2012年1月29日 (日)

吉松邸/串間

  串間市にある吉松邸。大正時代に建てられた豪勢な住宅であり、平成20年に国の重要文化財に指定された。吉松家は串間市の政治経済に重要な役割を果たしてきたという。その権勢を誇るべく、市内の中心地に豪壮な館を建てた。

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白いしっくい壁の蔵と対面して主屋が建つ。その間を奥に通路が伸び、付属棟が数棟並ぶという構成。右端の写真は表門からみた主玄関であり、ここが使用されるのは年に数回あるかないか、だったらしい。看板の右手の建具が店の入り口であり、館内の見学を希望する人はここから入場する。その奥に住宅としての普段の玄関もある。

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吉松邸は串間市役所に隣接してあり、市役所側からもアプローチできる。左の写真は市役所側に建つ蔵であり、廻りこんで上術の写真でみた通路にいたる。中の写真は斜めに主屋と通路で結ばれた付属棟であり、かつてはビリヤード場だったか舞踏会場として使用されてそうだ。右端の写真は屋敷内に隣接してある愛宕社。

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案内看板と重要文化財の指定書。指定の理由は豪邸の精緻な意匠性であるという。建物は外部の通路に面して二階建ての店と住宅部が建ち、それに直行して仏間棟と玄関棟が南側に伸びる。そして玄関棟のさらに先に主座敷と風呂、離れ的な小部屋が付けたされたように奥に配置される。

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仏間棟の中心にある仏間。中央に仏壇、両脇に神檀が鎮座する。仏壇には精緻な彫刻が施されている。左右の神檀は右が妻入り、左が平入りという型式。仏間の左側には二間つづきの座敷になっていて、現在は串間市の歴史資料が展示してある。

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玄関に続く座敷と応接室、洋間。青竹の緑が鮮やかなのは玄関の障壁画。保存状態はよく、この邸の目玉のひとつになっている。

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この建物のもっともハレの室である主座敷。15帖と10帖の二間続きになっていて、天井高さも3.5mほどあり、縁側がぐるりと取り囲む。

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主座敷のさらに南側に離れ的な小部屋があり、左の写真の廊下を渡って左手に入口があり、右側は浴室になっている。中の写真はこの廊下の入口にある雨戸の戸袋を開閉するための小開口の意匠。櫛形に壁がくりぬかれている。右写真は離れを外部から写したもの。吉松家はこの地域有数の材木商でもあり、この部屋は都井岬を領有していた秋月家の家臣の詰所として使用されていたこともあるという。

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各室に使用されている襖の意匠のなかから3種。紙ではなく、布地のようだ。

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写真では見づらいかもしれないが、特筆しておきたいのが建具金物。機能はクレセントと一緒であるが、建具の縦桟に埋め込んであるので見た目がとてもすっきりしている。昔の引き違いのカギというと、ねじ込みくらいしか知らなかったが、大正時代にこんな金物があったのだろうか。各室をぐるりと囲む縁側の建具は、全てこの金物であり、ちゃんと動く。

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縁側部の庇と、上部の主屋根とでは瓦の寸法が違う。庇部は小さい瓦が使用されているのがこころ憎い。

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急ではあるが登りやすい階段を上がる。中間に踊り場的なつくりがあり、両側に動線が振り分けられているおもしろい階段だ。右の二枚は2階の座敷。

時代の移り変わりにより、この主家は没落し豪壮を誇る屋敷も荒廃し売りに出されることとなる。それを串間市が買い取り、市民のための施設として再生したのが5,6年前のこと。そして3年前に重要文化財となった。串間市の宝としてたいせつに使われるだろう。

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2012年1月18日 (水)

建築の美といのち・塔の提案/岩切平建築展

建築家 岩切平さんの巡回展です。

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延岡、高鍋、串間の三か所で開催されますが、延岡はすでに終了しています。

高鍋美術館:1月20日~22日まで

串間市吉松邸:1月27日~29日まで。

それぞれ、なか日には岩切さんのトークタイムも予定されています。

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2012年1月15日 (日)

<訃報>菊竹清則さん・その2

菊竹さんの訃報が報道されてから1週間が経過した。新聞各紙の訃報記事を収録しておきます。

報道では、後日、お別れの会を開催とのことだが、まだ詳細は決まっていないようす。

ご冥福をお祈りします。

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左上から南日本、毎日、宮崎日日、西日本、讀賣、朝日の各紙。

いつも文化欄に強く、市民会館の記事が充実していた南日本新聞が、いちばん小さい扱いだ。西日本の扱いがいちばん大きく、磯崎さんのコメントも紹介されている。市民会館の写真が載っているのは西日本と朝日の2紙。全紙に都城市民会館のことが代表作あるいは主要な作品として紹介されている。

各紙のPDFデータも下に収録しておきます。

「File0001.PDF」をダウンロード

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2012年1月10日 (火)

