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2007年4月15日 (日)

熊野古道

江戸時代、街道の整備と経済の発展を背景に、多くの市民が「お伊勢まいり」をするようになります。そして、伊勢からさらに足を伸ばして、紀伊半島を南下したところ熊野三社があり、日本有数の霊場・信仰の場としてたくさんの参拝客をあつめました。「蟻の熊野詣で」という言葉があり、伊勢からさらに南下して熊野へいたる細い険しい道を、蟻の行列のように参拝客が列をなしていたようすを表したものです。

さて、そのかつての信仰と遊行への道であった熊野古道が世界遺産に登録されました。街道史跡としては世界的にも珍しい例だそうです。たぶん、中辺路に代表される紀伊路と伊勢から伸びる伊勢路全体をひっくるめての世界遺産登録だったとおもいますが、その伊勢路のうち、もっとも当時の雰囲気をよく残しているとされる、尾鷲から紀北町にかけての馬越峠を歩いてきました。紀北町の道の駅「海山」から約2時間の行程で尾鷲市の尾鷲神社にいたるルートです。

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世界遺産だけあって、尾鷲檜の美林を縫って延々とづづく石畳の坂道と、ところどころにあるお地蔵さんや一里塚などの添景が古い歴史の息遣いを感じさせてくれました。さすがに峠道だけに険しいところもありますが、普段着に運動靴程度でじゅうぶん子どもでも登れます。

かつて、平安時代や鎌倉時代の高貴な人たちの熊野信仰も篤く、なんとか上皇などは生涯に30回ほど熊野詣でをしたという記録もあります。こちらは、大阪湾沿いに和歌山県を南下し、中辺路とか大辺路というルートを行ったようで、この伊勢路ルートは通っていないだろうというガイド役の古老の話でした。こちらは、もっぱら庶民の参詣路だったようです。

この尾鷲からさらに南下したところに新宮があります。作家・ナカガミケンジ氏の作品の舞台となったところであり、陸の孤島のような表現がありましたが、たしかに尾鷲だってじゅうぶん不便なところでした。名古屋空港からさらに4時間以上を必要とし、同行の東京から来ていた人も、尾鷲は時間軸で地図をつくると、日本でもっとも東京から遠いところになると言っていました。そんな不便なところにこそ、時代を超越した本物の自然や遺産が残されていることもまた真です。

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