2008年7月18日 (金)

がんばれニフティ

うかつなことに、検索ワ-ドの解析機能がこのブログに付いていることを知らなかった。訪問者が何人という情報が出る、アクセス解析があることは知っていた.。そして、生ログという機能で、どんな検索ワ-ドでこのサイトへやってくるのかを見ることはあり、まったくこのブログの記事に無関係におもえる言葉で、検索にかかって来訪するアクセスもあり、便利な反面、インタ-ネットと検索の不毛性にも思いを寄せていたのである。

検索サイトである言葉を検索にかけると、瞬時におびただしい量のサイトとペ-ジが検索される。たとえ数百万のサイトがそこで引っかかっても、実際にそのペ-ジが開かれるのは上位100番以内までだろう。せっかちな人は最初に表示される10件あるいは20件までしか可能性がないのかもしれない。つまり、その残りの数百万件はあってもないのと同じである。また、せっかく検索の上位に上がり、そのサイトを開いてみたところ、まったく役に立たない内容だったりすることもしょっちゅうだ。必要な情報を得るために、たくさんの無駄なサイトを経由することも多く、ほんとうに便利なのか不便なのかよくわからないのが検索の実情だろうが、なんとなくネットで調べモノをすることが多くなり、しばらくはグ-グルやヤフ-の脅威的な情報量に頼らざるを得ないのも事実だ。

ためしに、このブログの過去4ヶ月分について検索ワ-ドを表示してみた。瞬時に棒グラフが現れ、パソコンの情報処理能力に狂喜する。総検索アクセス数4060ということなので、1ヶ月に約1000件の検索からの来訪ということか。1位は「都城」496件、2位が「建築」253件と表示された。<都城から建築を込めて>というタイトルにふさわしい結果である。3位には「都城市」がつづき、これは1位の「都城」とほぼ同意語であり、このブログに来る人は、「都城」という言葉が圧倒的に多いことを知る。4位に「島津邸」が入っていたのは驚いた。たしかに、このブログでは過去に数回島津邸や島津墓地のことを取り上げているので、島津に反応する回数が多いのはわかるが、それだけのニ-ズがあるといことであり、この4ヶ月間に島津邸のことを100人以上の人が調べようとしたことに驚くのである。

ランキングをよく見ていくと、下位に他にも「島津家」「島津」「都城島津家」「都城島津邸」「島津屋敷」などがあり、島津関連の言葉がことのほか多い。ひとつひとつの言葉を厳密に分けて表示してくれるので、島津関連語が多数散らばっているようだ。どうやら、島津に関する検索ニ-ズは、かなり大きいらしい。たんに表示されているランキングだけでは正確な分析になっていない。そこで、「島津」に関する言葉はひとまとめにし、他の言葉も類似のものをまとめてランキングを集計しなおす。これはパソコンはやってくれないので手作業である。閑だからできることだ。結果は以下のとおり。

1位 「島津」関連語 717件、 2位「都城」関連語 655件 、3位「建築」 253件、ベスト3はこうなった。篤姫のおかげかもしれないが、島津の力は強い。こうなったら「島津の里から建築を込めて」に改名した方がいいかもしれない。

以下 「ホテル川久」、「都城シティオペラ」、「コンペ」、「カルメン」、「五十嵐太郎」、「宮崎」、「設計」ここまでがベスト10ということになった。「都城シティオペラ」と「カルメン」は、この3月の公演のことを数回書いたので、公演前後に検索ニ-ズがあったのだろうから、時期的なものだ。「ホテル川久」と「五十嵐太郎」が上位に入っているのは、やはり注目度が高いのだろう。

ついでに20位までを記しておくと、「豊田市美術館」、「新建築」、「(串間)吉松邸」、「都城市民会館」、「名護市庁舎」、「建築家」、「佳水園」、「桂離宮」、「(熊本)保田窪団地」、「作り方」となる。このブログで紹介した著名な建築があがっているのは、ブログの目的にもかなっているようで安心するが、都城市民会館が14位というのはちょっと寂しい。かつて、市民会館のことだけを書いていた時期なら、もっと上位であったはずであるが、書いていないことは検索されないので、当然である。

