2009年7月10日 (金)

ここらでちょっと、ひと休み

200907062902 吉本章 著 2009.6刊 草場書房 1429円+税

親交のあるというかお世話になっている看板屋さんの社長さんが2冊目の本を出したらしく、宅配便で送られてきた。本のカバーには都城の市街写真が使用されていて、その中央に都城市民会館が鎮座している。

社長は文化と文学の素養があり、なおかつ実業人としてまっとうな社会感覚を持ち、情にも厚い。未曾有の不景気と言われるさなかに、本を出版して社会に経済的にも貢献しているところがすばらしい。ただでさえ本が売れない時代ということもあり、ホン好きな氏にぴったりの経済対策でもある。

さっそく読んでみると、これがおもしろい。ときに声を出して笑いながら、一気に読んだ。ウイットに富んだ文章もいいが、その素材となっている数々の事件・エピソードを引き起こすモデルは社長自身だろうか。とくに、高速道路居眠り事件をはじめ、高速道にまつわるエピソードは特筆ものだ。

前作は「アフガンランプ」というタイトルで、2006年の11月に、同じ草場書房から出版されている。文芸評論家・大河内昭爾氏がオビに絶賛している。ハードカバーらしくちょっと硬めの内容もあるが、2冊目はソフトカバーよろしくソフト路線である。前作は文芸誌「あかね」にぽつぽつと発表し続けたものを10年分まとめたものだそうだが、今回のものは「史上最最小のミニミニ情報誌」と名をうった社内新聞がネタ元だそうだ。だから社長や専務や社員などのエピソードとなるのだが、こんな新聞を発行する社長らしい優秀な社員ぞろいで、笑いのネタは尽きない。

Clip_image002 こちらは前作の「アフガンランプ」 1800円+税

おもしろさではこちらもひけをとりません。

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2009年7月 5日 (日)

配筋検査/花木の住宅

縄張りを確認すると、いよいよ本格的な着工となる。基礎工事である。

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現在はほとんどの住宅がベタ基礎を採用しており、昔ながらの布基礎はあまり見なくなった。つい15年ほど前までは、鉄筋も入っていない布基礎が主流だったことを考えると、雲泥の差があるようにおもう。

ベタ基礎は敷地の地面上に、厚さ15センチメートル程度の鉄筋コンクリートの薄い板を敷き詰めるものであり、これをスラブと呼ぶ。ベタ基礎は住宅への湿気の侵入を防ぐための防湿コンクリートの機能も持つが、一昔前の防湿コンクリートは厚さが5センチほどしかなく、鉄筋も入っていないので構造には役立たないものとして扱う。

布基礎は建物の間取りの形にコンクリートの壁を立ち上げるもで、30センチほど掘りこんだ地面下に幅が50センチほどの水平面を持つ。これが建物の荷重を地面に伝えるのだが、ベタ基礎は建物全面の水平地上面により荷重を支えるので、布基礎と比較すると、強度的にはかなりの差があることになる。

この住宅の場合は板金屋根、板壁外壁の平屋であり重量的には軽い構造なので、スラブの配筋はシングル配筋であるが、2階建てや瓦葺き、モルタル壁のように重い仕様になるとダブル配筋といって、タテヨコの配筋を上下二重に配す。

しかし、ベタ基礎が万能かというと一概には言えなく、敷地が部分的に軟弱地盤だったりすると、基礎の水平面全体が、つまり家全体が傾いてしまうことになりかねない。その点、布基礎だと局所部分的に沈下するので、その修復はまだ容易であるのかもしれないが、近頃はじまった(正確には10月以降の引き渡し住宅から)瑕疵担保保険に加入するについては、地盤調査が必須となるようなので、布基礎にしろベタ基礎にしろ、適切な設計がなされることになるだろう。

ベタ基礎は敷地の地面を薄くはぎ取り、そこへ15センチ程度の砕石を敷き詰める。それをランマーと呼ぶ転圧機械でじゅうぶんに締め固める。強力なばね仕掛けの跳ね跳び器具のようなものであり、50キログラムほどのランマーが、エンジンによりぴょんぴょん跳びながら締めつけるので、かなり強固な砕石地盤ができる。ここまでを専門的には地業工事といい、一般的にはこれから先がコンクリート、鉄筋、型枠工事とそれぞれ専門職が入って別の工事になるのだが、住宅の場合だと、全部まとめて左官屋さん行うことが多く、基礎工事とひとくくりにされる。

その砕石の盤の上に、防湿用のポリエチレンシートを敷き、鉄筋を配してコンクリートを打設する。これでベタ基礎の完成だが、実際には外壁や建物の間取りに対応するコンクリートの立ち上がり部分も必要なので、合わせてその配筋もしなくてはならない。

じつは、この部分がベタ基礎にとっても構造的に重要であり、この立ち上がり部分がないと、コンクリートとはいえペナペナの薄い板にしかならない。薄い紙を水平にして手に持つと、ペナペナで頼りがないが、これに幾筋かの折り目を与えると、しっかりする原理である。

この立ち上がり部が連続せずに切れていると、構造的には致命的な欠陥となる。だから昔みたいに床下換気口は現在の住宅にはない。かわりに、ネコ換気と呼ぶ方式が主流である。これは、立ち上がりコンクリートの上面にゴム製の板状のピースを1メートル間隔で置いていき、基礎全体での換気を可能とするものだ。これが製品化されたのはここ10年ほどのことだが、その前からこの方式は知られていて、そのころはタイルや堅木の木片などを使用していた。この場合のネコには、ちょっと浮かして持ち上げるためのものという意味があり、鉄骨工事などで用いられていた用語である。

また、ネコ換気は通常の床下換気口と併用することが主だったが、それは住金の仕様がネコを認めていなかったことによる。10年ほど前にはゴム製品が発売され、住金もそのコンクリート欠損のないネコ換気の有用さを承認して一気に普及した。現在では、部分的なピース材ではなく、グレーチング的な形状の全面タイプが主流となっている。

さて、そんなわけで外周部は立ち上がりが換気口がなく連続してつくられるのでいいのだが、問題は内部である。よっぽど小さい住宅ならともかく、ベタ基礎の外周部だけ立ち上がりで強固にしても、内部にもそれなりに紙でいうところの折り目が欲しい。しかし、実際には床下にもぐって配管工事をする必要もあるし、メンテナンスに床下全体に行けるようにするには、どうしても立ち上がりに欠損部は必要である。これを人通口とも呼ぶが、さいてい人が通れるだけの(60センチ程度)の欠損は必要だし、これがないと床下の換気にもよろしくない。しかし、強度的には不安が残る。

その不安を解消するのが地中梁である。もともとはコンクリートや鉄骨造の建物の基礎を強固につなぐためのものだが、木造でも果たす機能は一緒である。写真で台形に掘り下げた部分が見えるが、この部分がその機能を果たしている。これだけでは高さがなく(この高さのことを建築では「せい」と言う)弱いのでその上下に主筋と呼ぶ鉄筋を数本流し、スターラップ(あばら筋ともいう)という鉄筋で補強する。これで立ち上がりの欠損部に備えているわけだ。外周部は三角形に地中に堀りこんで鉄筋で補強し、地中梁としての機能をより強固にする。

でもこれは、一般的なことではない。ほとんどの住宅は二階建て・瓦葺きでもこの住宅の基礎の仕様に及ばないだろう。よその現場を見ていると、外周部を三角形に掘りこんだものは見かけることもあるが、内部に地中梁を配した住宅はほとんど見ることはない。やはり、基礎は設計事務所の設計したものにかぎるようだ。といえば手前味噌だが、建築基準法では地中梁も先述したダブル配筋も要求していないし、任意なので、強固なスラブとはとてもいいがたいベタ基礎の住宅がこれからも立ち続けることだろう。ただし、しっりした地盤に建つ住宅なら、無筋の布基礎しかもたない建物でもしっかりとしているわけであり、必要以上に神経質になることもない。

ただ、目に見えないところは、放っておくとどうしても手を抜くというか金をかけないことになりがちなので、注意を要した方がいいだろう。じっさいには、沈下など地盤にまつわるトラブルはちょこちょこあるように聞く。

