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2008年1月31日 (木)

島津邸と吉松邸・宮崎県

宮崎県の最南端、串間市に吉松邸があります。

以前のこのブログでとりあげたことがありますが、このほど修復・整備が終了し、一般公開されたと聞き、先日このお屋敷を訪問してきましたので再び書いておきます。

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吉松邸は串間市にある貴重な近代和風遺産であり、国の登録文化財に指定されています。もともとは、この地きっての素封家であり、国会議員もつとめたことのある名家のお屋敷ですが、近年、経済環境の変化により、串間市が購入して整備することになったものです。

一昨年から昨年にかけて、調査と修復が終わり、公開のための整備にかかっていました。宮崎県内にのこる、貴重な和風建築であるこの邸宅を、まちづくりに活かしたいという長期的な視野にたち、修復までして保存に尽力し、一般公開にまでこぎつけた串間市に敬意を表します。

さすがに、有数の材木商ということもあり、銘木をふんだんに使用した、豪壮な邸宅です。約200坪の主屋のほか、物置や蔵など複数の別棟からなります。採光と通風、庭との調和をはかるため、典型的な雁行型の平面になっています。だれでも無料で見学できますので、串間に行かれる祭は、ぜひ寄ってみてください。スタッフが丁寧に案内・説明してくれます。

さて、つぎは、やはり宮崎県内にある都城島津家のお屋敷のはなしです。

島津といえば、鹿児島県にある勇猛な武士軍団をおもいうかべることとおもいますが、ここ都城市も旧島津藩の領地内であり、都城は文化的には島津・鹿児島圏内といって言いとおもいます。その都城に650年にわたり領主として存在してきた島津氏のお屋敷があり、都城市では、そのお屋敷の存続をめぐって、ちょっとした話題になっています。

都城は、島津家発祥の地とされており、都城島津家はその直系として、島津藩内でも格別の配慮をたまわる名家でした。近ごろ、NHKのドラマ「篤媛」にて島津藩が露出されていますが、都城もその一員であり、都城はその自治藩として長きにわたり存続していました。

都城を代表する名家であり紳士でもある、現在の当主である島津久厚氏は、すでに齢80才を超えています。大名家の一員とはいえ、近代の税制のもとでは、その家督の維持に心を痛めなければなりません。すでに、今日までその家格と家督を維持している戦国期にさかのぼる名家は稀なものになっています。

久厚氏は、将来のことをおもい、まず氏が代々所有するお宝1万点を市に寄贈することを決めました。その散逸をおそれんがためです。そして、当時の都城市長の岩橋氏は、島津屋敷の購入・保全について合意しました。そうして、都城島津のお宝は市に寄贈され、現在、その歴史的な価値を鑑定する作業に入っています。重要文化財はもちろんのこと、もしかしたら国宝に指定されるかもという貴重な古文書群や工芸美術品のようです。

時は流れて市長は若い長峯氏に代わりました。氏は財政改革を最重点に掲げていましたので、そのせいもあるのでしょうが、都城市民会館やこの島津邸の保存には消極的でした。経済効率を優先するがあまり、貴重な文化資産を失うことは、まちづくりや文化的損失をかんげると、オウンゴ-ルに等しい行為だと五十嵐太郎氏が述べていますが、とくに、地方にとっては深刻かつ重要なな問題です。

結果的に、両者とも存続の方向が示されたことはなによりでしたが、都城市民会館は南九州大学への無償貸与という落としどころに落ちついたのはともかく、島津邸に関してはまだ波乱ぶくみのようです。1月30日の臨時市議会は、市が示した島津邸の購入整備計画案を審議した結果、20対20の賛否同数となり、議長決定で可決となったのです。