もうひとつ、検索サイト別の解析というのがあったのでやってみる。欧米ではグ-グルがダントツでありヤフ-を引き離しているが、日本ではヤフ-がまだトップであることを新聞で読んだことはあるが、果たして、結果はそのとおりだった。

1位Yahoo(62%) 2位Google(32%) このふたつでほとんどを占め、3位のgoo(2.1%)からは一桁違ってくるのだが、BIGLOBE、Exciteと続いて、わが@niftyはようやく6位に顔を出し0.6%に過ぎないのはショックだった。@niftyの検索はGoogle系だと聞いているので、@niftyで検索してもGoogleにカウントされるのだろうかとおもい、ためしに自分のパソコンでniftyから自分のブログを検索・表示し、生ログを確認してみたところ、それとおぼしきアクセスの検索サイトは@niftyと表示されている。ということは、@niftyのポ-タルサイトから検索される比率は、やはり0.6%と限りなく低いということになる。

niftyとはパソコン通信の時代からの付き合いであり、わたしにとっては10年来のなじみである。ココログだって盛況のような気がするが、インタ-ネットの時代になって、これほどまでに低い位置(検索数にかぎってだが)にあるとは知らなかった。YahooとGoogleの2強が強すぎである。ということは、わたしのようにniftyをインタ-ネットのスタ-トペ-ジに設定している人は、0.6%しかいないとうことになるのだろう。そんなわけで、このペ-ジのタイトルを「がんばれニフティ」としたが、べつにわたしに応援されるほど落ちぶれているわけでもあるまいし、ニフティには迷惑かもしれないが、驚きと愛着をこめて。

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2008年7月14日 (月)

「モダン建築巡礼」東日本編

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「日経ア-キテクチュア」誌の好評連載企画「昭和モダン建築巡礼」が単行本になりました。すでに「西日本編」は2006年に発刊(上写真右)されており、今回は「東日本編」がめでたく竣工(写真左)。

西日本編の巻頭を飾ったのは都城市民会館(菊竹清訓/1966)だった。その次は日南文化センタ-(丹下健三/1961)。巡礼隊の宮沢隊員(本誌でイラストを担当している)が、宮崎県にあるこのふたつをどうしても見たいと言う希望からこの企画はスタ-トしているのである。

東日本編は岐阜県から東が対象となる。羽島市庁舎(1959/坂倉準三)から東上し、北海道の登別温泉科学館(1957/太田実)まで20の建築を巡礼する。他にも8つの建築に寄り道しているのでつごう28の建築が巡礼先になるが、巻末に東京の国際文化会館(1955/前川国男・坂倉準三・吉村順三)を五十嵐太郎氏とKIKIさんとで訪ねる特別企画があるので、合計は29となる。その五十嵐氏はこの連載企画を「うらやましい、の一言」と評し、その言葉がそのまま本書のオビに採用されている。建築界に身をおくものとしては、まさしくこの巡礼隊は「うらやましい」かぎりであり、わたしだってそう思う。

西日本編に登場する28の建築のうち、半数はわたしも巡礼したことのある建物だったが、東日本編となると、ほとんど行ったことのない建築ばかりであり、唯一、栃木県立美術館(1972/川崎清)だけが見学済みの建築であった。見たことはないものの、これまで雑誌や文献などで知識としては持っていた建築が大半だが、なかには、いままでその存在すら知らなかったものも数点あり、それがまたすばらしい建築だったりする。巡礼隊長の磯氏の琴線に触れた建築が取り上げられているのだろうが、その選定眼・建築に対する審美眼の性能の高さにおそれいる。宮沢氏のイラストも磨きがかかり、精緻な上に建物の特徴をペ-ジ構成に応用する凝りようである。

