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2008年5月26日 (月)

都城市民会館を守った市民の800日

日経ア-キテクチュア誌の5/26号が送られてきました。4月に日経誌の宮沢氏による、雨の中、ほぼ半日を費やしての取材を受け、どんな内容になったのか、楽しみにしていたものです。

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これが表紙です。わたしが購読していた数年前までは、建築の専門誌らしく、その号を代表する建築物の写真をバ-ンと打ち出したものでしたが、しばらく見ないあいだに、ずいぶんと表紙がスマ-トになった印象を受けました。今回の特集は「建築と社会をつなぐ15人の提言」ということで、現代社会で活躍する多彩な人物のインタビュ-であり、その15人が表紙に並んでいます。建築界以外のところで活躍する人がほとんどですが、中央右の人物はおなじみの宮崎県知事・そのまんま改め東国原知事です。宮崎県の観光大使として200%の働きを見せる知事であり、さすがにいいことを書いています。宮崎県庁舎が年間40万人もの観光客で賑わうとはだれが想像したでしょう。インタビュ-記事内に、これからの観光はつくることではなく、考えることだという知事の提言があり、そのとおりだとおもいました。

4月に、わたしたちの取材に訪れた日経誌の宮沢氏は、前日に知事を訪問してインタビュ-してきたとのことでしたので、てっきり市民会館の取材だったのだろうとおもっていましたが、こんな伏線があったようです。もうひとり、タイトルをはさんで知事の左手にいる人物はタレントの菊川怜さんです。15人の中に紅一点、彼女が選ばれたのは東大建築科卒の才媛であるからでしょうが、このこともア-キテクチュア誌の変化を映し出しているのかもしれません。

さて、本題です。

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都城市民会館の保存のことが詳しく記されています。右側のペ-ジにはこれまでの存続をめぐる経緯が年表でまとめられていますが、薄い緑色で描かれた折れ線グラフ状のものは、存続への期待度と記されています。もちろん、そんな指標はありませんので、これは日経誌の独断によるオリジナルなものだと解すればいいのでしょうが、メディア人らしいおもしろい発想だと感心します。最初の鋭い落ち込みは2005年12月の都城市の検討チ-ムが「解体」を結論付けた報告書の発表時です。

その後、「守る会」が結成され署名集めをするなど、期待度が大きく膨らんできますが、だんだん尻すぼみになってきて、解体83%という数字が出たアンケ-ト結果でジリ貧となり、DOCOMOMOの新10選入りを期に、ちょっと盛り返しを見せますが2007年の9月、市議会の解体予算可決で奈落の底へ。ところが一転して南九州大学の登場で急上昇します。この期待度の折れ線は秀逸であり、わたしの実感とほぼ一致しています。さいごは、風船をたくさん飛ばした秋祭りの写真がハッピ-エンドを表現しています。

タイトルには「都城市民会館を守った市民の800日」となっていますが、その数字を勝手に解釈してみますと、たぶんエンドが2007年12月の市議会での存続案の可決でしょうから、そこから800日さかのぼると2年と2ヶ月余りということになり、2005年9月のMAPによる保存請願の提出あたりということになります。MAPとは、わたしもよく知らなかったのですが、ここではMIYAKONOJO ART PROJECTとなっています。都城駅前の商店街などで「ア-トストリ-ト」などの文化イベントをおこなっている市民団体です。

そうです、彼らが市民会館の保存にはじめに立ちあがった人たちです。解体を示した最終報告が出る前から、保存をうったえるチラシを配布したり請願を出すなどの活動をおこない、2006年の12月には市民会館の設計者である菊竹事務所のOB・遠藤氏を招致して講演会を開催し、それが「都城市民会館を守る会」の結成につながりました。「守る会」は、チラシ配布、缶バッジ制作、署名集め、シンポジウムの開催など活発な運動を展開していきます。「守る会」を立ち上げ、組織した人たちの功績は高く評価されなければなりません。

2006年の3月ごろになって、遅れて運動に参加したわたしにはとっては800日ではなく600日程度ということになりますが、2005年の10月ごろ、MAPの人たちと会館のことで意見交換したことがありますので、そのころからカウントするとほぼ800日ということになりますし、危機感はその前から感じていましたので、わたしに限らず、あるいはもっと長い日数となるのかもしれませんが、保存運動としての実質は800日がキリもよくて妥当な表現だとおもいます。

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もうひとつ、同誌巻頭のグラビアペ-ジで、「1966年にタイムスリップ」というタイトルでこの写真が見開きで登場しています。これは、都城市民会館の完成発表時に建築誌などで使われた小山孝さんという写真家の撮影したもので、市民会館フリ-クのあいだでは著名なものです。背景に鰐塚山系の山肌がおおきく迫っているのは望遠レンズによる写真のマジックともいうべきものですが、盆地にある地方都市に突如出現したメカゴジラ的な会館の相貌と印象がよくとらえられた出色の作品です。山並みを除く周囲の景観はすっかり変わってしまいました。会館の右手には古い市役所が見えていますし、前方には高架になる前の西都城駅に貨物列車が長い列をなしています。周囲は瓦葺の建物ばかりであり、現在とはまるっきり変わってしまった40年前の都城があります。この中で、唯一変わらないものが都城市民会館です。どこにでもある、画一的で薄汚れた地方都市の景観のなかに、ここが都城であることを唯一示してくれているこの会館が、今後も継続されることになった喜びが、この写真を見るたびに喚起されます。そして、左手に映っているのが今はなき「須田記念館」です。この建物が残っていたら、都城市はもっと文化的で奥行きのある景観を手にしていたのですが、かえすがえすも残念なことです。

ある人から聞いたところでは、当時の市議会はこの須田記念館の解体を審議するにあたって、特別な建物につき、3分の2以上の賛成を要する特別議決にしたとのことです。真偽のほどはわかりませんが、そうであるのなら、当時の議員の見識を示しているのかもしれません。古くていいものは大切にする、あたりまえのことですが、なかなかそうはならない現実があります。「数値化することでしか価値を実感できなくなっている、数値化できない深みにこそ喜びがある」とは、本誌の特集に登場する15人のひとり、内田樹(思想家・神戸女学院大学教授)さんの提言です。

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