ソーラーパネルのある風景/宮崎ソーラーパーク

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宮崎県は日照率の高い地域のひとつだ。所得の低さも全国で有数である。だからどうだかはわからないが、太陽光の利用は昔からさかんであり、たいていの住宅には太陽熱の温水器が載っていた。

さいきんでは太陽光発電パネルが主流なのだろうが、こちらは本体価格が高いので温水器ほどの普及率はない。でも、昨今の電力・社会情勢から考えると、今後ますます普及してくるだろうということは予測できる。

写真は宮崎県の中央部、清武町にあるソーラーパネルを製造する大きな工場。ソーラーパネルの工場としては、世界最大級であるという。その工場に隣接して天然芝のグラウンドとテニスコートがあり、地域に開放してくれている。社会貢献のひとつだろう。また、隣接して場内にはたくさんのソーラーパネルが設置してある。どれほどの電力が生み出されているのか知らないが、県内でも有数の規模だろうとおもう。

この会社の製品は、薄膜型パネルといい、パネル全面が黒い発電膜で覆われていて、住宅の屋根によく見かけるガラスで覆われたパネルとは太陽電池のシステムが若干異なるようだ。パネルの表も裏も見た目にはシンプルそのものである。

宮崎にはソーラーパネルがよく似合う。緑の芝もよく似合う。

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2012年1月 5日 (木)

訃報/菊竹清則さん

<訃報>菊竹清訓さん83歳=メタボリズム提唱の建築家

画期的なデザインの住宅「スカイハウス」の設計や前衛的な建築運動「メタボリズム」の提唱者として知られる世界的建築家の菊竹清訓(きくたけ・きよのり)さんが12月26日、心不全のため死去。83歳。葬儀は親族だけで済ませた。後日、お別れの会を予定している。

 福岡県生まれ。1950年、早稲田大学建築学科を卒業し、25歳で事務所を設立。58年完成の「スカイハウス」は、明快な構想と大胆なデザインで近代住宅の金字塔と言われた。

 60年に建築家の故黒川紀章さんらと共に、建築を有機的に新陳代謝する生物になぞらえた「メタボリズム」を提唱。「出雲大社庁の舎」(島根県)で63年の日本建築学会賞を受賞。05年に開かれた愛知万博の総合プロデューサーなども務めた。代表作に大阪万博のランドマークタワーや都城市民会館(宮崎県)、江戸東京博物館など。

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以上は毎日新聞のWEBサイトに載っていた記事。代表作に『都城市民会館』とある。

数年前、まだ市民会館の保存が決まっていない時期(解体が決まっていた)、「市民会館厄払い」と称して市民会館の展覧会を開催した際、菊竹氏から電報とスケッチを送ってもらったことを思い出す。

氏の情熱が呼び起こしたのか、メタボリズムの奇跡のように会館は残ったが、できれば市民の会館として、再オープンして利用されている姿を見てもらいたかったな。

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2011年12月31日 (土)

スチールドラゴン

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スチールドラゴンとかってに名付けている鉄製の彫刻作品である。

作者は不詳、名のある人かもしれない。なぜこの場所にあるのかも知らない。知っている人がいたら教えてほしい。羽部分の下の方に丸く縁取られたサイン状のものがあり、Syd・・・と読めるようだが?

もともとは10mほど東側の植え込みに隠れるように置いてあったのだが、1,2か月ほど前に、道路からよく見える位置に移設された。来年は辰年なので、お披露目となったのかもしれない。

鷹尾から市街に下る幹線道路の坂道沿いに置いてあるので、知っている人も多いだろう。街なかにこんな彫刻が何気に置いてあるなんてステキなことだ。

※写真の左は移設前の写真(2年前に撮影)

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2011年12月21日 (水)

都城市民会館と女性議会

先日(11月15日)都城市女性議会が開催され、市政に関心の高い数人の女性が市長はじめ市の幹部に質問をしたようです。そのなかに市民会館に関する質疑応答がありましたので関連する部分だけ抜粋して紹介しておきます。かなり専門的でレベルの高い質問をされています。Sさんてすごいですね。

以下、発言の要旨録から

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問:こんにちは。小松原地区在住のSと申します。

 先ず、都城市民会館の利活用についてお尋ねします。菊竹清訓氏の設計による都城市民会館は1966年に開館し、総合文化ホールが開館するまでの約40年間、都城の“文化の殿堂”の役目を果たしました。

 2007年10月「南九州大学が大学会館として利用する」ということで保存が決定し、翌2008年夏、9千万円かけてアスベストが除去され、あとは大学側に託されたと思いますが、市民会館の現状と今後の予定で決まっていることがあればお聞かせ下さい。