たしかに、総額15億円もの巨大なプロジェクトに仕立てた市のプランは、拙速にすぎるような気がします。おそらく、議員さんもそのへんに疑問を感じたのでしょう。とりあえず屋敷だけを購入・保全し、今後のことはゆっくり考えるということにしておけば、多数の賛同が得られたものとおもいますし、わたしもそれがいいとおもっていました。とくに、資料館の建設にあたっては慎重に考えて欲しいとおもいます。映像やバ-チャル的な手法を駆使した最新型の展示方法を取り入れた展示会社主導の計画になることをおそれます。がらんとした閑古鳥のなく資料館に、更新されずに同じ映像だけが流されているものをよく見かけるからです。島津は気風として質実剛健さを尊ぶところです。できれば、予定されている資料館も、その気風に沿ったものを望みます。これみよがしの演出は無用です。

貴重な文化財であることは承知ですので、きちんとした正確な解説を付して、いい物を正しく見せる資料館以上のものは望みません。本物だけをきちんと置いておけば、あとから勝手に人はやってくることがあります。宮崎県庁が県内有数の観光スポットになるなんて、だれも考えもしませんでした。観光スポットをつくることは、巨大資本を投ずるものは別として、一朝一夕にできるものではありません。ただ、本物やいい物があれば、そのときの状況によって、にわかに脚光を浴びたりすることはあります。資料館の位置付けは、まずは地元の人たちのために、郷土の誇る文化財を正しく伝えることでいいとおもいます。

昨年、市長と面会し、市民会館のこと、島津邸のことについて意見をかわしたことがありました。そのときはまだ、両者とも存続の方向は示されていない時期です。そのとき、島津邸に関して市長は、なによりも島津氏の名誉が重要であり、島津邸の購入により、氏の立場が悪くなっていけないということを言っていました。山形県の上杉鷹山記念館を引き合いに出し、かの地では資料館の建設により、上杉氏の評判が悪くなったとのことです。巨額な建設費用とその後の状況が理由のようです。(ちなみに、鷹山氏は高鍋の秋月藩の出身であり、吉松邸のある串間市もかつては秋月藩の領地でした。)

今回、市が臨時議会を開催してまで示したその案は、そのときに市長が危惧した方向を向いているような気がしないでもありません。ただ、市側にも事情があって、島津家から寄贈されたお宝の鑑定がすみ、めでたく重要文化財ということになれば、その指定や修復は展示公開が前提となること、今回の整備計画は多くを国からの補助金に依存しており、時期をのがせば市の自己負担金額が莫大なものになることがあるようです。

都城市は、現在、重要文化財に指定されている甲冑を一点所有していますが、指定されたとたん、公開できないというジレンマに陥りました。法律で文化財の保存・公開についての基準が厳しく規定されているからです。展示するには、それに相応する施設が必要なのだそうです。島津家の財宝は重文指定が確実視されていますし、市もそれを望んでいます。そして、それを修復し、広く市民に公開となると、施設の問題が出てくるわけです。これはしかたがありませんので、つくらないわけにはいかないのでしょう。

ただ、補助金をあてにするために急いだというところは引っかかります。他人の財布をあてにすると、ろくなことがないからです。身の丈に合った資料館を自分の金でつくるのが理想です。全国いたるところに、必要以上に豪華で華美な類似の施設があふれ、その維持に窮している実情がありますし、自分で金を払うからこそ、そのあり方を真剣に考えるからです。

なにはともあれ、島津邸の保全が決したことは嬉しいことです。この問題が昨年たちあがったとき、市民会館はダメでも島津邸は残るだろうとわたしは考えていました。島津邸は市内の有力者の関心をあつめていましたし、これ以上のブランドは当地にはありません。まさか、議会でこんなに紛糾する事態になるとは、おもいもよらなかったことです。

ただ、資料館はじめ屋敷の整備にあたっては、市民のための施設を第一義としたものとなることを望みます。まだこれから詳細を詰めるのでしょうから、じゅうぶん間に合うはずです。また、資料館の設計は公開コンペで決めて欲しいものです。現状の入札による設計者の選定方式では、ろくなものができません。全国の建築家の叡智をあつめ、40年前、菊竹氏がのこしてくれた都城市民会館に匹敵する輝きをもつ建物が、この地にできればこんなにいいことはありません。

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