コンクリートは水硬性なのでその硬化には水分が欠かせない。でも打設時の雨は禁物だし、水セメント比といって、生コン中の水分比は少ない方が強度的にはいいのだが、これが低いと施工性がわるくなり施工者はあまり歓迎しないことが多い。ただ、密集市街地ならともかく、一般住宅だと、基礎コンクリートの施工にポンプ車を使うことはほとんどなく、写真のようにクレーンでつるしたバケットに、生コン車からコンクリートを移して、少量づつ流し込んでいく方式だと、スランプうんぬんはあまり問題にされないので、スランプ15ほどの固めのコンクリートにする。しかし、打設後は、ある程度の雨は歓迎だし、晴天が続くようなら水をかけて養生した方がいい。このへんも一般的にはあまり重視されていないようだが、適切な監理者の存在は重要である。

さいごの写真は、この日打設した生コン車のコンクリートの納品伝票である。わたしはこの伝票で設計図に記載したコンクリートの強度とスランプ(コンクリートの軟らかさ示す指標・0~30で表示し少ないほど硬い)を現場で確認することにしている。

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2009年7月 1日 (水)

LAN配線のススメ

現在工事中の住宅のオーナーの、縁戚筋にあたる人からメールが届いた。氏は東京でコンピューター関係の仕事に従事しているとのこと。

そのメールは、現在工事中の住宅に、宅内LAN回線があるかどうかを問うもので、ないと返答したところ、LAN回線の宅内配線を強く薦める具体的・かつ専門的な内容が返ってきた。とても参考になるものだったので、ここにその概要を披瀝しておく。

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まだ現在のところは、家電製品の情報化はそこまで顕著ではないが、ごく近い将来、テレビ、ビデオはもちろん、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器まで情報化するだろう。

無線LANが現在はローコストで便利のようだが、有線と無線ではその伝達速度が決定的に違う。おおざっぱにいって、ふた桁以上の違いがある。家庭内のコンセントを情報にも使用する技術が取りざたされてもいるが、それだって速度ではLAN回線にはるかに劣る。

また、オール電化住宅が普及しつつあるが、台所にIHヒーターを採用すると、無線LANは機能しないことがある。IHが強力な電磁波を発し、その健康面での不安をガス業界が突いてガスの盛り返しに懸命なことは承知していたが、おもわぬところでIHのデメリットを知らされた。

もっとも、無線LANは有用であり、宅内に張り巡らしたLAN回線のひとつに、無線LANを接続し、IHの障害にならないように庭やベランダでネット接続できるようにすればいいのである。

LAN回線のケーブル自体はとても安価である。百円ショップでも数メートルのものが売っているくらいであり、家全体にケーブルを張りめぐらしても、材料代は一万円に満たない。問題は配線工事費である。これが、新築時と既存住宅では倍以上違ってくる。だって、新築時なら、通常の電気配線のついでに、ケーブルを自在に配線できるのであるから、既存住宅の天井裏をはいつくばって配線するのとは訳が違うし、壁に配線を通し、穴をあけることは技術と手間を要する仕事だ。

さらに、既存住宅だと隠ぺい配線がうまくいかずに、室内の壁・床・天井に露出することも必至だ。その際はモールで配線を隠すにしても、美観的にはダメージとなる。

家庭内のサーバーも必須となるだろうが、それはLAN回線さえあればどこにでも置けるのであとでもいいし、普及してからは値段もぐっと安くなるだろう。それと、ハブを一か所設置しておく。これも1万円もあればじゅうぶんに買えるしろものだ。これでLAN回線はじゅうぶんに機能する。

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以上、わたしの理解できた範囲で概要をまとめてみました。わたしは情報や電気の専門家ではないので、間違えているところもあるかもしれませんが、これから住宅の新築を考えている人には参考になるかとおもいます。

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2009年6月23日 (火)

縄張り/花木の住宅

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建築工事は、まず基礎工事からはじまります。工事契約を済ませ、地鎮祭をおこない、建築確認の取得をまっていよいよ着工です。

その基礎工事のはじめに縄張りまたは丁張りと呼ばれる作業をします。つまり、敷地に、建物の平面形状のとおりに縄を張ってする確認作業です。この縄をもとに基礎を施工しますし、これにより建物の実際の大きさが決定しますので、たいせつな作業であることに違いありません。

トランシットとスケールを使用して、正確な角度と長さを敷地に与えて行き、目印に木の杭にピンを打っていきます。そのピンに糸またはロープを張り建物の平面が表現されています。設計者(監理者)は建築主の利益を守るため、その寸法が設計どおりであることを確認しなければいけません。結果は、ほぼ寸分の狂いなく正確な縄張りでした。

その縄のまわりにある木の柵のようなものは、これらの縄や木杭は基礎工事の際には邪魔になり撤去しなくてはいけませんので、あらかじめ1メートルなどきりのいい寸法で逃げの墨を打っておくためのものです。実際の工事は、この逃げ墨をベースに施工されることになります。

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2009年6月19日 (金)

山之口の人形浄瑠璃

合併でいまは都城市となっているが、都城市の中心街から269号線を30分程北東に走ったところに山之口町がある。

ここはかつての旧薩摩藩と伊藤藩との境となる要衝の地であり、殿様が参勤交代にも通る重要な街道筋でもあった。

道中の殿様を楽しませるためとのいわれもあるが、ここには人形浄瑠璃が保存されていて、なんでも文弥節とかいう全国でも数例しかないふるい形式であるとして、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

日本には民俗芸能として全国に人形浄瑠璃や文楽などがあり、九州だと熊本県の山中にある清和村の文楽が名高い。ここは、その文楽を足掛かりに町おこしをすすめていて、文楽村という劇場や博物館、食堂などを内包する観光施設をもち、木島さんが設計したユニークな建築群がある。

その清和村の規模には及ばないが、山之口町も十数年前なつかしの「ふるさと創生資金」を活用して「人形の館」を建設した。

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2枚目の写真が浄瑠璃を上演する会場となる座敷である。現在でも年に4回公演がおこなわれ、数十人から百人を超える観客を集めるという。右側の写真は舞台右袖の弁士席であり、ここに三味線と語りを担当する人が座るそうだ。

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劇場とは別棟となった資料館にはたくさんのふるい人形が展示されている。いずれも村人の手による素朴なものだが、現在使用している新しいものよりもいい表情があるそうで、たまに公演で使用されることもあるそうだ。現在使用している人形は、専門の業者から購入するそうだが、一体が数十万円とのこと。

ここの人形はひとりで一体を扱う形式のものだが、これが発展して文楽では人形一体を3人がかりで動かすまでに進化している。

資料館には人形を操作できるコーナーがあり、着物の割れた背中から片手を入れ、首から下に伸びた木の棒を手に持つ。その手で片方の腕につながる棒を同時にあやつり、もう一方の手で片手を操作するようになっていた。

右端の写真はこの浄瑠璃の基本演目のひとつである「出世景清」の一場面を再現したものだ。平景清は名の通った武者だが、壇ノ浦で源氏に敗れ落ちていく。この場面は、その後の潜伏先の京都で情人の女性に裏切られ、囚われたところへその女性と子どもたちが訪れる名場面だ。子どもたちのために、わざと冷たくあしらう景清だが、激昂した女性は子どもを道連れに死んでしまう。そこへ、その女性を裏切らせた兄がやってきて、景清に殺されるという凄惨な段であるようで、近松らしい人情の機微にふれる卓越したシナリオとなっていて一世を風靡した。

その余勢がはるか江戸時代に、ここ南九州にまで及んでいるのだが、山之口では麓という薩摩藩の武家集落にそれが根付いた。殿様をもてなすためという名分はあるにしても、こういう芸能ごとが好きだったのだろう。先ほど、村人の手作りみたいなことを書いたが、ここでいう村人は武士階級の人たちである。もっとも、薩摩藩の場合は郷士として半分農民のような生活をしていた武士が多数いたわけなので、そう農民とかわらないのかもしれない。

話は飛ぶが、この平景清という人は宮崎県と縁の深い人物であり、宮崎市には景清廟があり、ここで亡くなったという伝説がある。なんでも、頼朝によって打ち首になった景清だが、観音様が身代わりとなって復活し、それを見て恐れをなした頼朝に許され、宮崎県まで来たのだという。また、宮崎市に生目という地区があり春先はホークスのキャンプ地としてにぎわっているが、ここの生目神社は景清の目にちなんだ神社であり、頼朝への復讐をあきらめるために景清が自分の生き目をえぐって放り投げたものを祀っているという。この山之口にも景清伝説は及んでいて、この館の近くにも景清のいわれがいくつか残されているそうだ。だから、この館が景清ものを得意な演目にしているのはふさわしい。