 また、建物の内部見学等の申込みやお問合わせについて、どこがどのように対応して頂けるのかも合せてお聞かせ下さい。

答弁:企画部長より

 ① 旧都城市民会館の現状と今後の予定

 旧都城市民会館の現状については、大学側で施設の警備、敷地内庭木の手入れなど通常の管理を行っている。

館内の状況は、新燃岳噴火災害時に支援物資の保管個所として、一部を市が使用させていただいたが、現在は全て搬出済みとなっている。 

 旧会館の今後の利活用については、平成23年5月24日に「旧都城市民会館利用検討委員会」を学内に設置され検討を進められている。委員会は、これまでに2回開催され、今後、現地調査を行い、活用方法や活用開始時期などの具体的な検討を進める予定である。検討過程で、技術的な専門知識が必要な部分については、建築の関係機関の協力を得ながら、検討を進めていくと伺っている。

 ② 都城市民会館の見学申し込み、問い合わせ先について

  建物の内部見学会等については、南九州大学都城キャンパスにお問合わせていただきたい。

 南九州大学都城キャンパス (代)0986(21)2111

問: (Sさん)

 見学等のお問合わせや対応は、南九州大学の方でして下さること確認しましたので、建築関係者の方々にお伝えしておきたいと思います。

  今年の秋、二つの展覧会により、東京から世界に向けて、都城市民会館が発信されました。行って来ましたので、ここでご報告いたします。

 (フリップ一枚目を出す)

 この資料は、docomomo japan(ドコモモジャパン)事務局より送って頂いた写真データをパネルにしたものです。docomomo(ドコモモ)とは、モダンムーブメント建築を調査記録し、保存を提唱する国際組織で、その日本支部は150を選定建築物としており、都城市民会館はNo120として選ばれています。

 9月23日から10月3日まで東京駅から丸の内オフィス街へと続く、広く長~い地下通路のギャラリーで、「docomomo japan150 未来への遺産展」が開かれました。その様子です。

(フリップ2枚目を出す)

 展覧会の九州のブースです。ここに都城市民会館が展示されています。下に工事中と竣工時の古い写真がありますが、これはdocomomoの依頼により都城市から提供された写真で、95枚の中の2枚が使われたものです。ちゃんと「都城市役所所蔵」と明記されていました

(メタボリズム展のパンフレットを出す)

 もうひとつの展覧会は、六本木ヒルズ、森美術館で開催中の「メタボリズムの未来都市展」です。

 メタボリズムとは新陳代謝を意味します。建築や都市を環境や時代に合わせ変化=新陳代謝させていきましょうというものです。都城市民会館はその形に目が行きがちですが、メタボリズムを具現化した建築として高く評価されているものです。

 このパンフレットには、開くとここに、会館の写真がのっています。

(メタボリズム展の図録を出す)

 こちらは、展覧会図録です。裏表紙のここに会館の写真があります。

(図録の中を開くP113)

 写真や設計図面、そして会館の模型も展示されていました。来年1月15日までですので、東京に行かれる方は、ぜひ森美術館へ足を運んで頂ければと思います。

 あと5年すれば、市民会館は築50年を迎え、日本の文化財指定にのっかってきます。その国の文化財指定があれば世界遺産を狙えます。都城市民会館がどんな新しい使命をもらい、どんな風にリニュアルされ、どう利活用されて行くのか、全国の建築関係者が注目しています。 南九州大学にも期待していますが、、、大学は借主、大家さんは都城市。会館は市民の財産です。近い将来世界遺産の可能性もある、世界に誇れる建築物ですから、それにふさわしい新陳代謝をさせ、次世代へと引き継いでいって欲しいと希望します。

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引用は以上です。パチパチ(拍手)!

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2011年12月14日 (水)

都城市民会館見学会・稲門鹿児島会

閉館して間もなく5年、都城市民会館はいまどうなっているのだろう。

先日、都城市民会館の見学会があり、わたしは参加できなかったが、その時のようすを知らせてもらったので紹介しておきます。11月26日に鹿児島稲門会の見学会があり、その時の写真です。

稲門会とは早稲田大学のOB会であるようだ。全国から俊英が集まる大学であるから、各地にOBも多数いることだろう。今回はその支部の鹿児島会から建築関係者が見学に訪れたものだとおもう。

現在、会館を管理している南九州大学から丹澤事務局長他が案内役をつとめ、都城市民の会館ファンも数名同席されたようだ。

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まだ現在は会館としてではなく、倉庫としてしか利用はされていないようだ。会館が閉鎖されてからすでに5年になろうとしている。大学に貸与するかたちで保存が決定してからちょうど4年が経過した。来年あたりは会館として活用されることを期待したいが。

写真はすべて市内在住のSさんが撮影したものです。

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2011年12月 7日 (水)

スギシンポジウム 第10回

宮崎県木材技術利用センター恒例のスギシンポジウムが今年も開催された。例年だと宮崎市開催が多かったが、今回は節目の第10回ということでか、おひざ元の都城市のウエルネスホールが会場であり、楽をさせてもらうことができた。

