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2007年3月20日 (火)

山之口の島津寒天工場跡

都城から宮崎へ269号線を行く途中に、山之口町がある。人形浄瑠璃の伝承や島津藩特有の麓地区のようすがよく残っているおだやかな雰囲気のまちだ。

このまちを通るたびに気になっていたのだが、「島津寒天工場跡」という看板が国道沿いに立っている。ちょっと歴史好きなわたしとしては、「島津」と聞いて興味がそそられるのであった。以前、2回ほど通り掛かりに行ってみようという気になり、看板の方向に車を向けたことがあるのだが、さっぱりわからなかった。

日本の道路看板は最低だとわたしはつねづね感じている。見知らぬ土地に行き、看板をたよりに車を進めてひどい目にあったことが何度もある。

道を知らない人のために看板はあるはずだが、新しい道ができても古い看板がそのまま残っていて、新しい道なら半分で行けることを目的地に着いてから知らされたり、どっちに行けばいいのかわからなくなったり、途中でまったく表示がなくなっていたり、見知らぬ土地を地図と看板を頼りに建築行脚することがままあるわたしは、日本の道路看板は非常に不親切なものだと感じている。

それはさておき、今回も途中でわからなくなったが、地元の人がいたので道を尋ね、なんとか、数年越しの目的を達することができた。

山之口の麓地区から北へ2キロメ-トルほど行くと、永野という集落がある。そこにこの寒天工場はあった。想像していたよりグッドなものだった。

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なんでも、幕末のころ、藩財政に困窮していた島津藩がつくったものらしい。この地が選ばれたのは、寒天の製造に適した自然環境であることと、幕府の目を逃れるためであるとある。なぜ寒天が当時、特産物だったのか、ロシアや中国に密輸されたのかは書いてないのでわからないが、幕末に最新式の製鉄所や造船所などを有し、有数の武力で明治維新の立役者となった島津藩にはリッチなイメ-ジがあったが、財政改革のために山之口で寒天をつくっていとは。これだから歴史はおもしろい。最盛期にはここで100人以上の人たちがはたらいていたそうである。

原料のテングサを煮る石組のカマドが数基並んでいて、掘り下げた焚口が現在も良好なかたちで残っている。いい史跡である。それを覆う大小ふたつの萱葺きの上屋がかかっているのだが、おそらく、これはあたらしいものだとおもう。おそらく、地元の人たちが屋根の手入れなどをしているのだろうし、工場跡の内部も定期的に清掃したりしてくれているのだろうと推測する。こうして、地元の人たちの手で古いものがたいせつに残されていく。こうして残されたものが、後世、ますます高く評価されていきます。そうやって法隆寺も東大寺も現在に受け継がれてきました。

かたや、都城唯一といっていい貴重な近代建築である都城市民会館はどうなるのでしょう。解体に83%が賛成?どうも信じられませんが。

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