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2006年6月22日 (木)

都城島津家 訪問

 島津家といえば、戦国の強力大名であり九州の雄である。明治維新の原動力であり、数多くの英傑を輩出している。その島津家の発祥の地とされる宮崎県の都城市に、都城島津家という殿様の家系がある。殿様とはいっても、薩摩藩内の支藩のひとつであり、一般的にいう大名というわけではない。しかし、石高 五万石程度を誇り、れっきとした小、中大名に匹敵する権勢を誇っていたたのである。

 今回、縁があってその島津家当主の屋敷の一部を見学する機会を得た。べつに、殿様の家系をあがめたり、豪華さをいいとおもっているわけではないが、わたしも建築家であるので、上質の空間や雰囲気には強い関心があり、好奇心もたくましいのである。近代和風の粋を凝らした邸宅ならよだれが出るほど好きだ。また、昭和48年にここには天皇・皇后両陛下が宿泊した由緒もある。格式でいえば、南九州有数のものであろう。かねてから見学を望んでいたのであった。

 ちなみに、この島津家の現当主である久厚氏は、たぐいまれな人格高潔の士であり、数々の要職を歴任する、日本でも相当なクラスに位置する巨人のひとりであることだけは申し添えておこう。

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島津邸 玄関前のアプロ-チ

さすがに風格がある






 この本宅は昭和10年の陸軍の大演習の際に建設されたそうだ。そういえば、3年ほど前に訪れた都城市高城町の豪商、後藤家本家も、そんな来歴だったような記憶がある。戦前は軍都として聞こえた都城らしいといえばいいだろうか。

 屋敷の総敷地は5000坪ほど。邸宅も庭園もさすがにすばらしいものだった。敷地内には、たくさんの建造物が建っているが、その中でもっともおもしろい来歴をもつのが、道路そばに建つ木造の小屋である。

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 この小屋は慶応年間のものだというから、ざっと140、150年ほど前のものということになる。もともとここにあったのではなく、剣術で名高い江戸の千葉習作道場で修行を積んだ当地のワタナベコウスケだったか(わたしの記憶違いかも)という人物が都城市内に剣道場として建てたものを後年、ここに移築したものだそうだ。とうぜん、外壁や屋根材などは後年の補修がかかっているだろうが、柱梁などの基本構造材は慶応のもののようだ。

 現在は物置小屋のように使われているが、おそらく、古さだけなら市内でも有数のものだろう。よく空襲や台風などを乗り越えてきたものだと感心する。

 そんなこんなで、とてもウンチクに富む楽しい体験をさせてもらった。じつは、わたしは歴史もけっこう好きなのだった。関係者のみなさん、ありがとうございました。

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