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記念すべき10回目は、歴代所長の特別講演からはじまる。

まずは初代の大熊先生。創設時の2001年から2003年に所長をつとめられた。講演の内容は木材の集成材のはなし。通常の集成材は断面的には横に細長い材を積層して集成している(仮にヨコ使いとしておく)。樋口先生の研究しているのは縦に細長い断面の材を横方向に集成するもの(縦使いとする)。先生の言葉としては、これを「スギ合わせ材」という名称で呼ぶ。通常のものとは90度方向性が異なっているので、梁成が180ならその構成材も180の成(せい)が必要になる。これまでは小径木を積層することで大径木を上回る安定性と強度をつくりだすことがその目的だったのだろう。かたや、縦使いだとそのメリットが伝わりにくい気がするが、比較的大径木の材料を使用することになるので、森林に豊富にストックされている大径木の有効活用につながることが期待できるだろうし、接着面が横からは見えないので意匠性も高まる。接着剤の使用料も大幅に減らせるなどのメリットがあるようだ。また、同寸のムク材に比較して、集成前の厚板の段階で乾燥できるので、乾燥の効率化にもよい。

基本的に3枚で合わせる構成なので、巾が120だと一枚が40ミリ、105だと35ミリの厚板で構成することとなり、梁成が150~300程度が一般的な寸法であり、厚板寸法35×150、40×300くらいまでの厚板を使用することになる。これだと、他にも転用のきく汎用性の高い厚板であり、一般造作材、床デッキ材、足場板など、他の一般的な用途によく使用される寸法でもある。これが氏の研究の主旨であるようで、厚板市場というものを活性化し、木材の需要増を喚起させたいのが狙いである。北米で主流のツーバイフォー材が日本のホームセンタ-に多く出回っているが、それは住宅の構造材としてだけ買われているわけではない。棚や家具、造作など日曜大工の手ごろな材料として多くの人が購入しているのである。ぜひ、この研究が実りあるものとなることを期待したいとおもう。

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次に、二代目所長の有馬さんによる講演。大熊さんの詳細的な研究発表とは異なり、有馬先生は木材の総合的な見地からの分析報告だった。木質構造の変動の分岐点として、時代を20年ごとに区切り、それぞれ交互に静の時代と動の時代とに区分けする。1,973年がその基点となるのだが、これは伊勢の20年ごとの式年遷宮と一致する。これだと現在は1994年から続く静の時代であり、2014年から動の時代に切り替わることになる。間もなくだ。

木材の総需要、国産率、為替レートと木材価格の相関など、多くのデータが紹介され、それぞれの静と動の時代との関連などを説かれた。興味深い考察である。

このあと、宮崎県で活躍する木材の関係者による事例発表が4件続く。建築家、木材屋さん、行政の方などである。懇意にさせてもらっている串間市のレモン設計の河野さんの発表もあった。また、木都(木材の都の意)都城の中でも有数の木材業者である木脇産業社長の発表もあった。同社はプレカット製材にも先進的に取り組んでいて、都城の材木を製材加工し、九州一円に出荷している会社でもある。

関西方面で手広く住宅をつくっている会社(ゼロコーポレーション)社長の発表もあり、近年、宮崎県のスギを構造材として扱うようになったとのこと。それまでは輸入材が主であったようだ。造作材としてならともかく、構造材には地元の木がいちばんだとおもう。その地域、風土で育った木が住宅の構造材として安定して強度を維持することができる。他の地域で育った材が、温度、湿度などまったく異なる環境下でその性能強度をじゅうぶんに担保できるのか疑問であるからだ。しかし、実質は日本の住宅は輸入材に頼っていて、その主要な原因はコストであるという。節や意匠性なども要因にあるようだが、その点は消費者に説明し、クリアできているとのこと。

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最後はパネルディスカッションで締めることになる。ディスカッションとは討議のはずだが、このようなイベントのパネルディスカスで討議になることはほとんどない。自分の意見を述べるだけで、他人の意見には当たり障りのないコメントで終始するのが常である。

それがいいのか悪いのか判断は難しいところだろうが、聴衆としてはつまらない。今回もその例にもれずというところだったが、時間がおしていて、十分討議する時間がなかったこともある。

長く館長をつとめた有馬所長に代わり、三代目の所長には飯村氏が就任したことを知った。氏はセンター発足時からの研究者であり、それまで三井木材にいた人である。木材のスペシャリストであり、グローバルにかつローカルに木材を語れる優秀な研究者であることは承知している。

できれば、今回のシンポジウムでもっと新所長としての抱負や知見を披歴して欲しかった気がするが、前二代の所長がいたせいか、今回は遠慮がちのようだった。

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2011年11月19日 (土)

旧沖縄少年会館

沖縄は那覇市にある、ステキな建築を教えてもらったので紹介しておきます。

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1966年の竣工というから、都城市民会館と同い年だ。この年はまだ、沖縄は米軍の統治下にあった。戦後の傷も癒えないこの時期、沖縄の子どもたちの劣悪な教育環境を憂いた関係者の尽力と、全国から想定を超える48万ドル(当時1億7千万円)の寄付金でつくられたという。

