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2006年6月24日 (土)

月桃と『真振』まぶい

「歌って踊れる建築家になりたい」なんて、まだまだ修行中のころは、そんなことを冗談っぽく言っていた。わたしは踊りはともかく(?)歌はさっぱりであり、典型的な音痴というやつだろう。自分ではそう思わないのだが、まわりはみな、そう言う。でも、音感がないことは自覚している。わたしは、歌のメロディ-を記憶して歌っているだけで、この音はドなのかレなのかソなのかまったくわからずにいる。

さすがに、自分の子どもがそれではかわいそうだとおもい、それに、わが家にもひとりくらい音楽のできるやつがいてもいいなという気分で、下の子をピアノ教室にやっている。先日、その教室の発表会があり、なんと、わたしを含めて家族みんなでアンサンブルと称して、一曲披露してしまった。ふたりの子どもはキ-ボ-ドとリコ-ダ-、わたしはギタ-、奥さんはボ-カルという構成。

曲目は「月桃」。知る人ぞ知る、とても美しい歌だ。あまりに美しいので、毎朝、わが家の前をぞろぞろ通る集団登校の小中学生にもぜひ聞かせてやろうとおもい、道路に面した2階の窓辺にラジカセを外向きに置いて、毎朝30分くらいづつ、1週間ほどこの曲だけ繰り返し流していたことがある。ちょうど、自衛隊のイラク派遣が決まろうとしているころだったか。

この曲は、海勢頭(うみせど)さんという沖縄の音楽家がつくったもので、たしか沖縄戦を描いた映画のための曲だとおもう。先日、飲み屋のカラオケでこの曲を探してみたら、あるにはあったが、沖縄民謡として紹介されていた。民謡ではないとおもうが。

それはさておき、わたしがこの曲を知ったのは、藤原書店という硬派な出版社から出ている『真振』(まぶい・と読む)という本を買ったら付録でCDが付いていたからだ。この本は海勢頭さんの生い立ちと哲学が、沖縄の美しいモノクロの写真に織り込まれるように語られている。

沖縄は悲惨な侵略の歴史を含めて、地理的な条件もあり、文化的な厚みがおおきく深い。だからだろうか、ときにすばらしい思想家が出てくる。文化や芸能だってその人の思想の表現であるから、音楽家にもすばらしい人が多々出てくるのだろう。

さて、発表会はなんとか終わった。小さな会場で観衆は560人くらいのものだ。全体の「月桃」の評判はけっこうよかったようだが、ギタ-のできはイマイチだった。この曲はギタ-のコ-ドじたいはとてもシンプル・簡単なものだが、なにせ、高校生のときに半年ほどで見切りをつけて以来、約30年ぶりのギタ-であるので、ここ1ヶ月くらい毎日練習はしたものの、やっぱりFの音は半分もでてなかった。

623日またず、月桃の花・・・」というフレ-ズが『月桃』の曲にある。623日は沖縄における戦闘終結の日である。昨日、小泉さんも出席しての慰霊祭のようすをテレビで流していた。月桃の花はまだ咲いているのだろうか、久しぶりに沖縄に行ってその姿を見てみたい。沖縄はいい。ハブがいなければなおいいが。

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