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2008年11月 8日 (土)

「都市の記憶を失う前に」建築保存まったなし!

1949411_img 後藤 治 著、白楊社新書、2008年4月刊、900円+税

図書館で借りたあと、本屋さんに注文したもの。ここまでする例は珍しい。

タイトルをみて、建築文化財の保存に関する本だろうとおもっていたのだが、その範疇を超え、建築や都市に対する行政のあり方、専門家との関係を問う内容であり、現代の都市・建築の諸問題をはばひろくカバ-する。専門家必読の良書である。

日本人は世界遺産や国宝などのお墨付きが大好きであり、ありがたがる。その指定にあずかった著名な建築物が有力な観光地になっているのだが、一方で、指定はされていないものの、将来の有力な候補であるはずの近現代の建築物には目もくれない状態がある。とくに、都市部では戦前戦後のすぐれた建築と景観が、効率や経済の名のもとに記憶から簡単に消されてしまっている。都市部ばかりではなく、都城市民会館のように、資力・文化力の劣る地方でさえ、貴重な文化観光資源になる可能性を秘めた建物でも一顧だにされない現実がある。

かたや、欧米では歴史的な建築物が一体として残り、そのすぐれた都市景観が有力な観光資源にもなっているし、基本的に建物は手を入れて使いつづけるものであり、むやみに壊すべきではないという思想が確立しているようだ。

その欧米と日本との違いは行政の違いでもある。行政の違いは市民の精神の違いとうことでもあろう。欧米では法律や行政に過大な期待をしていない。かといって、建築物の安全性や景観はおろそかにできないことは日本以上であるから、どこが違うかというと、専門家の役割である。専門家は尊重され、その高い能力に基づく専門性を期待され発揮する。しかし、専門家に過失があると判断されれば責任を厳しく追求される。そのため、設計を信頼できる専門家に依頼する一方で、そのチェックを別の専門家に依頼することもあるという。仕事に厳しいのである。保険制度も充実してて、被害にあった建築主・入居者はただちに保険で補償される。そして、その責任は専門家に追認され、過失があると判断されれば莫大な費用を請求される。このような制度のもとでは、アネハのような事件は起こりにくい。

一方、日本ではアネハ事件を受け、ますます行政が監督権限を強めることになった。ここには行政を責めたてる市民の存在がある。これでは、専門家はその複雑かつきびしい法令制度のなかで、本来の高い専門性を活かした独創性のある有用な活動より、行政手続きや煩雑な法令をクリアするだけの「一定の能力のある専門家なら、だれがやってもいっしょ」的なル-ティン仕事になってしまっているという。 

実感である。

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