その建設母体となったのが「沖縄子どもを守る会」であり、沖縄少年会館として運営を開始する。沖縄は島が多い。離島から本島へ来る用事があっても、経済状況やホテルの不足などでなかなかままならない人たち、子どもたちの宿泊施設でもあった。また、当時としては珍しくプラネタリウムや鉄道模型のジオラマも備えた最新の科学館でもあった。

設計は宮里栄一さんという沖縄出身の建築家であり、前川国男のもとで修業をしたという経歴をもつ。その当時、コンクリートの打ち放しが時代の傾向であり、この建築もそれを踏襲している。最上部の大きな庇など、ところどころに曲線を使用し、当時の沖縄の施工技術の高さも物語っているという。

そしてなにより、米軍統治下の沖縄が本土復帰をめざし、沖縄のアイデンティティーをたいせつにした文化的背景を色濃く感じさせるデザインでもあるという。だから建築が都市の魅力的な景観と文化をかたちづくるもとになる。

やがて、運営の主体は「沖縄子どもを守る会」から那覇市に移管され、建物も市に寄贈されたようだ。そして沖縄の復興とともに施設も充実してきたこともあり、公民館・図書館・児童館として近年は使用されていた。

以上、上の写真は沖縄の建築家・照屋寛公(てるや・かんこう)氏から提供してもらったものであり、文章の内容は琉球新報に載った同氏の記事をもとにしています。

いい建物を教えてもらってありがとうございます。ちかいうちに、必ず見に行きます。できれば建築仲間をたくさん連れていきたいです。建築士会に相談して、恒例の研修旅行を沖縄にしてもらえばもっといい。沖縄には他にもいい建築がたくさんあることだし。

沖縄は悲惨な体験をいっぱい経験しているからだろうか、文化的な厚みが大きいように感じる。文化をたいせつにする土地がらでもあるのだろう。沖縄には独特の文化がある。きれいなビーチもいいが、この文化とアイデンティティーがこの島の大きな魅力である。

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2011年11月15日 (火)

メタボリズムの未来都市展

東京の森美術館で開催中のメタボリ展のパンフレットをS女史からいただいた。A4の用紙を4枚横につないだ力の入ったチラシだ。裏面にはメタボリズムの概要がイラストで開設されているので、ここに収録しておこうとおもう。いい勉強になる。上のふたつはパンフレットの表紙と市民会館の写真がある部分。

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下写真4枚の解説チラシをみていると、メタボリズムは現在の東北の復興にも寄与できるのじゃないかとおもえてくる。たぶん、展覧会の主催者もそう考えただろう。この展覧会はUIA世界大会が東京で開催されることを記念してのものなので、その企画は震災のずいぶん前からあったはずである。ただ、その準備中(大会も含めて)に未曾有の震災があり、その後、構成や内容に若干の見直しが加えられたのかもしれない。

もちろん、当時のメタボリズムがそのまま現在の復興に使えるとはおもわないが、そのビジョンやディテールのひとつひとつに、復興に役立つヒントがあるだろう。現在のチマチマ閉そくした感のある社会に向けて、ドーンと気宇壮大な復興プランをぶちかますのもいい。東北と日本に元気をもたらそう。いまこそ建築家の出番なのかもしれない。

会期は来年の1月15日まで。ちょうど残りあと2カ月。

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2011年11月 8日 (火)

成田山 久留米別院

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九州道を福岡に向けて北上する。すると、久留米あたりで左手に、白い大きな観音様が見えてくるのは御承知だとおもう。その観音様に行ってみた。

正式には成田山新勝寺久留米別院というらしい。千葉県にある成田さんは全国的に著名な寺院であり、格式も露出度も高い。その別院ということでたくさんの信者と資金を擁しているのだろう。

駐車場からだらだらと坂を上り、門をくぐって広場にいたる。目の前には観音様がそびえ立っている。さすがにでかい。

なんと、観音様は内部に入り、上まで上がれるようになっていた。上の写真がその内部である。観音様のスカートの裾の裏手から内部にもぐり込むようになっている。すると、白い体内にラセン階段が延々と延びている。たしか、60メートルほどの高さがあるそうで、最上階の展望台は首なのか顔なのかよくわからなかったが、たぶん50メートルほどの高さはあるだろう。通常のビルに換算して約15階ほどの高さに相当しそうだ。一般のビルならけして階段を上がろうなどとはおもわないが、観光地または建築見学となると平気で登れるから不思議だ。

最上部まで行くと、展望台ほどのスカイビューではないが、小さな窓から久留米市街のようすを眺めることができる。4枚目の写真がその状況。

観音様の隣にはストゥーパ(たしか?)がある。(上の茶色の写真。)こちらもかなりの大きさ。

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上の写真は観音様を裏から見上げたところ。さすがに観音様だ、情け深いお姿をしておられる。おもわず手を合わせてしまった。

