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2008年1月20日 (日)

「新建築」1月号

わたしたちが昨年の11月に開催した「都城市民会館秋祭り」のイベントが、今月号の雑誌「新建築」に掲載されました。「間一髪!菊竹建築の名作が残った」と題して、コラム欄に1ペ-ジを費やして写真と文章が載っています。

文章は先に「Casa・BLUTUS」の取材のことで紹介した磯さん、写真は「秋祭り」のシンポジウムでゲストとして参加してくれた建築家の新堀さんです。

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「新建築1月号PDFデ-タ」です

雑誌「新建築」といえば、建築ジャーナリズムの雄とされている雑誌で、日本の建築ジャーナリズム界をリ-ドしてきました。この雑誌に載れば一人前の建築家のようにおもっていたものです。わたしもこの世界に進んだころは、いつかは新建築に実作を載せてやるなんておもっていたものですが、すっかりそんなことは忘れていました。

我が事務所の本棚をみてみると、1986年から1990年までの新建築が毎号並んでいます。突如「オレは建築家になるんだ」と、志したのが20年ほど前の1986年だったことを意味しています。それから数年間、毎月欠かさず「新建築」を購読し、むさぼるように読んでいました。安藤忠雄、磯崎新、原広司、石山修武などなど、キラ星のごとく輝く建築界のス-パ-スタ-の新作を眺め、おおいに触発されたものです。ちょうど、時代的にはバブル期にあたり、日本建築界の豊穣さを示す黄金期だったような気がします。その後、一時期は実務に強い「日経ア-キテクチャ-」に浮気をし、1995年からは広告が少なく特集が充実していた「建築文化」に購読を切替えましたが、こちらは2004年に残念ながら終巻となりました。その後、建築誌への情熱はあまりなくなり、定期購読はやめ、書店で見て気になった号だけ買うようにしていて、新建築は図書館で見るにまかせて、今回が久しぶりの購入になりました。

出版界は構造的な沈滞のようですが、建築の分野もそうであり、歴史のある「建築文化」でさえ消えてしまいました。「新建築」も、かつてのような権勢は感じられません。当時は、この雑誌に掲載されてからでないと、他の建築雑誌には載せられないという不文律があったように聞いていますが、現在は他の雑誌がそもそも減っていますし、新建築の部数も勢いはないようですので、そんなことはないのでしょう。

「新建築」にしろ「建築文化」などの建築誌は専門家の読む雑誌です。一般の読者はほとんどいないはずです。一般の人は「ニューハウス」などの住宅系あるいはインテリア系の雑誌を読むようです。こちらの方が、本屋にもたくさん置いてあります。こういう本から写真を切り抜いてスクラップにして、住宅の設計の打ち合わせに示されることもありますし、書店でそのような本を熱心に立ち読みしている人たちを見かけることも少なくありませんので、こういった住宅の建築主になる一般の人たちを対象にした本は、けっこう売れているのかもしれませんが、わたしのような、建築設計を専門職としている側はあまり読んでいないようです。いい意味ですみ分けができているのでしょうが、このへんのコミュニケ-ションの不足が、もしかしたら建築が市民権を得ていない現状や、住宅の部分的なデザインだけが消費されている状況に関係があるのかもしれません。

そんななか「Casa・BLUTUS」の健闘は楽しみです。先に訪れた取材班に聞いてみたところ、発行部数は3万部ほどだそうです。これは「新建築」などよりはるかに多い数字のようです。この本はどちらかというと、一般の人たちを対象としていて、わたしも書店で見て、たまには買うこともありますが、大多数は専門家ではない読者に支えられいるはずです。2月号を書店で見ましたが、住宅特集をやっていて、ヘンテコリンな住宅がてんこもりでした。べつに、ヘンテコリンなものをすすめるわけではありませんが、住宅や価値観の多様性や可能性に目を向けてもらいたいとおもいます。世の中にこうしなければという正解はありません。コストや性能に関する一般的な見解など、取るに足らないものばかりですし、結局、だれもそのことの責任は取りませんし取れません。そんなことより、自分の直感や価値観を信じた方がいい場合もままあります。また、その方が楽しいです。

「カ-サ」の2月号は住宅特集ですが、3月後は都城市民会館も載るはずの失われつつある近代建築の特集です。これからも、建築の魅力や多様性を知る取っ掛かりになる雑誌として、大いに期待したいです。

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