この人形浄瑠璃は現在でも麓集落の人たちだけで伝承されているそうだ。昭和の一時期すたれたこともあったが、戦後になって再興されたそうだが、けっこう排他的というか保守的なところもあるのだろうし、そこにはかつての武士階級としてのプライドもあるにちがいない。それで人数が確保できるのならそれもいいだろうし、新たな人材を広く募ることも悪くない。いづれにしろ、こういう貴重な文化をたいせつに守り育ててほしいものだ。

この6月21日には定期公演があります。開園は午後2時。演目は「出世景清」のうち、拷問の段、牢舎の段などです。料金はおとな710円、高校生510円、小中学生310円です。

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2009年6月15日 (月)

ビニールハウスプール

宮崎県の北部に延岡というまちがある。旭化成の企業城下町として発展してきたまちであり、宮崎県は県北の延岡、中央部の宮崎市、県西南の都城と、理想的な3極構造にあったのだが、さいきんでは宮崎市ばかりが隆盛のようで、一極化が進行している感がある。

さて、その延岡に用事があり行ってきた。東海とかいて「とうみ」と呼ぶ中学校へ行ったのだが、都城から車で3時間かけて到着したその場所に、テレビで見覚えのある建物があった。

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ビニールハウスかとおもいきや、「松田選手おめでとう」などと書かれたたくさんの垂れ幕があるので、すっかり有名になった、あの松田選手を育てたビニールハウスプールだとすぐわかった。

ペキンオリンピックから、はやいものでもうすぐ1年にならんとしているが、あの興奮と熱狂の日々がなつかしい。オリンピックのメダル効果はすごいものがあり、4位入賞だと見向きもされないが、メダルさえ取れば日本中が祝福の嵐になる。おかげで、松田選手も久世コーチもテレビにひっぱりだこだったし、このプールも松田選手を育てたユニークなものとして再三取り上げられた。

たしかに、ぱっと見たところでは、野菜か果物かを栽培するビニールハウスである。垂れ幕がなかったら気付かなかったかもしれない。中に入ってみると、さすがに暖かい。初夏の陽光が降りそそいで、汗ばむほどの気温である。たぶん、水温もそこそこ上がるのだろう。

同行の人の話では、このプールは延岡市立東海中学校のプールだそうだ。だから体育の授業でも使用する。それを、授業以外の時間にスイミングクラブが借用しているのだそうだ。吹きさらしの野外プールではさすがに冬場の練習はできない。そこで、ビニールハウスとあいなったしだいだが、冬場はいいのだが、夏場はめちゃくちゃ暑いらしい。たしかに、見たところ、全面ビニールに覆われていて、上部に換気扇がカタカタ音を言わせながらまわってはいるものの、涼風を呼び込む開口部は少なそうだ。

松田選手の活躍で注目を集めたため、もっと立派な施設にしろとかいう声もあるようだが、あれから一年、まだこの状態で現役であった。わたしが訪れたのは土曜日の午前中であり、たくさんの子どもたちがコーチの指導を受けていた。

劣悪な環境だと人間は工夫をする。だからこのプールはできた。必要は発明の母である。こうして松田選手も育った。自分で考えることはスポーツにかぎらず重要なことだが、めぐまれた環境でも自分で考えることはいくらでもあるだろうから、めぐまれた環境の方がいいに決まっている。ただ、甘やかしてはよくない。

必要かつ最低限の充実した空間と機能と設備をもち、人間を甘やかさない精神性や要素をあわせもつ。これが理想の建築だということだろうか、なんて建築にこじつけてみたりする。

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2009年6月11日 (木)

ネゴそして契約、地鎮祭/花木の住宅

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設計が終了すると、いよいよ見積(入札の場合もある)となる。設計が終わってホッとするのも束の間、緊張の一瞬がやってくる。わたしの場合は、だいたい、2週間ていどで見積金額を提示してもらうことが多い。

今回は4社に見積を依頼した。そのうち、1社が辞退したので最終的には3社となった。建設不況のさなか、予算的にはいい時期なのかもしれないが、いつどこの工務店が倒れるのかわからないので、リスクも大きい。小さいところよりもある程度の中堅どころの方が、余力のあるうちに事業を清算・再建しようということもあるので、規模の大小はあまりあてにならない不透明な状況だ。

見積もり期間中には各社から質疑が届く。faxで質疑をあげてもらい、faxで回答する。図面に記載のないことがらや不明な点を確認する大事な作業であり、質疑への回答が図面より優先することもある。図面が充実していたせいか?、今回はあまり質疑がこなかった。回答に忙殺されないのはいいのだが、ちょっと不安にもなる。

さて、3社から見積りが届いた。結果はABC各社とも金額が近い。最高と最低の開きが150万円ほど、率にすると1割ていどだ。2から3割程の開きが出てくることもあり、同じ図面で見積もるのに、なぜだろうと不思議におもうのだが、今回は各社ともやる気を見せてくれたようである。

設計事務所は、届いた見積と明細をチェックし、建築主にその内容を報告する。見積もりに抜けがあったり、逆に過剰な積算をしているところがあったりする。また、3社の項目ごとの金額を表にして、比較検討もしたりする。いつものことだが、たいていこの時点では建築主の希望金額をオーバーしている。設計案には建築主の夢と希望が最大限込められているからだ。

この場合、工務店を変えて、再度見積もりを取ることもあるのだが、時間的なこともあり、建築主と協議したうえで、最大限ゆずれる項目をあげ、設計変更して減額案を作成する。こんかいは総額で300万円ほど金額を落とさなければならない。ある程度は設計の段階で予算が合わなかったら削りましょうとかグレードを変更しようという内容があるので、まずそこを削る。これで目標の半分くらいにはなった。さてここからが厳しい。消費税がうらめしくなるのもいつものことだが、なぜ建築に消費税がかかるのかも不思議だ。そして、予算を削るのは面積を小さくするのが一番だ。建築工事の世界は、ほとんどが「坪いくら」で話がはじまるからだ。

あこぎな工務店や設計者だと、目に見えない基礎や構造体などを削ることになるのかもしれないが、その部分は建築の基本線なので譲れない。安かろう悪かろうは建築主も望んでいないし、より安かろう佳かろうを建築主と協議して決めていくのである。このあたりではその人の人生観も反映されることになるし、優先順位をしぼって無駄な要素をそぎ落とすことになるで、かえって明確ないい建築になる場合もあるし、心血注いで考えたことを切り捨て、涙をのむこともある。また、相手を尊重して自分の希望を譲ることもあれば、夫婦喧嘩になることもあるし、重要だがスリリングな作業でもある。予算とはかくも大事なものである。

こうして、なんとか変更案がまとまった。その内容を上位の2社に等しく提示する。この2者の提示金額はほとんど同じであった。この変更内容でこの金額でやってもらえないかという交渉だ。仕事は欲しいが、赤字を出してまで仕事はできない。各社ギリギリの判断となる。また、工務店からの減額案も出してもらうし、ここはこういうふうにしてもよいかと聞かれることもある。施工のつごうでちょっとしたことが金額に影響するものだし、工務店により得意分野もかかえている事情も違う。

2社との数度の交渉を経て、なんとか予算金額におさまり、めでたく工務店が決定した。これをネゴという。建築主、工務店、設計者それぞれが満足でき、いい仕事をするためのたいせつな協議・交渉の場である。英語のネゴシエーションから来ている言葉だろうが、この世界ではいつもネゴ、ネゴと言っているので詳しいことは知らない。たぶん、ゴネの意味もあるのだろうが、ゴネだけではいい仕事にはならないし、いい建築もできない。

そうこうしているうちに、建築確認を申請し、地鎮祭を迎えることになった。

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敷地のほぼ中央にテントが組まれ、4隅に竹が立てられ縄が張られる。これで神様を招く神聖な場が囲い込まれ、南面するように祭壇が設えられる。その脇には鍬入れの儀式をおこなうためのきれいな円錐形に整えられた砂がある。

通常はテントやイス、砂、縄などは工務店が準備し、祭壇と縄に吊るす弊紙は神主さんが持ってくる。鍬入れの儀式につかう鋤とスコップは神主さんが用意する場合もあるし、工務店が持ってくる場合もある。建築主はお供え物と儀式に使う米と塩、お神酒(南九州では焼酎)の準備だ。わたしたち設計者は図面を持参し、祭壇に供えて清めてもらう。たいていの神社は自分で車にのって現場まで来てくれるが、格の高い?ところだと送り迎えしなければいけない神社もある。

