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2008年2月19日 (火)

設計コンペ

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設計コンペというのものがあります。ゴルフをする人はその意味が把握できるでしょうが、それ以外の人にはなじみのない言葉かもしれません。コンペとは競技会、競争のことで、正確にはコンペテシィオンと言います。

設計のよしあしを競うのが設計コンペです。何がしかの建物をつくりたいとします。設計はどうする、いい設計者を知ってるか?なんて会話をするとします。オレの親戚にいるけど、または、オレの友達にもいるよ、でも、だれがいい設計者なのかは、だれも知りませんし、情報がありません。そんなとき、あなたといっしょにグッドな建物を設計し、予算と性能を担保してくれる設計者を探すためにおこなうのが設計コンペです。このことは、民間でも公共の建築物にでもあてはまります。

設計コンペには、指名コンペとオ-プンコンペがあり、前者は発注者が競技に参加する設計者を指名します。その際、参加報酬を定める場合が普通ですが、ない場合もありえます。オ-プンコンペの場合は、だれでもその設計競技に参加できます。そのかわり参加報酬はありません、もしかして、参加料を払うこともあります。また、だれでもといっても、一級建築士の免許の有無や所在地などを条件とされることがあります。

そして、設計コンペは、じっさいに建物をつくることを前提としたコンペと、つくらないことを前提としたコンペとにも分けられます。前社を実施コンペといい、後者をアイデアコンペといいます。一般のひとにはアイデアコンペはわかりにくいかもしれませんので、もうすこし説明しておきますと、たとえば、フランケンシュタインの家、あるいは、月につくるうさぎの家、なんて設問は可能です。また、建築家の養成学校において、いろいろな設計課題が出されますが、ほとんどは架空のプロジェクトであり、建設の実施は前提としていません。

もうひとつ言い沿えますと、「コンペ」と類似してさいきんよく使われる言葉に「プロポ-ザル」があります。コンペは作品を選びますが、プロポ-ザルは設計者を選びます、というのが一般解ですが、さいきんのプロポ-ザルは、「コンペは面倒なので」に近い、擬似コンペであることが多く、たいていはその案件に対する設計案の概要を求めますので、コンペと実質の違いを見つけることは難しくなっていますが、「これはプロポ-ザルであり、じっさいの建築はこれとは異なることがあります」という但し書きが付いています。かたや、コンペは作品を選びます。したがって、その当選案は、よほどのことがないかぎり、尊重されることになり、その完成度と哲学がコンペの当落に重大な影響を与えることになります。「だって、そこまで考えてなかったもん」という言い訳が通用するのがプロポ-ザル、通用しないのがコンペです。

さいきんでは、わたしにもっともふさわしい住宅をつくりたいという建築主の限りない要望を満たすため、複数の設計者にその案を競わせ、選定するという企画があるようで、それを業務とする会社もあります。わたしも一時期、もしかしたらいいことかもしれない、という幻想を抱いたこともありましたが、現在では否定的に考えています。だってプロの建築家の審査員がいません。わたしたちの設計能力を客観的に冷静に、かつ哲学性まで推し量る人物がいないのに、それなりに必死になって考え抜いた提案をしたところで、建築主の自己満足を超えるなにがしかの建築的貢献ができるとはおもえないからです。

ついでに言っておきますと、現在の役所の設計者の選定方法は多くが入札です。これは、市民が数十年、あるいはもっと、使いつづけるたいせつな建築物を、設計料の多寡だけで決めるという、おそろしく野蛮な制度です。いい建築ができるはずがありません。現在日本に残された、一定の評価を集めている建築物は、ほとんどがコンペか特命による設計者の決め方によるものです。特命というのは、発注者が設計者を指定するものです。都城市民会館もその方式でした。