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2011年11月 1日 (火)

農家レストラン「花暦」/都城市高崎町

知人から古民家のレストランがあると聞いて行ってきた。場所は高崎町、都城市街から国道を高崎に向いて走り、コメリから左折、橋を渡って小さな看板があり、右折して100メートルほど。

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約千坪の広い敷地に、レストランとなっている母屋を中心にいくつかの施設が建ち、緑豊かな庭が取り囲んでいる。

わたしのイメージする古民家とは若干違ったが、まぎれもない古い豪邸であり、築90年余だという。大正の中期くらいだろうか。

このレストランのオーナーの女性は著名な人のようで、これまでにいくつかの雑誌や本で紹介されている。また、ご自身の書かれた本もある。その人生は波乱万丈であり、都会での裕福な生活から一転、宮崎県に里帰りしてから無一文でのビニールハウス暮らしなど。このレストランのできるまでの誕生話もエピソードにあふれていて、ドラマチックいっぱいであるようだ。(店内に置いてあるたくさんの本・雑誌から知った)

ランチのメニューは、しゃぶしゃぶ、しょうが焼き、豚カツ(すべて黒豚使用、各1000円)の3種類で、わたしはしゃぶしゃぶを食べた。次回は勝利を願って豚カツにしよう。

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建物は大まかに二分でき、高い天井の貼られた豪勢なつくりの田の字型座敷部と、土間から厨房につながる取りつき部とである。こちらは、天井はなく、上の写真のように黒光りする梁、桁材がむき出しになっていて古民家の迫力を出している。

レストランのオーナーはこの建物に惚れ込み、元の持ち主から譲渡を受けたという。その迫力と誠実さが相手に伝わり、奇跡のように願いがかなったと本に書いてあった。座敷の精緻な細工ものもすばらしいが、この骨太の迫力こそがその魅力の源泉だったのだろう。

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2011年10月26日 (水)

ソニー銀行

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「銀行マン」のいない銀行が4年連続顧客満足度1位になる理由/上坂 徹著/幻冬舎刊/2011年8月/1300円+税

長いタイトルの本だが、読者の気を引くにはいい。わたしもつい、引かれてしまった。

ソニーと銀行、なんだか不思議な取り合わせだ。ソニーが銀行をつくり、しかもネットだけの銀行であることはなんとなく知っていた。銀行としては50年ぶりの新規開業だそうだ。優良企業の余裕の多角化の一環であろう程度にしか考えていなかったが、さすがはソニー、しっかりその革新性をアピールしてくれている。

なぜ銀行は3時に閉まるのか、なぜ自分の金を引きだすのに平日の昼間に行列をつくって、あるいは休日に金を払ってまでしなくちゃいけないのか。預ける利子は雀の涙のくせに、借りると暴利をむさぼる、こんな殿様商売は銀行くらいだろう。なぜみんな不思議におもわないのだろうか、そんなもんだと慣れ切ってしまっているのだろう。

以前、山本夏彦氏の著作で、かつては銀行員は借金取りの冷血漢だと嫌われていて、嫁のもらい手に苦労した時期があり、高給取りだが人に嫌われるところでバランスが取れていたが、現在ではかたい職業の高給取りとして結婚相手に困らないのがおもしろくない、というような文章を読み、なるほどなとニヤリとしたことがある。

たしかに、これまでの銀行は顧客のことなど考えてはいなかったようだ。旧態依然とした保守的な金貸し業では、護送船団方式に守られて考える必要もなかった。本書もそう指摘し、ソニー銀行に他行から移ってきた中核社員たちのコメントにもそうある。だから、ソニーがつくる以上、銀行は徹底的に顧客志向である。さすがはソニー、それまでの常識をすべて疑い、顧客の望む新たなカタチを示してくれる。

ソニー銀行のめざす顧客は自立した個人である。銀行のいうがままに資金を動かす人物ではない。自分で考えて自分の貴重な資産の運用を判断できる人だ。だから必要な情報はすべて開示するが、こうしなさいとは言わない、自分で判断してもらう。そして正当な対価として利益をあげる。

ここまではユニークかつ秀逸な銀行として支持されてきた。ただ、まだ規模は小さい。これからソニー銀行がどういう方向へ舵を切るのか注目である。いつまでユニークさを維持できるか、長じればなんとかで、いつまでもこのままではいかないかもしれないが、「さすがはソニー」と革新性に期待する。

できればこの銀行でローンを組んだり資産を預けてみたいが、貧乏事務所につき縁はなさそうだ。

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2011年10月19日 (水)

「DOCOMOMO Japan 150-未来への遺産 Future and Legacy展」

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都城市在住のSさんが東京で開催中のDOCOMOMO150選展の写真を送ってくれた。

