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2008年8月 6日 (水)

日本に古代はあったのか

Scan10004   角川選書426 2008年7月刊 本体1600円

著者は井上章一氏。氏はもともと建築界の人物だったが、いつのまにか風俗研究へ行ってしまい、現在は京都にある国際日本文化研究センタ-でパンツやラブホテルなどの研究にいそしんでいる。(というとヘンな人みたいなので補足しておくと、いずれも建築史や文化史にからんだ内容だ)この人の著作はおもしろいので、目にとまったものは読むようにしている。「千夜千冊」の松岡正剛氏も「この人の本はかならず読むようにしている。だれも書かないことを書くからである」と言っていて、そのユニ-クな視点は高い評価を受けている。

今回は古代・中世・近世(近代)という時代区分が論点であり、風俗はナシ。日本の中世は鎌倉からはじまる。わたしたちは学校でそう教わる。現在では院政の開始、あるいは平家の権勢が確立したころから学会では中世としているらしいので、100年ほどさかのぼっているが、井上氏の主張は、日本史に古代はなく中世からはじまる、というものであるからショックは大きい。さすが、こんなことを言い出す学者は井上氏だけだろう。

「なにをバカな」と荒唐無稽な論として無視されるのは承知のうえとのこと。権威があって風通しの悪い学会は、このような場合は反論せずに無視する。相手がその世界では名もないシロウトの場合はなおさらである。反論すると学術論争になることがあり、へたをすると足元をすくわれることがあるので、徹底的に無視することが学会の秩序のためである。ただし、学問は遅れいびつになる。井上氏の主張に社会がどのような反応をみせるかわからないが、世界的な歴史研究のスタンダ-ドではけして無理な論理でないことは本書を読めばわかるし、浅はかな海外からの受け売りの主張でないこともわかる。

学閥や保身、功利主義といった小児病的サ-クルから離れたところからの主張の方が、えてして正鵠だったりすることもある。氏は外国の学者に法隆寺を案内したとき「7世紀がなぜ古代なのか、中世ではないのか?」と言われたことがことの発端だという。そういう素朴な疑問をたいせつにするところが氏の美点だろう。関西には万博公園の民族学博物館と、京都洛西に国際日本文化研究センタ-がある。どちらも関西に置かれていることのメリットを実感する。学問だって東京一極集中は弊害があるようだ。

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