鍬入れは建築主が行うが、スコップは施工者にお願いすることが多い。いずれも、エイ、エイ、エイと声を出して3回動かすのだが、最後に砂を崩すように大きく入れる。大きな現場だと、施主、設計者、施工者の3者が鍬入れをしたり、設計者が鎌で木を刈ったりするが、住宅の場合はほとんどない。さいごに参列者が玉ぐしを奉てんして儀式は終わる。2礼2拍手1礼が神道の決まりであり、神社に参拝するときと変わらない。堂々とゆったりした態度で、拍手はなるだけ大きな音が出るようにするとカッコいい?のでわたしはそうしている。

起工式あるいは地鎮祭は、ほとんどが神道の型式で執り行われるが、たまに建築主の事情で違う宗派の形式の場合もある。わたしはこれまで数えるほどしか立ち会っていないので、よく覚えていないが、太鼓を打ち鳴らしてのユニークなものもあった。

儀式のあと、参列者全員でお神酒で乾杯し、歓談するのだが、たいていはこのときに神主から鎮めモノが施工者に渡される。これを基礎工事のさい、建物の中央部に埋めて土地を清め、工事の安全を祈願するためのものだ。飲酒運転が社会的な問題になっているためか、こんかいは乾杯はなかった。かわりに、施主側が用意したソフトドリンクで乾杯する。

確認済証も昨日取得し、いよいよ着工だ。いい建物ができますように。

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2009年6月 2日 (火)

霧84号

2009052027712 「霧84号」 ¥1000、表紙の絵は児玉隆さん。

都城市に「霧之会}という文学の愛好者のグループがあり、年に2回機関誌を発行しているという。

ことしの3月にその創刊40周年を記念する84号が発刊され、特集号として都城市の助成を受け、いつもよりボリュームを大きく、部数も多く発行することになった。上の写真がいつもよりちょっとゴ-ジャスにできあがった冊子の表紙だ。

たまたま、知りあいに「霧」の同人がいて、わたしにも寄稿を求められた。できれば建築者として市民会館のことを、という要望だ。

保存運動がみのり、会館がぶじに残されてからすでに1年半が経過しようとしている。考えてみれば、保存運動中はずいぶんたくさんの文章を書いた。保存を訴える文章、協力を依頼する文書、展覧会用の文書、シンポジウムの文書などなど、これまでの人生でもっともたくさんの文章を書いた1年間だった。運動が終息し、また平穏な設計屋さんとしての日常に戻ると、文章なんて書くのはこのブログくらいのものであり、あとは確認申請の書類とか業務に必要な書類くらいだ。ふりかえると、あの熱狂の日々がなつかしく不思議ではあるが、うらやましくはない。

市民会館について、もう一度その当時をふりかえりながら、あらためて文章としてまとめておくのも悪くはないなとおもい、書くことを引き受けた。さいきん長い(精密な?)文章から遠ざかっているので、一から書くのもしんどそうだ。楽しちゃおうということで、パソコンにストックしてあった過去の文章を抜粋してまとめようとした。しかし、これが失敗で、よけいに時間がかかったような気がする。一から書いた方がよほどスムーズだったにちがいない。

そんなわけで、以下に「霧」に掲載した文章を収録します。ちょっと長いですので、読み飛ばしてくださってかまいません。きっと、ブログのネタに困っての所業に違いありません。

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『文化の力 -都城市民会館と南九州-』

 「文化で飯が食えるか」などと、芸術や文化のことを軽んじるむきも、ままありますが、わたしたちは「文化でしか飯が食えない」時代と社会に生きています。付加価値とはすべて文化のことであり、これがないと、言われるがまま、ただ安いものを造ることにあまんじるしかありません。それはすでに日本では通用しないことであり、その生産拠点はとっくに海外へ移行しています。わたしたちは文化で飯を食うほかありません。

都会と比較すると、地方は文化的にはハンデを負っています。文化力の必要とされる仕事は中央で行ない、地方はその下請けとして安い労働力だけを提供する、そんな構図もできあがっています。そこから脱却し、より高いレベルのおもしろい仕事をするためには文化は欠かせません。そのためには、文化をたいせつに扱うしかありません。高い評価を受けている文化財をたいせつにする必要があることは言うまでもないことです。

 都城は日本一の畜産基地にまで成長しました。農家のたゆまない努力と行政のバックアップがあってのことです。しかし、ブランド力はまだまだ不足しています。福岡市は莫大な経費を使ってオリンピックの誘致に手を挙げました。フクカオを世界にアピ-ルし、ブランド力をもたせるためです。東国原知事の登場でミヤザキのブランド力はかなり上昇しましたが、まだ海外までにはその力は及んでいません。

ところが、都城にはすでに市民会館があります。イタリアの美術の教科書に載り、フランスの近代建築の展覧会に日本代表として出品されています。会館が残されたことで、今後もそういう機会があるでしょう。そして、そのたびにMIYAKONOJOの名を世界に知らしめてくれます。

 

 古い歴史をもつ日本には、たくさんの文化財が残され、そのなかでとくに優れたものが国宝に指定されたいせつに保存されています。現在、全国にその数は千点あまりです。では、そのなかの何点が九州にあるかというと、19点でしかなく、さらに南九州にかぎると、わずかに照国神社の刀剣1件しかありません。つい数年前、阿蘇の神社が熊本県から初の指定となりましたが、それまでは熊本県も国宝の空白区でした。宮崎県串間市にある吉松邸が、先ごろ重要文化財に答申されるという栄誉を受けましたが、残念ながら宮崎県は国宝の数少ない空白区であるばかりでなく、重要文化財の数でも全国で最下位です。

 このことは、宮崎県及び南九州地方が、歴史的に地理上の辺境にあることと、台風などの自然条件も含めて、この地域が経済的に貧しかったことを端的に示しています。

 そんななかにあって、この地に市民会館があることを、わたしは奇跡のように感じています。すでに、都城市民会館は南九州の至宝といっていい世界に通用する近代建築物であり、文化財です。しかも40年前、市がなけなしの金を出し、当時でも超ロ-コストで建てられた建築です。まだ築40年ですので、築50年を要する公的な文化財のル-トにはのりませんが、このままたいせつに使いつづければ、近い将来かならず正式な文化財として認定されます。すでに広島のふたつの戦後の建築物が重要文化財に指定されています。市民会館より新しいシドニ-のオペラハウスはすでに世界遺産ですし、他にも世界の近代建築のいくつかがその候補に名を連ねています。わたしは、都城市民会館がそれらに匹敵する高い文化的価値を備えていると考えていますし、近年、戦後の近代建築を文化財として積極的に指定していこうという世界的な動きは、日本でも顕著になりつつあります。

すぐれた文化財である市民会館がこの地にあることは、都城市民のみならず宮崎県民にとっても誇りであり、その直接的、間接的あるいは精神的な恩恵ははかりしれません。これといった文化財や観光資源に乏しい当地にあって、市民会館の存在は重要な文化・観光資源になる可能性を感じさせてくれます。

 すでに、これまでにもたくさんのメディアに取り上げられ、全国からたくさんの見学者をひきつけています。存続が決まってからも全国紙や雑誌などに都城市民会館が複数回取り上げられています。このことだけでも、都城のピ-ア-ル効果と経済効果はかなりの金額に換算できるはずです。

 経済効果以上に、もっともたいせつなことは、都城市民ひとり一人に、誇りと自信が植え付けられることです。「オレのまちには何もない」地方の若者はみな、ひとしくこんな思いを抱いています。 人間はプライド・誇りがないと人として成り立ちません。小さいものかもしれませんが、17万人市民に等しく誇りを植え付けてくれるもののひとつが市民会館です。かつては、高校野球がそんな役割を果たしてくれていたの時期もありました。もちろん、市民会館以外にも都城の誇るべきものは多々あるでしょうが、それらは一朝一夕にできるものではなく、悠久の自然と、累々たる人びとの努力の積み重ねによって築かれます。

 また、市民会館のように、その地域のシンボル性の高い建築物があることで、郷土への愛着と市民の一体感が得られるということもあります。これも数字には換算できませんが、とてもたいせつなことです。

保存運動をしていた一時期、会館を保存するということは「市民会館税をひと世帯に千円づつ徴収することですよ」という論法を聞いたことがありますが、これはわたしにはタチの悪い恫喝に聞こえました。それなら「新文化ホ-ル税をことしから五千円づつ取ることにしました」とは、なぜいわないのでしょうか。わたしたちは、年間600億円あるいは1000億円の総予算の使いみちを市に委任しています。必要なところに予算をあてる、その使い方の問題でしょう。