じつは、この東日本編の冒頭にも都城市民会館が掲載されている。本文のまえの序文的なイラストコ-ナ-で、巡礼のトップバッタ-であり、掲載以後、めでたく保存につながるドラマのような展開をたどったこの会館を1ペ-ジにわたってイラストで紹介していて、先日の「日経ア-キテクチュア」本誌(5/26号)では「保存への期待度」なる指標を挿入していたが、今回は「命のろうそく」なるメルヘンチックな指標で会館の命運の変遷を表現してくれていて、宮沢氏と磯氏に快哉の声を届けたい。

ただ、このモダン建築をめぐる社会情勢は厳しく、本書に登場する建築のいくつかはすでに解体されて存在しない。建築見学のガイドブックとして本書が活用されることが本意なのだろうが、いまはなき建築の記録書的な性格を帯びつつあることは悲しい。しかし、悲観ばかりもしていられない。ならば、「戦後建築の魅力を我々がわかりやすく伝えたい。」これが本書のコンセプトである。

これで東西の巡礼集がそろった。これから巡礼の旅はどうなるのだろうとおもっていたら、この秋からは「ポストモダン編」を予定しているようだ。2008年7月14日刊。発行:日経PB社、定価2200円+税、縦21センチ×横20センチ、216ペ-ジ。イラスト、写真多数。購入をお勧めします。あるいは図書館にリクエストしてください。

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2008年7月 9日 (水)

うどん

この2ヶ月ほど、頭からうどんが離れることがない。うどん店のリニュ-アルの相談を受けてからである。

数ヶ月前、ユ-スケ・サンタマリア氏の「うどん」という映画をテレビで見た。ここでいう「うどん」とは讃岐うどんのことで、製麺所なのか食堂なのかよくわからない店とうどんが市中に根付いている讃岐地方(香川県)の食文化を、おもしろおかしく、そしてちょっと悲しくえがいたいい作品だった。全編に流れる曲はオペラ「カルメン」のもので、そのときは、すぐ前日に都城シティオペラの公演「カルメン」を観たすぐあとだったので、とくに印象に残った映画となった。

さて、うどんであるが、讃岐の製麺所では一杯100円程度で、まさしくうどんだけをすするようにして食べるらしい。もちろん、つゆのかかったうどんもあるが、茹でたてのの麺に醤油をかけるのもありである。うどん店の本業は製麺所なので食堂は副業的なものであり、日常のおやつ感覚で市民と業界がうどんに浸りきっている。こんな食文化と店が都城にもあったらいいなと映画を見ていたときにはおもっていた。

しばらくして、そんな店を作りたいという人があらわれた。現在の食品工場を改造してうどん店にという要望だ。はたしてどんな店ができあがるか、10月のオ-プンが楽しみだ。

2008年1月の朝日新聞に日本一のうどんは?という記事が載っていた。「案内人と決める『日本一』は?」という好評連載企画である。はたして、1位はやっぱり讃岐うどん、2位に秋田の稲庭うどん、3位に大阪のきつねうどんが続く。なんとなく、西日本はうどん、東日本はそばという固定観念があるが、秋田のほか、群馬の水沢うどんもベスト10に入っていているし、名古屋にはきしめんがあり、これもベスト10入り。また、そばだって南九州は有数の産地らしいので、うどん、そば、どちらも日本ではあまねく楽しめることができるのだろう。でも、やはり関東にはそば屋さんが多いし、西日本にはうどん屋さんが多いのは事実だ。

ちなみに、うどん・そば店とラ-メン店との比較では、ラ-メン店のほうが多いそうだ。これもさいきんの新聞に載っていた。

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2008年7月 4日 (金)

寝不足の夏

ユ-ロ2008サッカ-がスペインの勝利で終了したとおもったら、こんどはウインブルドンテニスが深夜にテレビでやっている。昨夜はウイリアムズが好調で、実力の違いを見せつけていた第1セット終了のところで寝てしまったが、朝結果を確認したところ、ストレ-トで順当勝ち。これで、ウイリアムズ姉妹の決勝対決となったようだ。決勝は1日おいて明日だろう。フェデラ-が連覇更新をねらう男子はその次だろうから、寝不足はまだ続きそうだ。

