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2006年7月13日 (木)

梶原得三郎さんと松下センセのこと

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 梶原得三郎さんを知っていますか。

 では、松下竜一さんはどうでしょうか。

 二人とも中津の人で、たしか同い年です。松下さんのことは知っている人も多いとおもいます。代表作「豆腐屋の四季」はじめ、たくさんの佳品をのこしている作家です。九州の作家の代表格といってもいいでしょう。

 わたしが作家・松下竜一を知ったのは、たしか10年ほど前だったとおもいます。たぶん、新聞で見たのでしょうが、その後、全集が発刊され、全30+1巻、図書館から借りて読破しました。わたしがこんな大がかりな著作集を読破したのは、梅棹忠夫と松下竜一だけです。

 松下さんとは、その作品を通して、なぜか「ウマ」が合うというのか、とくに「草の根通信」の「ずいひつ」として連載していたものをまとめ「たビンボ-暮らし」のエッセイ集が無性におもしろく、時を措かずして、本格的なノンフィクション作品にものめりこむようになったのでした。

 はやいもので、松下さん(センセという愛称が好きなので、以降はセンセと書きます)が亡くなって2年が過ぎました。2年前の8月1日に行われた「偲ぶ集い」のことが思いだされます。あの集いはよかった。センセのことを心底敬愛する人たちだけが800人も集まってセンセのおもいでを語りあい、最期に花を1本づつ捧げました。全員の気持ちがひとつになった心に残る会でした。

 集会のあと、ひとりになって、センセが長年お世話になった病院や散歩コ-スの河口近くの堤防、中津城、福沢諭吉記念館そして実家あたりを歩きまわりました。はじめて行く土地でしたが、エッセイ集のおかげで旧知の土地のように歩きまわることができました。センセのファンならセンセの周囲のことは、家庭状況まで含めてなんでも知っているような気がするのです。

 そして、6月17日のセンセの命日にあわせて、その前後に毎年、竜一忌を梶原さんを中心に「草の根の会」の主催でおこなうようになっています。

 さて、ことしで2回目の竜一忌が6月18日に中津でおこなわれました。うっかりそのことを忘れていて、新聞で知ったのでしたが、いつまでもセンセのことをたいせつにしてくれている「得さん」こと梶原さんに暑中見舞いをかねて礼状を出したところ、おもいがけず、梶原さんから分厚い封筒が届きました。

 中身は竜一忌の配布資料と新聞の掲載記事でした。むかし、ちょっとだけ「草の根」の読者であり、センセの一ファンにすぎないわたしに丁寧に資料まで送ってくださるとは。そういう暖かい心づかい、配慮が「草の根」のひとたちの特性のような気がします。だからこそ、「草の根通信」という機関誌・ミニコミ誌が30年以上も続くという奇跡のようなことがおこったのでしょう。

 センセ自身がそういう人だったようにおもいます。わたしが「草の根」と縁をもつようになったのは、ハンセン病患者の国家賠償裁判で、国が控訴を断念した(この件は小泉さんと坂口大臣の功績として評価できます)際、センセに喜びのハガキを出したのがきっかけでした。センセはハンセン病患者である詩人のことを題材に、国のこの病気に対する政策を批判した作品があり、この問題に関心があるだろうな、というおもいからでした。わたしはハンセン病への問題意識からというより、センセの大ファンとしてともに喜びたいという気持ちで出したハガキでした。

 それ以来、「草の根通信」の読者となったのですが、購読料を振り込むと、必ずセンセからの手紙が届きました。振込みを確認したことと、時候の添え書きのあるもので、さすがに、文面は手書きではなく、コピ-したものでしたが、おそらく全国二千人か三千人かの読者におなじように手紙を出していたのだと推測します。「筆まめ」というか「律儀」というか。

 梶原さんも「律儀」さではセンセにひけをとりません。センセが病気で倒れたとき、カンパを呼びかける通信にこたえて、ささやかなお見舞いを送金したとき、梶原さんから受領を確認する礼状が届きました。このときのカンパは、かなりの人数が応じたそうですので、礼状のあて名を書くだけでもたいへんだったはずです。

 「律儀」なひとは好きです。遠来の客をもてなすこと、つねに律儀であること。センセや梶原さんに代表される「草の根」のいいところにあやかりたいもんです。

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コメント

 人から受けた恩はすぐ忘れます。でも、うらみつらみは、なかなか忘れません。人間はつごうよくできています。
 ナカタさん、引退後の進路は決まりましたか。

投稿: ブロ長 | 2006年7月14日 (金) 15時48分

ヒラカワ設計士さんは勉強家ですね。私は二人とも知りませんでした。人の恩に感謝を忘れないように努力をしないといけません。そういうものに私はなりたい。

投稿: ナカタ | 2006年7月14日 (金) 15時28分

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