かつて、都城市民会館のとなりに、須田記念館というレトロな建造物があり、市の公会堂として使用されていました。それが、市民会館の建設により、その役割が終わり不要とされ解体されました。わたしは、市民会館と須田記念館が並び立つ当時の写真をみて、都城市は貴重な建築物と文化的で厚みのある景観をなくしたことを惜しみます。しかし、市民会館の存続が決まったことで、今後もあの異様な姿がこの都城の中心にありつづけることをうれしくおもい、これから生まれてくる子どもたちに、その姿をナマで見せられることに喜びを感じます。

 建築家で東京大学教授の内藤廣氏(日向駅舎の設計者)が、都城市民会館についてこんなコメントを書いています。「この建物に初めて遭遇した人は、だれでもしばし言葉を失う。そして次の瞬間、どうしたらこんな建物を思いつき、実現させる遺志を持ちうるのか、と思うに違いない。存在感の希薄な町並みの中に、黒々とした鉄骨のフレ―ムが偉容を放つ」(INAX REPORT No.134 1998年)

 市民会館を表現するのに、これほど適切な文章はありません。日本全国どこでも画一的で、ほこりをかぶり薄汚れた地方の町並みにあって、唯一この町の存在を寡黙に主張しているのが市民会館です。

 わたしの住んでいる市内高台の鷹尾地区から、坂を降りて市街へと向かう途中、市街地がパッと視界に飛びこんできて、その中央にこの黒いカブトムシ状の巨大な物体を認識します。わたしが都城という場所を明確に意識するのはこのときです。

ヒラカワヤスミ(建築家)

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2009年5月29日 (金)

S氏コレクション展

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鹿児島市在住の美術コレクターS氏が、都城市立美術館に寄贈した現代美術作品46点の展覧会だそうだ。

美術館の受付で聞いてみる。Sさんて都城出身なんですか?「いいえ、違うとおもいます」じゃあ、なぜ都城市に?なにかご縁でも?「さあー」

会場内にこの展覧会のことを記した新聞記事が置いてあった。それによると、都城市立美術館は、南九州にゆかりのある現代美術作家に焦点をあてた「メッセージ・・」展なる催しを10年おきに開催していて、それを見たS氏が都城市への寄贈を決めたようだ。

現代美術にかける当美術館の学芸員・ハラダさんの熱意が呼び込んだ寄贈といっていいかもしれない。ハラダさんは建築にも造詣の深い人であり、いつか建築系の展覧会も企画したという考えがあるようであり、楽しみである。

昨年の山内多門展を企画・担当したトミサコさんといい、ふたりしかいない美術館の学芸員はとても美術に対して情熱がある。わたしはこの美術館というよりも、ここの学芸員を高く評価している。地方にあって、地方のハンデと存在意義をよく理解した人たちだとおもうのである。

さて、前置きはおいといて、コレクションにいこう。46点のコレクションは合計26人の作家で構成されている。ルオー、エルンスト、ムーア、草間彌生、浜田知明、菅井汲、などわたしも知る有名どころもあるし、なじみのない作家もいる。しかし、すべてがS氏のメガネにかなった逸品ぞろいだ。自腹で買うからこその真剣な弛緩のないコレクションになっている。総じてどちらかというと存命の(若い?)作家が多い。対象が現代美術だから当然かもしれないが。

その数ある作品のなかで、もっともうれしかったのは野田哲也があったことだ。それも3点も。ついさいきん、東京の恩人であり、敬愛する建築家である兼松さんのブログを覗いていたら、この人の作品を紹介した記事があり、べた褒めだった。はじめて聞くこの作家のことが気になって、ネットで検索してたくさんの作品を見たばかりだったからだ。このひとの作品は「日記1997年8月17日」のように、「日記」と日付だけがタイトルになっている。もともとは「絵日記」だったのだが、「絵」がとれたそうだ。

こうして、ネットでたくさんの「日記」作品を見たのだが、モニター画面だと実際の大きさも質感もつかめないし、お手軽だからいいかげんにしか見ない。写真集のように紙の媒体のほうがまだましだが、やはり実物を見るにこしたことはない。おかげでぜんぜん記憶にのこらないでいたところ、3点も実物で見る機会が訪れたのであった。作品を見て、すぐ兼松さんのこととネットで探索したことをおもいだした。氏の事務所か自宅だかに掛けてある絵は「桃」だったが、この会場にあるのは洋梨とメロンと草花だった。洋梨だけが淡い彩色付きであり、他はモノクロだったが、どれも端正かつ凛気を備えた作品であり、兼松さんが愛し、世界が高く評価する理由がちょっとだけわかったような気がしたが、作品は解る必要なんかなく、その人と作品との縁、見る人の眼力による好き嫌いでじゅうぶんであり、わたしはこの絵と作家が好きになった。

展覧会をじっくり見て、家にかえってさっそく担当のハラダさんに電話し「すごいコレクションですね。ハラダさんのおかげで都城にたいへんなお宝が来ましたね」とねぎらいの言葉をかけたら、「いやあ、なかなか理解してくれる人がいなくてね、ブログに書いといてください」とのこと。だから書いておく。

都城の恩人かつ建築家の中岡さんも、この展覧会を絶賛し、自身のブログに「常設にするべきだ」と強調している。とりあえず、6月21日まで開催されています。もちろん、入場料は無料です。タダで見せるには惜しいくらいの展覧会です。ぜひ美術館へ足を運んで感激の言葉を伝えましょう。気分をよくしたハラダさんは、調子に乗ってますますいい仕事をし、社会に貢献するでしょう。

追記 5月31日にコレクションについてのワークショップが開催されます。(要申込)

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2009年5月25日 (月)

第5回竜一忌

1434354_img 松下センセを偲ぶ集い 2004.08.01撮影

南の方での梅雨入りのニュースとともに、ことしも竜一忌の季節がやってきました。作家・松下竜一(以下センセと書く)の命日のことであり、ことしは6月13日(土)に中津の草の根の会で「竜一忌」の催しが開催されます。

梶原得三郎氏から送られてきた案内状によりますと、その内容は

日時 2009年6月13日(土)13:00から

テーマ 「抵抗権」

ゲスト 佐高信(評論家)、目加田説子(交渉中・地雷廃絶キャンペーン運営委員)

プログラム 第一部:ゲスト講演、

       第二部:参加者のトーク、

       第三部:散策(松下氏の愛した河口あたり・希望者のみ)

       第四部:飲食しながら自己紹介、歓談

会場 一、二部は中津市立小幡記念図書館

    四部は童心会館二階(図書館から徒歩3分)

会費 4000円

案内状には、ことしの2月7日に中津で公演された「かもめ来るころ」の2人芝居は、<関係者の誰も想像しなかった満席>だったとあります。他にも、得さん(梶原さん)のところには研究者がたびたび訪れているそうで、松下センセが亡くなって5年が経過し、時代はますますセンセの精神を必要としているようにおもえます。

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左の写真は、センセ(松下氏のこと)と洋子さんと愛犬の散歩コースであった中津城近くの山国川の河口付近です。奥に見えているのが小祝島であり、ともにセンセのずいひつにたびたび登場するセンセのファンなら聖地のような場所であり、たぶん今回の竜一忌の散策コースになることでしょう。

右の写真は病弱なセンセが終世お世話になっていた病院です。竜一忌会場である小幡記念図書館からすぐ近くにあります。

なお、会場の小幡記念図書館はモダンディズム建築家・槇文彦氏の設計(1993)です。屋上を市民に開放するなど、槇氏には珍しくシンパシーな印象の小ぶりな図書館です。また、中津には同氏の設計した「風の丘葬祭場」(1997)もあり、葬祭場建築の佳作として必見の建物です。

いちおう、5月20日が竜一忌の参加申込締め切りとなっていましたが、関心や興味のある方は草の根の会に聞いてみてください。友をたいせつにし、遠来の人をもてなしてやまない人たちです。

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2009年5月22日 (金)

ジオパーク・キリシマ

先日、新緑眩しいキリシマに行ってきた。約一年ぶりの登山である。ふとしたことからキリシマに咲くミツバツツジのことを知り、ちょうどその時は気分がくさくさしていたこともあり、気分転換と思考確認するためだ。キリシマの中央にある新燃岳のふもとに、新湯という場所があり、なんにでもよく効く魔法の温泉があるところでもある。その新湯から伸びる林道の始点に車をとめ、ひたすら林道を歩く。ゆるやかな勾配なので、わたしのような万年ビギナーのハイカーにはウオーミングアップにもなりいいかもしれない。