テレビで見ていておもうのだが、ウインブルドンはすばらしいテニス場だ。さすがに世界のテニス界の聖地だけのことはある。センタ-コ-トをはじめ、たくさんの天然芝のコ-トが用意されていて、中央にはモダンなガラス張りの管理棟のようなものがあり、そこからいろんなコ-トへアクセスできるようになっているのだろうと推測する。管理の難しい天然芝にこだわり、センタ-コ-トはこの大会にしか使用されないとも聞く。現在は盛り返しているが、凋落した時期があったとはいえ、さすがは大英帝国、本物にこだわる姿勢には敬意を表したい。

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上は4年前に都城に計画した「Hプロジェクト」案。6000坪という広大な敷地に、おもわずうろたえたが、店舗と事務所の複合用途の計画であり、集客やイベントに多目的に使える広場として中央にテニスコ-トを用意した。このプロジェクトは2案作成したが、こちらにはセンタ-コ-ト案という名称を付けた。当時は、シャラポワが注目されていて、もしかしたらこのコ-トでシャラポワが見れるかもという願いを込めての計画だったのを覚えている。そのシャラポワはことしのウインブルドンでは早々と姿を消してしまったのは寂しいかぎり。

残念ながらシャラポワもこの計画もボツになり、現在、この敷地には巨大なパチンコ店が建っている。放っておけばパチンコ店か住宅の分譲地にしかならないだろうと危惧していたとおりになった。都城でも有数のいい環境の敷地であり、より上質な環境形成とまちづくりに貢献する内容にと意気込んでつくった計画だけに、もったいないといまでもおもっているが、おもうようにならないことはこの世のならいなのでしかたがない。

8月にはいよいよオリンピックが開幕する。わたしのようなスポ-ツ大好き(見る専門)人間には、たまらない夏がやってきた。アメリカではハンセンが200m平泳ぎに落選し、ライバルの北島がより有利になったと、さっきの昼のニュ-スが伝えていた。今回は北京なので時差がなく、深夜に寝不足と家族の苦情におびえながら見る心配がないのはいいが、日中の試合は深夜に録画でとなるだろうから、やっぱり寝不足の夏となるのかもしれない。

上のプロジェクトをもっと見たい人はこちら

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2008年6月28日 (土)

東京中央郵便局シンポジウム

DOCOMOMO Japan幹事長の兼松さんからの案内です。

『東京中央郵便局を高層化するプレスリリースが25日に行われました。
この庁舎は『重要文化財として検討する価値を有すると認識している』と文化庁の次官が国会の委員会で述べている建築です。
建築家吉田鉄郎の実像と、設計したこの建築について論議するシンポジウムを、6月30日(月)建築学会において開催します。』

東京中央郵便局は、東京駅前に建つ1931年に竣工したモダニズム建築の傑作であり、逓信省の建築家 吉田鉄郎の代表作で、DOCOMOMO100選にも選定されています。東京都心に残る貴重な戦前のこの建物を、建て替えようという動きがいよいよ顕在化してきています。兼松さんは「東京中央郵便局を重要文化財にする会」を組織して、保存運動に取り組んでいます。

赤レンガの東京駅は、戦災で焼失した屋根などを当初の壮麗な姿に復元されることが決まり、また、すでに消失したコンドルの設計によ三菱館も復元されることになりました。このように、東京駅周辺の景観は、首都の玄関にふさわしい歴史と文化を感じさせるものに整えようという動きがすすんでいます。そんなところに、先日この郵便局舎の建て替え案が公表され、それはファサ-ドだけが残され、現在の局舎を低層部として、上部にガラス張りの超高層ビルが乗っかるという内容でした。それを報道したテレビ番組に兼松さんが登場して「こんなことを許してはいけない」という強い憤りを含んだコメントを述べていました。

たしかに、歴史と文化を冒涜しているとしか言いようのない、とても悲しい案にしか見えませんでした。莫大な費用とリスクを負担して、収益性を追求することも一考でしょうが、それよりも、そのまま保存して余った容積率を転売し、リスクなして経済性と両立させることも一案です。制度設計も含めて、文化を考える真摯な検討を期待したいものです。

