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2008年3月22日 (土)

都城の石蔵

都城に霧の蔵ブルワリ-という施設があり、連日大型バスがひっきりなしにやってきて、数百人の観光客でにぎわっています。ここには「霧島」というブランドの焼酎を製造する工場があり、その製造工程を見学することができます。いまや、芋焼酎では日本一のブランドに成長した「霧島」は、おりからの焼酎ブ-ムということもあり、連日賑わっているわけです。

その売店とレストランを兼ねているのがブルワリ-棟という建物であり、名称は地ビ-ルの製造販売もおこなっていることからきています。工場、ホ-ル、記念館などを擁するこの広い敷地内で現在建設工事がおこなわれており、ひとつはベ-カリ-棟の新築(6月竣工予定)であり、もうひとつは既存レストラン棟の増築です。この増築工事の方の設計監理を当事務所が担当していますので、このところ霧の蔵にあしげしく通っています。

さて、話は<霧の蔵>ではなく<石の蔵>です。このまえ、ある人から「石蔵をつくりたいんだけど」という相談を受けました。はて、霧の蔵ならともかく、石の蔵はやったことがない。既存の石蔵は市内にいくつかある。おそらく、近辺で石が採れるのであろう。かつては住宅の塀や門に切石がよく使われていたし、墓石も古いものは地元の石を使用していて、古びるつれ苔むしてきて風情があった。しかし、現在では墓石は海外の御影石に、塀や門柱などもコンクリ―トブロックなどの二次製品に置きかえられ、木造や鉄骨造の倉庫は建つが、土蔵はおろか石蔵が新設されることはまずない。したがってコストも比較しようがないが、たぶん安いものではないだろうし、組石造なので法規上も制約がある。とりあえず、そんなことを思い浮かべます。

かつては、ちょっと裕福な人たちの家には蔵があり、土蔵あるいは石蔵だった。市の中心街あるいは古い集落にはそんな蔵を持つ家がめずらしくはなかっただろう。それより所得の低い人は板壁の納屋か倉庫となる。蔵はなによりも防火性が重視される。その家のお宝を保管する場所である。だから、土蔵の場合は木部はすべて厚い土壁で覆われ、表面を白いしっくいで化粧・保護される。石蔵は耐火性の心配がないから切石を積み上げたそのままである。多くは表面にコブや鑿のあとをそのまま残した仕上げになっている。

さて、コストであるが、土蔵と石蔵、どちらが金がかかるのであろう。なんとなく石蔵の方が高級のような気もするが、木造下地に手間ひまをかけて厚い土壁をつくり、しっくい化粧をほどこす土蔵に比べて、切石を積み上げていくだけの石倉のほうが安くつくのかもしれない。このことは材料が地元で採れるかどうかにもよるだろう。たとえば、大谷石の産地である栃木では、大谷石を端正に積み上げた石蔵をよく見かけるから、おそらく石蔵の方が安上がりなのだろう。

イニシャルコスト(建設費)はよくわからないが、ランニングコスト(維持費)の方は石蔵に分がありそうな気がする。土蔵は、表面がしっくいで保護されているとはいえ、やはり年月とともに痛んでくるので補修する必要がある。一方、石蔵はほとんど手を入れる必要がない。石だってもちろん風化するのだが、数十年、100年単位ではほとんど問題にならない。ただ、石の目地の部分が、劣化して漏水の可能性がないこともないので、もっと研究する必要はあるが。屋根はどちらも木造の小屋組に瓦葺きが一般的であり、どちらも同じ条件になる。

さて、石蔵のことをちょっと調べてみようとおもい、市内にある石蔵のいくつかを見てまわることにした。ずいぶん少なくなったようでも、まだ幹線道路沿いに目に付くものがいくつかあったりして、下調べをしてくれたM君といっしょに見てまわった。

A  Miyamaru01001 Miyamaru01002

B  200803211501

C  200803211502 200803211505

AとBは市街地にあるもの。Bは3間×7間程度の面積があり、Aよりはひとまわり大きい。どちらも内部は2階建てになっているようだ。Aの所有者のTさんに話を聞いてみたところ、昭和31年につくったものであり、かつてはコメが満載されていたとのことだが、現在は農地もほとんどなくなり、物置として使用しているとのこと。台風時には家族でここに避難し、外の暴風とは無縁でいられたと懐かしんでおられた。

Cは郊外の古い集落にあるもので、こちらは2間×3間のかわいらしい石蔵だ。こちらは戦前の昭和8年につくられたもので、屋根のすぐ下の部分に  、戦争中の爆弾の破片で石がかきとられた跡がある。外壁の一部に施工者である有水の石工・神田氏の名が刻んであった。内部に案内されてびっくりしたのは、なんとご主人の趣味のカラオケル-ムになっていたからだ。写真のようにミラ-ボ-ルが現役であり、音響・照明ともに凝りに凝ったもので、かなりの資金を費やしたらしい。ただ、現在はまったく使っていないとのこと。

D  200803211513 200803211512

これは山田町の谷頭駅のすぐ近くにあるJAの倉庫。かなり大きい石蔵が3棟並んでいる。今回見学したなかでは、唯一の切妻(きりづま)の屋根だ。たぶん、石を三画形に積み上げることを嫌ったのだろうが、ほとんどの石蔵は寄棟(よせむね)の屋根である。

E  200803211519 200803211520

こちらは庄内町のJA倉庫。昨日紹介した都城島津家の墓所のとなりにある。こちらも大型のもので5間×14間ほどの面積がある。

F  200803211516 200803211517

こちらは近郊の商家のもの。蔵というのは矩形のものがほとんどだが、左側の写真にあるように、張り出し部分が接続していて、雁行した平面をしているのがめずらしい。増築したものなのか当初からのものかは不明。

G  200803211528

これは番外編だが、Fのちかくで見つけたコンクリ―トブロック造の蔵の換気口。腰の部分までは切り石が積まれ、その上部がブロック造であり、ところどころ、その腰の石部分に写真のようにブロックが嵌め込まれている。よくみるとそのブロックの下に穴があけられている。ご存知のようにブロックには三つの穴が縦にあいており、そこに鉄筋を通したり軽量化をはかっているのだが、たぶん、その空隙を利用して換気口にしているのだと推測する。おそらく、内部はこの嵌め込まれたブロックの上部に同じように穴がかきとられているのだろう。雨を入れずに換気をしたいという工夫に感心した。ちなみに、このブロックの換気口はつい最近のもののようだ。

こうして、約半日かけて近在の蔵を見てまわった。市内にはまだ石蔵はいくつかあるはずであり、知っているものでも居酒屋に改装されているものや、豪邸に併設されたものなどがある。おそらく、探せばまだまだあるだろうし、今回も取材であすこにもあるという話をいくつか聞いたので、機会をみてまた探索してみたい。しかし、おもっていた以上に少ないようでもある。石なので耐久性は抜群なのであろうが、敷地内の構成上、蔵が道路側にあることも多く、道路拡張などのさい、そのいくつかは失われていったとも聞いた。

ただ、築50年以上をへて、みすぼらしくなるどころか、ますます味わいというか風情をかもしだしているのはどの蔵も共通している。わたしたちのつくる現代建築が、年月を経るにしたがってそのような味わいを出しているものがはたしていくつあるだろうか。やはり、本物をきちんとつくって、都市のストックとして残していくことがそのまちの魅力にも建築主の利益にもつながるわけで、そんなことをあらためて考えさせられる一日だった。

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