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しばらく行き、林道の終点に沢があり、飛び石にその水の流れを超える。これがふたつある。

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ここからが本格的な登山路であり、途中には炭化木というキリシマの火山の噴火を示す遺物も見ることができる。

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運動不足のわたしだが、この行程は樹木がほどよくあるので、清々しい気分を残したまま歩くことができる。

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こうして、出発して約二時間後、お目当てのミツバツツジの群生する場所に行き着いた。ここを抜けると獅子戸岳と新燃岳、さらには大幡山への分岐点だ。写真は獅子戸と韓国岳に連なるパノラマと、やさしいカーブを見せる新燃岳、都城市から見る高千穂の峯真反対にあたる頂である。

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これがミツバツツジであり、名のとおり三つの葉が見える。

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さて、登山で疲れた体には温泉がもってこいだ。西の秘湯の大関、新湯温泉へ。

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この温泉は硫黄成分がキリシマのみならず、全国的にもとくに高い数値を示す温泉であり、万病に効くと言われている。ただし、あまりに強烈なため、重病人や子どもには向かないので用心を。

  先日「ジオパーク講演会」なるイベントが都城市の交流プラザで開催され、鹿児島大学の井村准教授から詳しくキリシマのすばらしさを教えてもらった。

200904292687 その時の講演のようす。

ジオパークは、まだそれほどの知名度はないが、世界遺産とおなじく、国連の専門機関であるユネスコが管理・掌握する認定制度であり、現在はおもに中国とヨーロッパで選定作業がすすんでいて、世界で50か所ほどが登録されている。ゆくゆくは世界遺産のようなステイタスも期待されているらしい。そのジオパークにキリシマを登録させ、地域の活性化に役立てようという意思が、都城市はじめ、キリシマを取り巻く近隣都市間で合意されたそうで、その啓発がこの講演の趣旨であり、あわせて活火山キリシマの防災対策にも役立てようというねらいもある。そのため、この分野のエキスパートである鹿児島大学准教授・井村氏の熱のこもった講演が開始された。そして、氏はキリシマの地質学的な特異性と優位性、活火山キリシマの脅威を教えてくれる。

現在では、南九州有数の火山といえば、桜島をだれもが思い浮かべるだろう。しかし、キリシマは、それよりはるか古代からつい近年まで、日本有数の活火山であったそうだ。その歴史と生い立ちのすさまじさも桜島をはるかに凌駕している。キリシマのできた当時の大爆発は、遠く東北地方から伊豆諸島にまで大量の火山灰として痕跡をとどめているのである。

大小23もの噴火口や跡、火口湖をもつキリシマは、ジオパークとしての資質も十分にある。たしかに、行ってみると、赤茶けたものや黒い岩石、土の層、とがった頂、ゆるやかなカーブを描く稜線、特異な形の巨岩、噴煙、エメラルドグリーンの火口湖、いろんなバリエーションがあってたいくつしない。体力に応じていろんな登山も楽しめるのがいい。数種の温泉も豊富にあり、霧島神宮、天の逆鉾など歴史遺産もある。

そして、頂上で飲むビールは格別だが、夜はゆっくりと焼酎をかたむける。もちろん「霧島」だ。こちらも赤、白、黒とバリエーションがそろっている。

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2009年5月18日 (月)

茗渓学園プロジェクト

200905142756 柴谷晋著、新潮社刊、2009・4月、¥1500

スポーツを見るのが好きなわたしは、茗渓学園という名前は知っていた。毎年、正月におこなわれる高校ラグビーの強豪としてだ。

おそらく、その名前と私学ということから、金にあかせて選手をスカウトしてくるスポーツ私学だとばかりおもっていたのだが、あにはからんや、130年もの歴史と由緒を誇る、日本の学校教育界に君臨する名門茗渓会の運営する特異な学校であるという。

かつて、東京教育大学という名の学校の先生を養成する日本でトップバッターの大学があり、今から30年ほど前に筑波大学と名をかえ東京から茨城県に移転する。この前身の大学には、付属校として駒場高校(小中学校も?)があった。ところが、その駒場校は移転せず東京にとどまることになる。そこで、東京教育大学のOB会は、移転・設立される筑波大学の教育活動をたすけるため、付属中学・高校的な中高一貫校の設立を決定した。このOB会の名前が「茗渓会」であり、学校の先生なら承知のことなのだろうが、学校にいい印象をもっていないわたしとしては知る由もないことだ。

日本の教育界の最高峰のお歴々を多数擁する名門「茗渓会」は、その新しい学校の校長に岡本稔を選出する。

本書は、その岡本が一からつくりあげた茗渓学園の、30年間の歩みを詳述した内容である。おそらく開学して30周年を迎えるにあたっての記念出版だろうし、主人公の岡本が先年亡くなったことで、その功績を顕彰するためのものでもあるだろう。しかし、それを割り引いたとしても、わたしはこの学校にすごくいい印象をもった。できることならわが子をこの学校に入れたいくらいである。それほどすばらしい実践が本書にはある。デモシカも日教組も文部省も関係ない、純粋に子どもの教育に全身全霊をかたむける教師像と世界で活躍する人材を育成するためのユニークな学校が見て取れ、卒業生にはキラ星のごとくに今をときめく人材が多数ある。ただし、その分学費はけっこうするらしい。いい教育にはそれなりの費用がかかって当然である。

本書の正式なタイトルは『出る杭を伸ばせ』である。いいねー。キヨシローみたいだ。

来年の正月、もしこの学校がラグビーの全国大会に出てきたら、無条件で応援したいとおもう。

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2009年5月14日 (木)

反骨・とんこつ

キヨシローが亡くなってから、ユーチューブでキヨシローとRCサクセションの動画を見続けた。数日間、片っぱし、繰り返し見つづけた。そんなに大ファンということもなかったのだが、今さらながら、その楽曲の楽しさと存在感の大きさを感じた。世の中が小さく小さくなっているような気がする昨今、あらためてキヨシローの自由と大きさが惜しいと痛切に感じる。

ユーチューブにはRCの初期のころの動画もあって、よくこんなのがあったもんだと感心する。ビートルズのようにマシュマロカットのキヨシローが、あの特徴のある声で唸り、ギターをかきむしる。ギターはエレキではなくアコースティックだ。

画面で見るキヨシローは鳥ガラのように痩せて小さい。しかし、精神の強さや大きさは体格には比例しない。ステージの上のキヨシローは大きく、なによりカッコよかった。「君が代」は、わたしは聴くものだと決めているので歌わないのだが、キヨシローの「君が代」なら唄ってもいいなとおもった。「タイマーズ」なんていまの小さな社会ではおそろしい歌詞だし、さすがに「やりてえ」はうちの子どもには聞かせられなかった。

こうして、あんまりキヨシローばかり聴き続けたので、すっかり髪の毛が逆立っちまった。酒を飲んだくれてガンガン一晩中聞いていたら、奥さんが怒り狂って家の中をめちゃくちゃにしちまった。そんなことナイアイアイ。

鳥ガラのようなキヨシローを見つづけ、反骨と素直な精神をあらためて大事にしたいと感じつつ、とんこつラーメンを食べてキヨシローウイークを締めた。

さて、建築の世界でもっとも反骨精神にあふれているのはだれだろう。アンドーだろうか、それとも磯崎だろうか。建築家やクリエイティブな仕事をする人には反骨精神は必須だろうが、ここでは石山修武(いしやまおさむ)を挙げておこう。

200905142757 200905112720 「住宅特集」1986年10月号より

これは石山修武が設計し、建築主が自分で建てたセルフビルドの家であり「開拓者の家」という名がついている。わたしは建築を学び始めた学生時代に、この写真をみて衝撃を受けた。こんな建築と建築家もあるのだという驚愕におののきながら、ページをめくり食い入るように写真を見つめ、建築の自由に歓喜し、菅平高原で野菜をつくっていた正橋青年が、石山修武と12年もの歳月をかけてつくりつづけた家づくりの物語をつづったテキストを読んだ。

この家は、土木の現場でよくつかわれるコルゲートパイプという防腐性の高い鉄製の資材をごろんと転がして内外に手を加えたもので、豊橋にある川合健二の自邸(通称ドラムカンの家)がそのオリジナルである。この川合邸の方はdocomomo ジャパンの選定建築物にもなっている。石山氏は川合氏に師事していたことがあり、川合邸をなにかの雑誌で見てあこがれた正橋青年が、川合氏にコンタクトをとったところ、自分は建築家ではないからということで、かわりに石山氏を紹介されたことが発端だったようだ。