上左は会場である丸の内の行幸地下ギャラリーの全景、上右は都城市民会館の展示コーナーであるようだ。特徴的なあの屋根と会館の全景とともに、建設中とおぼしき写真も展示されているように見える。(11月1日に下の写真3枚を追加)

現在、docomomo Japanでは近代建築の優れた遺産として150をリストアップしている。そのなかで、九州にあるものは、以下の12でしかなく(最初の数字はドコモモの選定番号)、ほとんどの近代建築遺産は東京や大阪などの大都市圏とその周囲に存在しているのであり、九州におけるこの12の遺産がいかに貴重なものであるかがわかる。また、そのなかでも南九州(ここでは鹿児島・宮崎の両県)に限っていうと、内之浦のロケット基地と都城市民会館のふたつしかない。

048  熊本逓信病院(NTT西日本九州病院)/山田守/戸田建設/1956年/熊本

055  聖クララ教会(与那原カトリック教会)/片岡献/教会信者/1958年/沖縄

070  長崎市公会堂/武基雄/大長崎建設/1962年/長崎

073  日本二十六聖人記念館 聖フィリッポ教会/今井兼次/大成建設/1962年/長崎

082  大分県立中央図書館(大分市アートプラザ)/磯崎新/後藤組/1966年/大分

092  親和銀行本店/白井晟一/竹中工務店/1期1966年2期1969年/長崎

097  佐賀県立博物館/第一工房+内田祥哉/松尾・住友建設共同体/1969年/佐賀

108 九州工業大学記念講堂および事務棟/清家清/大成建設/1960年/福岡

120 都城市民会館/菊竹清訓/鹿島建設/1966年/宮崎

121 那覇市民会館/金城俊光+金城信吉/前田組/1967年/沖縄

132  東京大学鹿児島宇宙空間観測所(内之浦宇宙観測所)/
   池辺陽+東京大学生産技術研究所/銭高組/1962年/鹿児島

146 佐世保無線電信所(針尾送信所)無線塔1号塔・2号塔・3号塔および通信局舎
(佐世保海上保安部針尾送信所)/臨時海軍建築部(吉田直)/臨時海軍建築部/1922年/長崎

今回の展覧会は建築家の兼松さんがキュレーターをつとめ、地域別の展示構成にしたと氏のブログにあった。ということは、上の写真の都城市民会館の隣には、大分の図書館か熊本の病院、内之浦のロケット基地があるのだろう。

全国に無数にある近代建築の中で、わずか150だけが選定されている栄誉と、そのほとんどが東京と大阪などの大都市圏に集中している圧倒的なボリュームと、その状態のなかで、いくつかの建築物が地方の存在を知らしめ輝いている展示になっていたのだろう。

見に行きたかったが、会期は10月3日までだった。もしかしたら、これから全国に巡回展示されるかもしれないので、また見る機会があろう。

もうひとつの市民会館に関連する展覧会である、森美術館の「メタボリズムの未来都市展」はまだ開催中である。Sさんによると市民会館の木製の模型が展示してあり、出色であったとか。こちらは来年の1月15日までなので、なんとか見に行けるかもしれない。

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2011年10月12日 (水)

疲れたときには宮本常一がいい

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あるくみるきく双書/「宮本常一とあるいた昭和の日本」田村善次郎・宮本千晴 監修、農山漁村文化協会発行、各\2800。

宮本常一が率いていた「日本観光文化研究所」という組織があった。そして、その月刊誌として『あるくみるきく』があったそうだ。幻の・・という冠詞がついているので、一般の書店や流通ルートにはのらない機関誌だったのかもしれない。その『あるくみるきく』を地域別、テーマ別に編したのが本書のシリーズであるという。

全部で25巻の予定であるようで、2011年8月の時点で半分ほどが既刊となっている。宮本氏とその仲間たちが自分の足で歩いた昭和の日本の全貌が豊富な写真やデータとともに記されている。厳しく貧しい暮らしだったのだろうが、真摯に実直に自分の手と足で生きた人たちの姿をみることができる。たかだた30~40年前の姿であるが「昭和は遠くになりにける」である。

なんとなく頭が疲弊して、何も読む気がしないというときには宮本常一(みやもと・つねいち)がいい。

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2011年10月 5日 (水)

Mビル

ある企業が、築30年程度のRC造のビルを改修し、本社ビルとして活用することになり、その設計・監理を担当することになった。

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改修・リニューアルは時代の要請だろう。この他にも改修の案件があり、古い木造民家を福祉施設に改修したいという依頼がきている。

スクラップアンドビルドの時代ではないし、市中には古い住宅やビルのストックが多数ある。その中の良質なものは、こうして改修・リニューアルという要請になるだろう。企業の成長戦略・ニーズ・予算に沿って、どのようなプランが提示できるのか、建築家の手腕が問われるわけだ。

