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2008年10月20日 (月)

10月29日は都城市民会館存続の日

先日、都城にてオペラを愛好し上演する市民団体の感謝会があった。12年ほど前に上演されたオペラ「魔法の笛」がその団体のスタ-トであり、以来、2,3年間に1回づつの割合で、「フィガロの結婚」、「魔法の笛」の再演、そして先回「カルメン」を公演してきた。本格的なオペラではなく、ミュ-ジカル的なミニ公演や歌だけのコンサ-ト-トまで含めると、かなりの数の公演をこなしている。

どんな団体かというと、その規模はとても小さく10人にも足りない。よくこんな人数で数々の公演をこなしてきたものだとびっくりするくらいだ。集まっている人たちも、純粋に音楽が好きでやっているごく普通の人たちばかりで、公演のたびに、その人たちが衣装係や渉外、会計など雑務一切を分担してやってきた。もちろん、公演にはたくさんの専門家もかかわる必要があり、演出や照明、大規模な装置などはプロにお願いし、わたしは小道具の製作や、公演のスタッフとして裏方の仕事をお手伝いしてきた。

舞台に関することはわたしの本業とはまったく関係がないことなので、それらはすべてボランティアである。10年もの長いあいだ、音楽とはまったく無縁のわたしがそんな交流ができたかというと、それは楽しかったからだろう。

はじめての舞台は「魔法の笛」だった。なにせはじめてのことだし、演出家の指示や要求にあわせて、いろいろ教えてもらいながら、無我夢中でスタッフあるいは小道具係りとしててんてこまいしたが、最後のカ-テンコ-ルの感激は今でも覚えている。2回目のオペラは「フィガロの結婚」で、こちらはさらに低予算ということで、大道具まで手作りすることになり、木の枠にベニヤ板を打ちつけセットを作り、床もベニヤ板を市松に塗り分けるなど、団員総出で釘を打ったりペンキを塗った。書割や大道具はベニヤ板に原図を拡大コピ-したものを貼り付け、マジックで修正して糸鋸で切り抜いた。わたしの事務所で本に載っている図像を数メ-トルの大きさに延々と引き伸ばし、それを市民会館の会議室に大量に持ちこみ、全員でベニヤ板に貼った。それらは、A3のコピ-用紙で数百枚に及び、拡大途上のものまで数えると数千枚になるだろう。

それらは全て演出家の指示であり、演出家は低予算の演劇でも高度な舞台に仕立てるプロだった。そんな経験を豊富に持ち、自分でも数種の工具を自在にあやつる、まさしくプロの仕事だった。演出家は完璧を求めるので、公演の最終の稽古でも変更は厭わない。よくなると思えはためらわずに変更を指示するので、公演の数日前ともなると、バタバタ振りまわされ、さすがにヘトヘトになったが、よいものを追求する姿勢はおおいに学ばせてもらった。演出家が妥協した時点でその部分の質は決定する。ただし、妥協しないと何も決まらないので、与えられた制約のなかで、いかに最上の地点で妥協するかを演出家は決定するのである。そして、それらを積み上げて総合的な質を高めていく。これは建築の場合の建築家の役割でもある。

それ以降は、そんなに無理をする公演もなくなり、ちょいとした公演の裏方だったり、小物製作程度であった。今回の「カルメン」は久しぶりの大仕事であったが、小道具のうち複雑なものは地元の工業高校の協力が得られたので、わたしが作成したものは一部であり、裏方スタッフも充実していたので、はじめてゲネプロの舞台をゆっくり客席から見ることができた。公演は大成功し、わたしも感激を味わったが、はじめの「魔法の笛」の感動には遠く及ばない。やはり、疲労困憊度と感激度は比例するのである。真剣にかかわった人だけが、最上の感動を得られるのはとうぜんだろう。

さて、そんなすばらしい団体が、これまでの活動にいったん区切りをつけるというのが先日の感謝会の主旨だった。もともと、わたしたちのような協力者をたいへん丁寧に遇する人たちであり、これまでも、公演の後は心のこもった宴の場を用意してくれていたが、今回は、ひときわ心のこもった会だった。ごちそうをいただいたあと、みんなでピアノの伴奏に合わせて、陽水の「少年時代」などを歌った。わたしは生来の音楽オンチであり、中学校のときは音楽の歌のテストは「歌えません」といって拒否していたくらいの歌ぎらいであるが、演歌や歌謡曲はよく口ずさむので、学生時代のことは、音楽教育とわたしの性格の両方が悪かったのであり、本来、音楽は誰からも愛されるものだ。わたしの隣には、ながくこの団体の音楽監督をつとめてきた青木先生がいて、はじめて先生といっしょにハモったような錯覚をした。そして、歌はいいなと心底感じたが、酔っぱらっていたので、どこまで本気だったのか心もとない。