川合氏は丹下健三とも協働したことのある優秀な技術者だ。設備やエネルギーが専門分野であり、ドラムカンの家にも独自のエネルギー理論が込められているという。また、この家の形態は、地面に転がっているだけだから建築物ではなく、固定資産税がかからないという理由もあるらしい。たしかに建築基準法では「土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱もしくは壁を有するもの」と建築物のことを定義しているので、これでは建築物にはあたらない。しかし、いつのまにかお上は、この条文に(これに類する構造のもの)とカッコ書きを付け加えてしまったので、現在はドラムカンの家も課税されるだろう。お上の収入にひびく反骨精神は、すぐに骨抜きにされてしまう運命にある。

まだ工事中のある年の冬、正橋青年が結婚式を挙げた日の夜、宴の席で石山修武は都はるみの「北の宿」をうたったそうだ。「あなたー♪変わりはないですか・・」すると列席者のひとりから「おまえ正橋に変な家をつくらせておいて、あなた変わりはないですか・・はないだろう、反省しろ!」と詰め寄られたという。

もっとも、ギャラリーに罵声を浴びせられることはこの建築家にとって珍しいことではなく、建築主の家族からもときに投げつけられたりする。施主の期待に添うべく、ユニークな家をつくったはいいが、いまどきの家を好む女房や、彼女に従属する子どもからは敵意を持たれ、罵声とともに石を投げつけられたことがあると何かの本で読んだ。今やベテラン建築家として名をなした石山氏だが、こんな履歴もある。

施主の奥さんや子どもに石を投げられたらつらいだろうな。わたしにはとてもできそにないあいあい。だから、わたしには反骨よりとんこつの方が似合う。もちろん、鶏がらベースのしょうゆ味も好きだが。

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2009年4月25日 (土)

南龍堂書店

京都に大龍堂という本屋さんがある。関西在住の建築界の人なら知らない人はいないだろう。わたしも京都に住んでいたころは、しょっちゅう行っていた。

京都御所を区画する南側の筋が丸太町通りであり、東側の筋を河原通りという。その河原町丸太町の交差点から西側の一筋目の通りを南にちょっと行ったところにこの本屋さんはある。

下の写真で見るとおり、ごく一般的な京都の町屋を改造した店構えであり、改築設計は京都を代表する建築家のひとりであり、もっとも京都らしい設計者ともいえるかもしれない吉村さんによる。

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この書店は建築書の専門店である。10坪にも満たない小さな書店だが、内部は建築書ばかりであり海外の雑誌やめったにお目にかかれない珍しいものなど建築で満たされた幸福で静かな空間は多くの専門家に愛されている。

この小さな店には、中央に4人掛けのソファ置かれていて、テーブルにはいつでもホットコーヒーが用意してある。書棚から手にとった本を、ゆっくりコーヒーを飲みながら愛玩・吟味するのがこの書店の流儀なのだろう。だからここは、建築を愛する人たちのサロンにもなっていた。(今でもそうなのかもしれないが、わたしが知っているのはもう15年以上も前のことなので過去形にしておく)

また、この書店は出版も手掛けていて、独自の企画でいくつかの良書を世に出してもいる。このように、単なる本屋さんではなく、建築関係者のサロンでもあり出版者として情報を発信するなど旺盛な活動をおこなっている。

さて、タイトルの南龍堂書店というのはどこにあるのかというと、架空の本屋さんである。都城に建築の専門書店をつくりたいという夢がわたしにはあり、その店名だけは決まっていて「南龍堂」である。もちろん、京都の大龍堂から一字をいただいている(かってに)。南は南九州の南であるが、東京にあるやはり建築専門書店「南洋堂」の「南」でもある。つまり、東京と京都にある建築書店の雄からそれぞれ一字づつをいただいているわけで、これ以上のネーミングはないといういい名前であるとはおもうのだが、残念ながら開店はいつの日になることか。

先ごろ、都城の旧ダイエーがイオンモールとしてリニューアルオープンした。そこには、巨大な書店も客寄せの目玉として入ると聞いていたのだが、実現したその書店は、残念ながら建築書のコーナーは既存店とあまり代りばえはしないものだった。同じ南九州でも鹿児島に行くと専門書が充実した本屋さんがある。福岡まで足を延ばせばさらに充実するが、とくに、建築書は宮崎県は見劣りがし、それは大学の建築コースがないことと密接に関係があるのだろう。最高学府がないということは、それを研究し学ぶ人たちが少ないということであり、専門書のニーズがない、売れない本は置かない、建築のレベルが上がらないという負のスパイラル的な環境に宮崎県の建築界はある。

ただでさえ、大型書店に押されて小さな街の本屋さんは厳しい環境にあるだけに、専門書の本屋さんは厳しいだろうが、大龍堂のような、愛好家のサロンを兼ね備えた小じんまりとした居心地のいいスペースが欲しい。本屋さんが無理なら貸本屋または図書館でもいい。そんな意味では宮崎県の建築家の有志などで構成する「竹の会」がやっている「建築図書館」がそんな役割を果たしているのだろうが、これもじゅうぶんに活用されているとは言い難いし、都城からは遠い宮崎市の青島にあるのが惜しい。

南龍堂のオープンはいつになるかわからないが、もしかして老後には趣味と実益をかねた細々としたサロン的な店ができるかもしれない。世の中は大型化と、ユニークさを売りにする小型特化の二極化に流れているようだから。

追伸 ネット時代のいま、大龍堂書店ではインタ-ネットによるメールで建築や出版に関連する各種情報の発信もおこなっている。京都に限らず、建築の愛好者には有益なものだとおもうので、興味のある方は大龍堂までどうぞ。情報の発信は有料のようですが、メールの受信は無料です。

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2009年4月12日 (日)

鹿児島の卵/ゼロ・コスモロジー、鹿児島大学稲盛会館、輝北天球館

鹿児島にはコンクリートの卵が三つある。鬼才・高崎正治による輝北天球館とゼロ・コスモロジー、そして世界のアンドーの稲盛会館だ。

場所的にはアンドーの卵は鹿児島大学構内にあり、輝北天球館はその名のとおり輝北町の高台の見晴らしのいい場所だ。このふたつはすでに工事中も含めて見学済みであり、高崎のもうひとつの卵だけが実際に見ていない建物だった。

先日、所用で鹿児島に行くことになり、ようやく三つ目の卵を見ることができた。その「ゼロ・コスモロジー」の場所は、なんと、アンドーの稲盛会館のすぐ近く、鹿児島大学内の付属小学校の目の前のコンビニの裏手にあった。

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年代順ににいくと、ゼロが1991年ともっとも古く、次いでアンドーが1994年、輝北が1995年である。上の写真がゼロであり、さすがに20年近い歳月はツルツルの卵を黒いピータンに変化させてくれている。もともと、ここは高崎氏の拠点事務所だったのだが、昨年、氏は事務所を東京に移したようであり、現在は無住の事務所となっている。右の写真に郵便受けが写っているが、名前はそのままなので、現在でも氏の鹿児島での活動拠点にはなっているのだろう。氏は鹿児島県人であり、その顔つきはバリバリの薩摩隼人である。卵の下の池には、錦鯉が数匹、悠々と泳いでいたので、メンテナンスは定期的にされているのだろう。

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こちらはゼロから目と鼻の先の鹿児島大学にある稲盛会館。京セラの創始者稲盛氏の寄贈による。アンドー氏も高崎氏とおなじく、卵には思い入れの強い建築家であり、実現はしていないが、大阪中之島の古い公会堂の改修案が卵を内包した案であり、その案がスモールバージョンとなってこの鹿児島で実現した。

大学西側の道路から、ガラス越しに卵が透けて見えている。写真のうつりが悪くて見にくいが、ここの卵は一部がカーテンウオールのファサードから突き出ていて、3枚目の写真はその部分のサッシとの取り合い部だ。

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これが三つ目の輝北天球館。まず、このグジャグジャの造形に、「よく作ったな」とだれもが感嘆の声をもらす建物である。この建物は球状のカタチが複数内包されていて、1枚目の写真ではわかりづらいが、天文台のような形状の奥にロータス(蓮の葉状のもの)を冠した卵が鎮座している。卵の下の展望台からは、錦江湾越しに桜島の雄姿が見え、高崎のいう宇宙との交感施設らしいロケーションである。また、ここは一年中風の強いところであり、近くには多数の風力発電の巨大なプロペラが風と交感している。

