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2007年2月21日 (水)

都城の島津邸はどうなるのか

先日、串間の建築家・河野さんが来訪し、串間市の吉松邸の改修が終わり、4月から一般に公開するとのことで、その状況を聞いたり、改修工事後の写真などを見せてもらった。

吉松邸は串間きっての名家で豪商でもあったが、近年に没落し、その広大な邸宅と敷地は串間市の所有となった。大正10年の吉松家最盛期の築であり、延べ200坪を超す豪勢な和風邸宅だ。市はさっそく登録文化財に申請し、指定されている。串間市役所に隣接して建つ地の利を活かして、中心街の活性化と市民グル-プの交流の拠点として活用するよう、市は4000万円をかけて改修することにしたのである。人口2万人足らずの小さなまちの大英断といっていいだろう。

今後はNPO法人の手で運営され、串間市の新たなまちづくりの核として再生されることになる。河野さんは今後の運営についてもいろいろ構想を練っているようで、忙しそうである。

かたや、合併で人口17万人となった都城市に島津邸がある。吉松邸は豪商の住宅であるが、こちらは殿様の邸宅である。5000坪の林も池もある広大な敷地の中心に、昭和10年につくられた書院造りの母屋が建つ。吉松邸は延べ床面積で200坪を超す豪邸だが、こちらは武家の邸宅であるためか、90坪ほどである。

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門から続くアプロ-チ            母屋 玄関廻り

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 道路脇の石蔵                 天皇宿泊の記念碑

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  母屋の縁側(廊下)         奥の和室の欄間(原画は画家:大野重幸氏のもの)

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天皇宿泊時に居間として使用した部屋   天皇の寝室(調度類はそのまま)

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天皇専用の洗面所             敷地南西の蔵(明治期のもの)

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 この2階右の部屋が天皇の寝室    母屋の隣にある祭祀場

もともと島津家の邸宅がここに昔からあったのではない。現在の市役所・明道小学校の付近が旧領主館の敷地であり、この領主館が私邸であり公邸だった。現在の地に移転したのは、明治維新により領主館を返上したためであるようだ。

昭和48年に昭和天皇・皇后が行幸し、ここに宿泊したことがある。その当時、当地に天皇が宿泊する機会は二度とないからという地元の要請で、当主の久厚氏はこれを承諾し、莫大な費用をかけて邸宅を改築したらしい。なにしろ、行幸ともなれば、たくさんの随員を伴ってくるのであるから、おそらくこの屋敷だけでは手狭だっただろうし、それなりの格式も必要だし、細心の注意を払って、改修・改築にあたっただろうと推測する。

現当主の久厚氏は昨年、新制都城市の第一号の名誉市民に推挙され、盛大な祝賀会が催された。氏は林業と茶園を経営する事業家でもあるが、学習院の院長など中央や地元で数々の要職を歴任し、こんにちの社会の発展に貢献した、たぐい稀な名士でもある。また、数年前、氏は都城市に総数一万点という当家に代々伝わるお宝や資料などを寄贈している。明治維新と太平洋戦争という二度の大荒波をくぐりぬけ、その家督と家挌を維持している大名家は稀である。ほとんどが維新期の変革と戦後の改革の混乱、莫大な税金などで散逸しているのである。厳密には都城島津家は大名家ではないが、約5万石の私藩(支藩)の当主として、大名に準ずる地位を有していた。その格式ある家の歴代の財宝を市は譲り受けたのであるが、現在専門家の手で調査・整理中であり、数百年連綿と続いた武家の貴重な資料として、重要文化財の指定を視野に入れていると聞いている。そうなれば、文化財の不毛の地といっていいこの地域にとって朗報である。

ところで、このお屋敷のことが問題になりそうだ。なんでも、お宝を市に寄贈するにあたって、この屋敷を市が購入することで話がまとまっていたらしい。元の岩橋市長からもそんな話を聞いたことがある。ところが、さいきん聞いた話では、財政難の折、その話はなかったことにしてくれ、と市が申し出てているとのことである。もちろん、一万点のお宝は返さない前提だろう。

島津氏の希望は、この地を切り売りすることなく、一体として保存し、できれば島津資料館的なお宝の展示保管施設を期待してのことだろう。市も島津発祥の地をうたい文句にしているのであり、願ってもない話であったのだろうが、いつのまにか状況が変わっていたようた。噂では、市と島津氏のあいだで覚書のようなものがあり、法的に争うことは可能とのことだが、争いを好まない氏の性格がそれを断念し、今後は民間のデベロッパーなどが譲渡先として検討されることになるという。天皇が宿泊した邸宅を取り壊しての開発ということになると、地元の事業家にはおそれおおくて手が出せないだろうという観測もあるようだ。

島津氏の存在は、都城を象徴するものだ。この地が民間に売却され、大規模な商業施設やマンション、駐車場などに変更されることなく、公園あるいは文化・交流施設として残されたら、都城のまちづくりのためにもいいことだとおもうのだが。これからどうなるのだろう。

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