下がシンポジウムのチラシです。6月30日、18時から建築会館ホ-ルで開催されます(入場料が1500円必要・資料代込み)。わたしは遠方につき行けそうもありませんが、行けそうな方はぜひ足を運んでください。

Yosida

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2008年6月26日 (木)

竜一忌と蜂の巣城

2004年6月17日、中津の作家・松下竜一氏が亡くなってはや4年である。6月8日に中津オリエンタルホテルでおこなわれた第4回竜一忌は盛会だったようだ。6月23日は沖縄の慰霊の日。1945年のこの日、悲惨を極めた沖縄での戦闘が終結した。福田総理も出席しての慰霊祭をテレビで見ていたら、反戦の士で松下竜一氏の無二の同志であり、こうして竜一忌を開催しつづけている梶原得三郎さんから、「土砂降りのあいまに書いています」との書き出しの手紙と資料が送られてきました。竜一忌のぶじ終了を知らせる連絡であり、それによると、ことしは作年より40人も多い参加者だったとのことで、地球環境、省エネ、開発主導のいき詰まり、どうしようもない社会全体の閉塞感。時代は、ますます松下センセと草の根の会の重要性を認識させているのかもしれません。

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これが送られてきた第4回竜一忌のプログラムです。今回は「環境権」と「暗闇の思想」が取り上げられました。

梶原さんからの手紙によると、すでに、来年の第5回の構想が固まっていて、名作「砦に拠る」から「抵抗権」なるテ-マを考えているとのことです。「砦に拠る」は、中津江村だったか上津江村だったか、ダム湖の湖底に沈む集落の長老が、蜂の巣城という砦を築き、徹底的にあの手この手でダム建設に抵抗反抗した物語を描いた傑作です。4年前の正月、たまたまこのダム湖沿いの道を通ることがあり、ほとりのドライブインで食事をしていたら、当時の蜂の巣城の写真パネルが飾ってあり、「え、このダムだったのか」とびっくりして、急遽ダムと蜂の巣城跡の見学をしてきたことを思い出しました。

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これが舞台となった下筈ダムです。右は蜂の巣城の記念碑。抵抗運動の記念碑を建設側がつくる例はあまりないだろう。

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左の写真の奥の白い施設(管理棟)あたりが蜂の巣城の跡地とされています。右の写真の中央部の急斜面あたりになるようです。かつてここに丸太を縦横に組んだ大規模な砦があった。ここにこもり、上から糞尿をぶちまけて建設部隊を追い払う「砦に拠る」の闘争シ-ンは痛快だった。

写真で見る蜂の巣城は、それはそれは壮観です。よくこんな急斜面にこれだけのものを作り上げたものだと感心するものです。清水寺や投入堂に匹敵する急斜面、崖地建築です。きっと、これを復元したら、一躍観光スポットになることうけあいですが、そんなことはありますまい。来年の第5回竜一忌には、ぜひ出席したいとおもいます。そして、今一度、蜂の巣城を確認してきたいとおもいます。あれだけの建築物はなかなかありません。

さいごに案内をひとつ。松下センセと妻の洋子さんを主人公にした2人芝居が制作されることになったそうです。センセ役に高橋長英さん、洋子さん役が斉藤とも子さんです。来年の1月に東京で公演され、その後地方公演の予定であるとか。それを伝える新聞記事を載せておきます。

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2008年6月20日 (金)

太陽国際会議

スペイン在住のア-チスト又木さんからの案内です。

この秋にスペインはクエンカという世界遺産にもなっている美しい都市で太陽国際会議なるものが開催されるとのこと。スペインといえば太陽、太陽といえば又木啓子というわけのようです。下のポスタ-になっているタイル貼りの塔状のオブジェは又木さんがクエンカ市内につくった太陽広場の作品です。

Matakiposter

詳しくはこちらをどうぞ(環)

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2008年6月17日 (火)