考えても見てください。車でも家電製品でも、あなたにとって、なにかこだわりの品を買うときに、値段の安さだけで決めますか。まして、莫大な金額を費やす建築物です。設計がそのすべてを決定するのです。安かろう悪かろうとは言わないまでも、その多くが可もなく不可もなくの、おしきせのル-ティン業務として処理されても仕方がないことです。だって、作品あるいは設計者の能力を期待されて仕事を依頼していないのです。金額が安いからあなたに頼むといったのであり、わたしならその金額で「やっつけます」という意思表示に対しての依頼なのです。ついでに言いますと、これまで役所の設計入札はほとんどが談合でした。政治力にたけた有力事務所といわれる設計屋さんたちが、順番に仕事を獲得していたわけです。建築文化にだけ関して言うと、これでは何も期待するほうが無理というものです。そもそも、役所も設計に何も期待していませんでした。どこにでもあるごく普通の無難なものを尊びます。彼らにとって突出は敵です。こうして、くだらない建物がたくさん国土を埋め尽くしているわけです。

前置きがながくなりました。冒頭の写真は、ある設計コンペに、わたしが2週間ほどまえ提出した作品案の建築模型です。ここ数年ほど、まったくコンペからは遠ざかっていました。かつては、寝食を惜しんでコンペ案作製に没頭し、応募した時期もありました。それは、この世界にすすんでまもなくから数年間のことです。その間、たぶん10作ほど、あるいはそれ以上かもしれませんが、コンペに応募しました。その結果は連戦連敗であり、唯一、建築とは違う、造園系のコンペで入選したことがありますが、かれこれ12年ほど前のことです。とういのも、現在中学一年生の息子が、生まれたばかりのことだったのを覚えているからです。その作品名は「ひまわりドカン、ピラミッド」といいます。幼い子と細君を連れ、晩秋の関東平野での表彰式に臨み、せっかくなので日光まで足を伸ばしたことを覚えています。

ちょっと話がそれましたので軌道修正します。なぜ、わたしが数年ぶりにコンペに応募する気になったかというと、若い人との交流で刺激を受けたからです。そのM君は、わたしの事務所に3ヶ月ほど遊びと手伝いにかよってくれていました。やる気満々の彼は、わずかのあいだに、たてつづけに設計コンペ(オ-プンの)に連続して3つも挑戦したのです。それを見ていて、わたしもやるぞ、とおもったのでした。この業界は、情熱だけがたよりです。

冒頭の写真のコンペ案は落選しました。免疫はできていますので、このくらいではめげません。そればかりか、次の目標を、やはり落選したM君から教えてもらいました。M君はバイタリティがあります。こんどは、熊本駅西口の広場設計コンペに照準を合わせることにしました。熊本は火の国にふさわしい、建築に情熱を燃やしている土地柄であり、ア-トポリス事業という、建築の力を信頼したまちづくりを推進しています。宮崎県ではコンペなんてほとんどお目にかかりませんが、熊本県はあたらしく開業する新幹線熊本駅の広場を、東口は指名プロポ-ザル、西口は公開コンペで設計者を選定することにしました。その審査委員長は超一流の建築家でありア-トポリスコミッショナ-でもある伊東豊雄氏です。そして末廣香織氏、桂英昭氏、曽我部昌史氏が審査員に加わっています。ここでは、明日の熊本の創出を目的とする、大胆かつユニ-クな提案が受け入れられる土壌が整っています。あとはわたしの実力しだい。現況を脱するにはがんばることしかありません。デザイン(設計の英語訳)のことを、単なるおもいつきと勘違いしているひともあるでしょうが、デザインのよしあしは、コツコツと積み上げた努力の先にありものです。それ以上のレベルでは、もって生まれた感性も必要なのかもしれません。まずは、自分の考えた画期的な(とおもえる)提案を、審査員にわかりやすく説明できる知性と技術が必須です。

ちなみに、東口のプロポ-ザルは終了しており、妹島和世氏と数々の話題作をものにしている気鋭の建築家・西沢立衛氏が選定されました。西沢氏らしい、大胆かつユニ-クな案です。西口はそれを凌駕する案を提示できないと当選できないことになります。こうして、熊本駅前にはいい空間が誕生します。わたしは建築の力を信じています。

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