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この2枚は卵の内部であり、ホールになっている。2枚目は上部を見上げたもの。コンクリートの円柱が貫通して、やはりコンクリートのロータスを捧げ持っている。

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2009年4月 6日 (月)

都城市民会館の近況

桜の満開に合わせて都城市民会館に行ってきました。

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昨年夏のアスベスト撤去工事以来、とくにめだった動きはありませんが、アスベスト撤去工事後、市の生活文化課から大学推進室に移管されたことが小さな変化です。

先日も東京大学の学生が見学にやって来たそうですが、事前にアポがなかったため、内部の見学はできなかったとのこと。市の事情もあるのでしょうが、せっかく身銭を切って市民会館を見学に来てくれた学生さんのために、もうすこしサービス精神を発揮してほしいものです。

昨年の秋、都城市観光協会などが「都城島津祭り」を開催しましたが、そのときに使用した道具や、現在改修工事中の都城島津邸のおびただしい所蔵品の一部が現在館内に置かれていて、それなりに有用に使用されているようです。

右の写真2枚はかつての会議室のようすですが、内部の間仕切りは取り払われています。たぶん、アスベスト撤去工事の際に撤去されたのでしょう。アスベストは会館の断熱材として館内の内部におおく使用されていましたので、それを撤去するには天井や壁を取り払う必要がありました。写真でコンクリートの壁に丸い痕跡がありますが、かつてはアクリルの空調ダクトがあったところです。ピカピカの無味乾燥のジプトーン天井は、アスベスト撤去工事の際に張り替えられたものです。

市は市民会館の高い建築的価値は承知してますので、オリジナルのアクリルのダクトや調度品などは保存しているとおもいますが、あらたに使用者となる南九州大学が、どの程度の改修改造工事をするのかはわかりません。新学部の設置が延期になったこともあり、まだ大学は市民会館にはノータッチのようです。

現在、広原町の新キャンパスでは、入学式を目前にして、改修工事が急ピッチで行われていますが、その喧騒は市民会館にはまだ無縁です。今年度に予定されている新学部の設置が認可されたあとに、いよいよ市民会館が大学に委ねられることになるのでしょう。はやく新オープンの会館を見たいものですが、もうしばらく時間がかかりそうです。

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2009年4月 2日 (木)

花木の住宅・模型2-2

花木の住宅の模型第二案です。

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2009年3月25日 (水)

花木の住宅・模型2

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花木の住宅のスタディ模型。これを原形に現在第二案を検討、作成中。わくわくしていい予感。

昼間はWBC、夜はしこしこプランスタディ。はたして自由業は自由なのか、不自由なのか。

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2009年3月20日 (金)

慈しまれる?モダニズム建築

20090313075927s 日本建築学会「建築雑誌」2008年2月号 定価1300円

この本(雑誌)は日本建築学会が毎月発行する機関誌であり、上の写真はその1年前の「2月号」の表紙だ。この本では「慈しまれる?モダニズム建築」という特集を組んでいて、同誌編集委員の建築史家・倉方俊輔さんが担当した。

都城市民会館の保存運動に際して、2007年の7月にわたしたちは「都城市民会館厄払い」なる催しを企てたが、倉方さんはその展覧会とシンポジウムに掛けつけてくれ、シンポジウムではパネリストのひとりをつとめてくれた。もちろん東京からの交通費を含めて一切手弁当であり、市民会館の保存を願う歴史家の厚意に深く感謝している。

そんな縁があり、倉方氏の担当したこの「建築雑誌」の特集企画にわたしも寄稿を求められ「蘇った?メタボザウルス・都城市民会館」というタイトルで拙文を書かせてもらった。特集には失われつつあるモダニズム建築の具体的な事例が8編収録され、都城市民会館や国際文化会館のように保存されたものや、大学セミナ-ハウス、東京女子大学、東京中央郵便局など解体されたもの、係争中のものが拮抗した構成になっている。

このたび、同雑誌の文章がネットで閲覧できるようになったことを倉方さんのブログ「建築浴のおすすめ」で知った。なるほど、PDFで閲覧できる。「建築雑誌」なんて、建築学会に関係している人くらいしか読まないだろうし、一般の書店にも置いていないので、これまでほとんど触れてなかったのだが、せっかくのことなので紹介しておきます。

氏のブログには、いま話題の「東京中央郵便局」の近況も詳しく記述されていたりするので、興味のある方はぜひ覗いてみてください。

※倉方俊輔さんのブログ「建築浴のおすすめ」http://kntkyk.blog24.fc2.com/

※「建築雑誌」2008年2月号閲覧ペ-ジ(開ペ-ジ後、Ciniの部分をクリックしてください)http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00079427/ISS0000420071_jp.html

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2009年3月11日 (水)

定額給付金と武徳殿

財布を拾った。わたしはよく財布を拾う。そのかわりによくなくすので、バランスはとれているのかもしれない。これまで数回財布をなくしている(紛失というか置き忘れがほとんど)が、ほぼ90%は返ってきている。一度は旅先で高速道路のトイレに忘れていたのが、ある日突然宅急便で返ってきて、丁寧にお礼状を書いた。だからというわけでもなく、わたしは拾った財布は交番に届ける。あたりまえだと思うからだ(ほんとは気が弱いからだともうひとりの自分が言う)。

拾った財布に、たまには免許証や名刺が入っていたりして、そのまま電話してあげたこともある。知っている人ならそうすればいいが、知らない人の場合は交番に届ける方がいいのかもしれない。その場合、交番はちゃんと名刺の電話番号に電話して連絡するのだろうか。数年前、やはり財布を拾った。中には同じ名刺が多数あり、たぶん落した本人だとおもう。交番に行き、「財布を拾ったんですが、中に名刺があるので連絡してもらえますか、しないんだったら持って帰って自分でします」と言ったら、さいしょはいやがっていたけど、わたしが持って帰ろうとしたら「するから置いていきなさい」みたいなことになった。そのときは落とし主がお礼に来たので、おまわりさんが電話したのか本人が連絡したのかさだかではないが、持ち主に返ってよかった。

さて、届けてから、もう一週間になろうとしている。まだお礼の電話がないところをみると、落とし主はよっぽどの金持ちか警察に不信感を持っている人物か、あるいは、わたしが「お礼はいりません」と言ったことを忠実に守っている人なのだろか。交番でおまわりさんと一緒に中身を確認したら6万5千円入っていた。まさか、これだけの大金をなくしてそのままにしておく人はいないはずであり、すぐ連絡があるだろうと思ったのだが。

交番に届けたあと、自宅に帰ってテレビをつけたら、定額給付金を執行するために必要な関連法案が可決されたとニュースが言っている。わたしの家庭だと6万4千円になる。拾った金とほぼ等しい。一瞬、善行をしたわたしへのご褒美かとおもった。不足の千円は消費税だとおもえばいい。

でも、拾った財布を届けるのは当たり前のことであり、善行ではない。その証拠に、わたしは財布を届けて交番でおまわりさんにお礼を言われたことがない。「あなたはいいことをしました」なんて警官に言われた日には、へそまがりのわたしは毒づくだろから、それでいいのだが、財布を届けたわたしに、落とした場所、住所氏名、職業、本人確認のため免許証拝見など根掘り葉掘り時間がかかるので、とっとと帰りたいわたしは不愉快になる。お礼はいらないとハナから言ってある。「もう帰る。そんなにめんどくさいのならもう届けない。この財布は持って帰る」と言ったらやっとあきらめてくれたが、それらはすべてわたしの不徳である。担当の若いおまわりさん、困らせてごめんなさい。

そんな若いおまわりさんを鍛えているのが宮崎県警察学校だ。ここには武徳殿というすてきな武道場がある。仄聞では戦後のものらしい。うちに営業に来る電気屋さん(ここで剣道を教わっていた)によれば、子どものころは床が抜けているところもあったそうだが、先日行ったときにはきれいな床だったので、おそらく張り替えたのだろう。唐破風の建物は銭湯くらいしかなくなり(宮崎県には銭湯も珍しい)、これぞ唐破風という県内有数の貴重品である。

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現在ではおもに剣道場として使用されているようだ。貴賓席(玉座と言った方がいいかもしれない)を持ち、昭和前期の武道場の様式がよく見て取れる貴重な建物だとおもう。開口部はアルミサッシに変更されているが、建物本体はしっかりしていて、まだ数百年は物理的にはもつだろう。やっぱり、多少の無理はしてもいいものを作っておいた方がいい。

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