高崎よお前もか

名古屋の恩師から「日経ア-キテクチュア」誌(5/26号 都城市民会館の記事が掲載)を見た、とのハガキが届き、その返事を書いていたら、市内のSさんから「「カ-サ・ブル-タス」にも市民会館が載っていますよ」とのメ-ルがあり、本屋さんに行ってみました。

「カ-サ」7月号は創刊100号を記念して「美術館ベスト100」という特集をしていました。これではなさそうです。その隣に、やはり100号記念とおぼしき増刊号的な+α版が「日本のモダニズム建築100」という特集号になっていて、おそらくこれでしょう。内容を見てみると、DOCOMOMO Japanがこれまでに選定した100+25の近代建築の名品を中心に紹介するもので、もちろん、そこには昨年度のDOCOMOMO新10選に選定された市民会館も載っていますし、後半部の「絶滅建築を救え」のコ-ナ-では、昨年の3月号と今年のやはり3月号で特集された内容が、ほぼそのまま紹介されていました。そこには、見開きで大きく市民会館の外観が登場しますし、東国原知事へのインタビューなどとともに保存にいたったいきさつなどが詳しく記してありました。

ところで、ぱらぱらとその特集号を見ていたら、衝撃の記事にぶつかりました。なんと、群馬県は高崎にある「群馬音楽センタ-」に建て替えの話が出ているというのです。この建物は1961年の建設で、フランク・ロイド・ライトのスタッフとして来日したチェコ出身の建築家 A・レ-モンドの代表作とされる音楽ホ-ルです。ロ-コストを成立させるためのダイナミックな折板構造が特徴であり、客席と舞台が一体化した親しみのある名ホ-ルとして、その名を全国にとどろかせています。DOCOMOMOもまっさきにこの建物をリストに選定しました。また、建設資金を補うために高崎市民の浄財を集めてつくられた理想の公共建築物とも聞いています。そのせいもあり、高崎市民にとても愛されているものであるとも。

「中銀カプセル」、東京と大阪の両「中央郵便局」、「キリンプラザ大阪」などなど、すでに都心部にある名建築のいくつかが絶滅の危機にあり、剥き出しの功利主義を背景とした経済の論理がそれを推し進めています。まさか、「高崎」はそんなことはあるまいと考えていたのですが、記事によると、高崎市では建て替えを含む将来の姿を検討しているとの内容ですが、建築的価値を考えると、建て替えは現実的ではないとのコメントもあり、まだなにも決まっていないというのが現実のところだそうです。しかし、都城の場合も、さいしょはプロジェクトチ-ムが今後の検討をしているそうだというところからはじまりました。いったん解体の方向性が示されたらそれを覆すのは至難ですので、一抹の不安を感じずにはいられません。

昨年7月に都城で開催された近代建築を考えるシンポジウムでもこの建物ことが話題に上がり、紹介されましたが、前述のような経緯もあり、この建物は市民にも愛されているし、まさか壊すことはないでしょうとのコメントに安心していただけに、寝耳に水のことでした。シンポジウムのパネリストのひとりであった建築家の田島氏は、群馬出身ということで、とくにこの建物には愛着を感じているとのコメントをおもいだします。群馬交響楽団はこの建物を本拠としていて、音楽の街、文化の街として高崎を象徴しています。「この建物を壊したら高崎は死ぬ」、あるサイトに載っていたコメントです。そのとおりでしょう。まさか、そんな愚行・蛮行を高崎市と市民が認めるはずがないことを信じますが、「高崎よお前もか」とつぶやいてしまいます。

経済主導による安易な解体・建て替え論に与してはいけません。

1 お金の無駄使い。建て替えより、既存の施設を改修して使いつづける方がはるかに安価であり、財政に貢献します。オペラ施設が必要なら、それに特化した身の丈に合った新たなホ-ルをつくればいいでしょう。総合的な大ホ-ルを現在の仕様で新設すると、おそろしく高いものになります。

2 資源の無駄使い。解体、建て替えは貴重な地球資源の浪費であり、莫大な廃棄物をもたらします。

3 文化の無駄使い。すでに文化財として認定されている貴重な建物を失うことの文化的喪失、高崎のアイデンティティの喪失、記憶と景観の喪失。これらの喪失は金額に換算できませんが、とくに地方都市にとっては致命的です。高崎の将来に重大な禍根をのこすでしょう。

