであるが、タイトルのとおり、主題は磯崎の落選案である。ご承知のように、都庁は丹下健三氏の設計であり、当コンペは丹下事務所の勝利に終わった。丹下氏は磯崎氏にとって師匠にあたる人物でもある。ということで、本書ではコンペに参加した他の7案にはほとんど触れずに、磯崎氏の都庁と、丹下氏の都庁、このふたつを詳細に検証する。そのためには、ふたりの生い立ちにまでさかのぼる必要があり、このようなボリュ-ムになっているのだった。当時の両事務所のスタッフにまで周到なインタビューを試みてあり、磯崎、丹下というふたりの偉大な建築家及び事務所の評伝、解説書としても楽しめる。文体は堅苦しくなく、建築以外の一般読者でも理解できる内容に噛み砕いて記述してあるのもいい。
磯崎氏は建築家としては格段に著作が多く、数十冊の著作がある。わたしも数冊は読んだことがあるが、建築界のみならず、ピカイチの理論派であり、その高尚な理論には凡人のわたしには歯が立たずにいた。本書によって、はじめて磯崎理論の一端をかじったような気がする。その点でも著者の平松氏に感謝しなければいけない。
丹下氏はこのコンペに際し、事務所の他の仕事をすべてストップしたそうだ。「ぶっちぎりで勝とう!」これが事務所でのスタッフの合言葉であり、事実、それに近い勝ち方をした。こうして、新宿にそびえる二つのタワーが、バブルの塔ともいうが、実現している。超高層ビルという点でのみ比較するなら、このビルもそれなりに評価できるのだろうが、都庁としては?である。戦後最大のコンペというふれこみに対して、実現した建物は戦後を代表する建築思潮が革新性が見出せるのだろうか。
わたしは磯崎氏の超中層案に惹かれる。氏の案がストライクゾーンぎりぎりのくせ球だったということもあるが、審査員は丹下案を選んだ。コンペは審査員がすべてである。どんなに優れた提案であろうと、審査員に見る目がなければただの紙切れである。戦後最大のコンペなら、審査員もそれにふさわしい人選をする必要があった。
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