改修は手間がかかるが、既存図面を読み込み、現場に足を運んで確認することに尽きる。まずは調査だ。ビフォーアフターで見るように、建築はたいていのことはできる。ただ、ちょっとした改造でもかなり予算を必要とする場合もあるし、そうでない場合もある。できること、できないこと、金がかかること、かからないこと、それをやっちゃおしまいよ的なこと、ケースバイケースであり、費用対効果を勘案しながら、検討・打ち合わせが続くことになる。

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2011年9月22日 (木)

「DOCOMOMO Japan 150ー未来への遺産ー」展

UIA2011世界建築会議に合わせ、150選展もするのだと気付きました。そこでネットで色々調べてみたら・・

兼松さんのブログ [日々・from an architect] にこう書かれてあるじゃありませんか(^-^)。

ヒントを得たのは、都城市民会館の保存活動をやった地元の建築家ヒラカワヤスミさんが中心となって行ったDOCOMOMO展だった。市長に送呈するために選定プレートをもって飛び、シンポジウムで話したりしたが、市の美術館での展覧会で、会場の床に大きな日本地図をおきその上に選定した建築を箱にして一つづつ積み上げた。東京が盛り上がっているのに驚いたが、菊竹清訓さんの都城市民会館の色を変えた箱が誇らしげに置いてあるのが眼に焼きついたのだ。
[日々・from an architect]

兼松さんのブログ全文はこちら

上の文章は市民会館フリークのSさんからのメールです。ありがとうございました。

「へー!」兼松さんの役に立っているのならよかった。

兼松さんは東京で事務所を構える建築家です。docomomo Japanの重鎮でもあり、市民会館フリークのひとりです。docomomoとは、近代建築遺産の保存と記録を担う世界的な組織であり、日本ではその支部が、近代の建築遺産としてあまたある建築の中から、現在までに150をリストアップしている。都城市民会館(1966 菊竹清訓設計)は、そのN0.120として選定された。南九州初の選定だった。

その選定と市民会館の保存に重要な役割を果たしてくれたキーパーソンのひとりが兼松さんである。自腹で都城まで来てくれ、シンポジウムの基調講演を担当してくれた。おまけに、五十嵐さん、倉方さん、田島さん、磯さんという近代建築史の日本を代表する研究者と、やはり日本を代表する美術評論家の彦坂さんを都城まで呼んでくれたうえに、彼らにパネリストとして発言の機会を与え、都城の建築家と行政担当者に建築のもつ文化性について、啓蒙をひらいてくれた。すべてタダである。

シンポジウムのあと、わたしは、チャーターしたバスに彼らと仲間を乗せ、「愛の里」という地鶏の店に連れていくことくらいしかできなかった。せめてものお礼のつもりだった。 (会費は参加者の割り勘)なぜ「愛の里」にしたかというと、せっかく東京から来てくれたので、おもいきり田舎を体験して欲しかったからだ。地鶏はそこそこ知名度が上がってるだろうが、ソーメン流しもたいけんしてほしかったからだ。

なにが言いたいのか、話が長くなりそうなので、これで終わります。

今回は兼松さんがキュレーターとして腐心したという地域性の展示、どのように都城市民会館が展示されているのか、見に行きたいな。会期は9/23~10/2、場所は丸の内の行幸通り地下通路。無料です。

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2011年9月16日 (金)

「メタボリズムの未来都市」展

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9月17日から、東京の森美術館にて「メタボリズムの未来都市」展が開催されます。

森美術館は、六本木の超高層「兜」ビルにあるビル内美術館であり、建築家・隈研吾の設計だったとおもいます。調べずに書いてます。まちがえてたらごめんなさい。

上の写真は写真家・小山孝さんの写した45年ほど前の市民会館です。下の写真は、その写真を使用した「メタボリ・・・」展のパンフレット?の1ページです。未来都市の創造プロジェクトやメタボリズムの建築に並んで、われらの市民会館が載っています。

こんな都城市にとって重要なインフォメーションが、先日届いた市の「広報9月号」にも載っていませんので、わたしがこのブログに載せることにしました。敬愛する長峯君とそのブレーン諸君、そろそろ市民会館の有用性に気がついてよ!

会期は来年の1月15日までです。たっぷり時間があります。東京に行かれる際は、ぜひ足を運んでください。

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詳細は上記のホームページでどうぞ。

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2011年9月10日 (土)

「Casa」9月号/メタボリズムと都城市民会館

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Casaの9月号。「ニッポン再生の参考書」という特集で、東日本大震災後の日本の再生プランをたくさんの建築家やプランナー、デザイナーなどが示している。あの悪夢から半年、タイムリーな企画だろう。

さて、表紙には書いてないが、 今号の巻末に「メタボリズムを知ってますか。」という特集もある。そして、ページをめくると、都城市民会館があらわれる。Casaにはこれまで数回取り上げられているが、久しぶりの登場だとおもう。左の「中銀カプセル」とならんで、メタボリズム建築の代表選手として扱われている。

今号のCasaは、すごく充実している。880円、お買い得です。

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