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2008年6月10日 (火)

浮世絵考

わたしは建築家を名乗っていますので、美術や芸術にも関心があります。ひとを感動させるもの、時代を象徴するもの、美しいもの、建築にも通じるいくつかの共通項がそれらにはあります。

あいかわらずひまな事務所につき、時間はありますので、さいきん、図書館で借りてきて読んだ2冊の浮世絵に関する近刊を紹介したいとおもいます。

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わたしは、浮世絵のファンでもあり、このことは、建築家として美術に関心をはらう以前にさかのぼります。たしか、永谷園のお茶漬けについていた広重の東海道53次をコレクションしていた記憶がありますので、そのころから気になっていたのだとおもいます。そういえば、なぜ永谷園は浮世絵カ-ドを付録に付けるのをやめたのでしょう。たしか、わたしが小学校か中学校のころまではいろんな浮世絵作品がオマケとして付いていたように覚えていますが。

浮世絵界の最大の謎は、永谷園ではなく、なんといっても写楽です。写楽は、当時人気のあった歌舞伎役者を、おもいきりデフォルメして描ききった大首絵といわれる作品で知られていますが、わずか10ヶ月で140点ほどの作品を集中的に世に出したきり忽然と消え、その絵師の正体は謎につつまれています。これまで、たくさんの学者や文化人がその謎解きに挑戦していて、多数の本が出版されています。だいたい、15年おきにそのブ-ムが波状的に起こっていたようであり、わたしもその中の数冊は目を通しています。北斎、歌麿、豊国、はては版元の蔦屋重三郎から十返舎一九、山東京伝、司馬江漢などなど、いろんな人が写楽に擬せられていますが、現在ではその熱も下火になり、「浮世絵類考」という江戸時代の文献に書かれ(補注として)ている阿波藩の能役者・斎藤十郎兵衛だろうという説に落ちつきつつあるようです。わたしの浅はかな知識では、それらのどれが有力であるかは判断がつきません。哲学者の梅原猛氏がおす豊国説には、それは違うだろうという感想を持ちましたが、失敗をおそれず、大胆な仮設を提示してみせるのが梅原氏のすばらしいところですので、その点は評価しています。

右の著作の著者である内田氏は、斎藤説を一貫して唱えています。考えてみれば、もっとも写楽の時代に近い江戸時代に、写楽は八丁堀に住む能役者の斎藤であると記録されているわけであり、信憑性はいちばん高いことになります。ただし、その記録が写楽の活動期(1794-1795)の数十年後に書かれたものであり、写楽作品の全ての版元であった蔦屋重三郎や、当時、蔦屋の食客として手伝いをしていた十返舎一九など写楽と密接なつながりがあり、饒舌でもあったはずの人物が、なにも語らず記録を残していないことも含めて、写楽が能役者の斎藤某であったという確実な証拠がないという状況はあいかわらずであり、これからも写楽の謎は続きます。ただ、斎藤氏に関する研究は進展しているようで、かつて東京の築地にあったが、現在は埼玉県に移転したお寺から、斎藤十郎兵衛の墓(過去帳)が発見されたそうです。それによると、斎藤氏は1762年生まれの1820年没であり、写楽の浮世絵出版時は32、33才ということになります。阿波藩お抱えの能役者であり、八丁堀に住んでいた斎藤なる人物がいたことは確認されました。同時代に役者絵の世界で活躍した豊国(1769-1825)ともほぼ年代が一致する人物ということにもなります。