そういえば、青木先生やオペラの会員の人たちからは、数年前、焼肉パ-ティに招待を受け、たまたまその日がわたしの誕生日だったので「♪ハッピ-バ-スディ・・・」とすてきな歌声を奏でてもらったことがある。ふつうは、悪いことはいつまでも覚えていて、良いことをしてもらっても、すぐ忘れてしまうのが人間の本来だろうが、この人たちのことは、悪い心象がまったく思い当たらないので、よっぽどすてきな人たちばかりだったのだろうが、正直に言うと、魅力的な女性が多かったこともその一因である。

オペラという高尚な芸術をちょいとだけ横から見ていたわたしだが、オペラというのは演劇系のジャンルのなかでは、公演実現の難易度がとても高いものだとおもう。芝居と歌だけでもたへいへんなのにオ-ケストラも必要だし、(地方の)観客を満足させるためには豪華さも必要だし、地元のにわか合唱団も組織したりする必要がある。低レベルのものでは、自分たちの欲求も観客の欲求も満たせず、かんじんのオペラ普及の阻害にもなる。つまり、かなりの予算を必要とするので、補助金や後援も必要だし、そのためにはきちんとした会計処理も後始末もしなくてはならない。

それらのすべてを取りしきりながら、じっさいに自分達も舞台に立ち、芸術表現と裏方の両方を10年間もこなしてきたこの人たちは、脅威であり奇跡でもある。しかし、そのおかげで延べにして1万人にもなろうとする都城の人たちが生のオペラ公演を(しかもレベルの高い)目にすることができたのであり、そのほとんどが感動という体験を得たはずだ。このことは、とくに地方都市にあって重大な意味があるようにおもう。将来、もしかしたらオペラをやりたいという人たちがこの観客のなかから、あるいは都城からうまれるかもしれない。そして、その人はオペラ公演実現に超えなければならないハ-ドルの煩雑さや大きさにぶつかり、高尚な芸術にかかわる人物がけして高尚な人格を持たないという当たり前のことや、社会にあるさまざまな理不尽を知るだろう。しかし、それをたった10人でやってのけた人たちが都城にいたことを知り、直接的には勇気をもらい、それにかかわった観客や関係者から多くの知恵をもらうだろう。

すっかりタイトルの市民会館からは違う話になってしまったが、10月29日は、昨年、南九州大学から市に20年間無償貸与の申し入れがあった日であり、わたしたち存続を願う人たちが、その晴天の霹靂に遭遇し歓喜した日である。はじめにオペラのことばかり書いてしまったが、そのスタ-トである「魔法の笛」は、都城市民会館30周年を記念しての市の事業であり、閉館の年(2007年)は40周年にもかかわらず、記念イベントはなにもなかった。

先日、会館の存続に尽力したYさんが遊びにきて、もうすぐあれから1年だという話をした。月日のたつのは早いものだ。閑にかまけているうちに、1年にならんとしている。そういえば、会館の存続運動のなかで、たくさんの人たちに協力やご厚情をいただいた。シンポジウムや展覧会には、遠方からたくさんの人たちが来てくれた。それらに対する感謝の気持ちは忘れないようにしなくてはいけないし、いつか恩返しもしたいとおもう。

1年ぶりに存続運動の関係者が集い、酒でも酌み交わしながら近況や今後を語り合う機会がもてたらいいとおもうが、どうすればいいののか思案にくれている。わたしのやっていた存続運動は、きちんとした形のある運動体としてのものでもなく、好き勝手にやっていたようなものだったし、当初の「守る会」は途中で分解し、それを受け継いだかたちの「考える会」も現在はほとんど活動を停止している。もともと、会館を愛し、存続を希望する一点だけで集まっていた人たちが、1年後、その一点だけで再度集まれたらいい。もちろん、過去の運動に立ち会わずとも、会館に関心と愛情がある人は歓迎する。存続の目的や方法論では小異があっでも、組織党派を抜きにして、純粋に市民会館フリ-クだけの年に1度の集りが継続できたらいい。そして、みんなで歌でも合唱すればなおのこといい。

10月29日を、わたしは「個人的な祝日」とすることにしました。この日は、一般の祝日とおなじ扱いとします(子どもや奥さんは学校と仕事に行くでしょうが)ので、酒でも飲みながら語ろうかという人は誘ってください。

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