左側の本は美術評論家・瀬木氏の「瀬議慎一の浮世絵談義」という本で、こちらは写楽だけでなく、菱川師宣にはじまるとされる浮世絵の創世期から錦絵の完成者とされる鈴木晴信をへて、歌麿、北斎と大衆美術として完成されていく過程に登場する絵師や、幕末から明治にかけて、鏑木清方につながる浮世絵の終末期までに及ぶたくさんの絵師を取り上げ、浮世絵というジャンルを日本の社会と美術史のなかにどう位置付けるかを考察する本です。瀬木氏は、かつては酒井抱一を写楽になぞらえようと試みたこともあるようですが、その後、写楽は写楽であるという主張に切替えたそうで、これでは突っ込みようがないのですが、賢明な主張ではあります。本書では斎藤説を有力であるとして斎藤氏と「浮世絵類考」の考証はしていますが、それ以上は踏みこまないようにしています。

一般に、江戸時代の浮世絵師については写楽に限らず情報が乏しいようです。それは、彼らが町絵師という身分の低い立場にあったことと関係があります。狩野派に代表される本絵師は公認の芸術家であり、武家や朝廷の室内を飾りますので、それなりの待遇を受けますし、公的な作者に関する記録も多いわけです。それに対して、浮世絵師は庶民のための芸術家というよりも絵描き職人であり、記録に残されることもまれです。ただし、江戸も後期になってくると、庶民の文化的欲求も向上し、旅行、芝居の人気にともなって出版ニ-ズも高まり、人気絵師にはそれなりの報酬と関心が集まるようになり、記録好きの国民性もあって、いくつかの記録が残されているおかげで、こんにち、かなりの絵師が研究され、ある程度解明されているわけです。また、写楽の解明には、絵の研究と同時に、当時の社会状況の考証も重要であるとおもいます。江戸市民に絶大な人気を博した歌舞伎ですが、その入場料はかなり高かったことを本書により知りました。生の芝居は庶民には縁遠いものだったのであり、それを媒介するものとして役者絵があったのかもしれません。また、幕府は再三にわたって町民の風俗を取り締まり、芝居のみならず出版界や浮世絵師にもその厳しい懲罰が及んでいますし、それをかいくぐって作品を発表もしています。また、絶大な人気を背景に、莫大な出演料が支払われ、大奥の女性とも浮名を流すにいたる歌舞伎役者たちですが、身分的には河原者として扱われ、最下層の立場にあったこと、役者絵を描いた絵師はたくさんいますが、なかにはそれを理由に役者絵を描こうとしなかった絵師もいたらしいこと、絵師も町民から士分出身までさまざまですが、藩侯お抱えの士分である能役者が絵師になりえるのか(今日的にアルバイトできるのか)、上流階級のものである能と、庶民階級の歌舞伎との関係、版元と絵師のつながりや制度などなど、当時の社会を詳しく研究・検証することで、写楽が突然消えたことや、作者の経歴が不明であることなどの手がかりがつかめそうな気がします。

ちなみに、わたしは写楽も好きですが、晴信のユニセックス的な人物描写と渋い洗練された色使い、歌麿の精緻で大胆な美人絵、天才北斎の自由闊達さ、広重のあふるる詩情、国芳から芳年につながる狂気、清方の気品と色気ある女性像、ポルノグラフィの絶品といえるたくさんの春画、それらのすべてを愛します。絵師の才能と職人の驚愕する技術、それらを求め愛したユ-ザ-に脱帽するばかりです。

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さいごに、わたしの浮世絵風?作品をひとつ。これは、都城のある団体から数年前に依頼されてデザインしたハッピです。現代の人間として、スマ-トでおしゃれなモダンな意匠も頭にないではありませんでしたが、ここではおもいきって浮世絵を意識したジャポネ-ズキッチュ路線でいくことにしました。上にそびえるのがご当地の霧島であり、北斎の赤富士ならぬ赤霧島をめざそうとしましたが、同じ名前の焼酎ができたのでやめ、青霧島になりました。竜の下にあるのは関ノ尾の滝です。北斎には滝シリ-ズの名品があり、水流や飛沫の表現が、ある意味で版画に近い製作物である染物での表現に、おおいに参考になりましたし、上空に飛ぶ竜も北斎の肉筆のものをアレンジしたものです。いろんな竜を図像であたりましたが、北斎のものがいちだんと迫力がありました。竜は吉祥な図柄であることと、関ノ尾の滝の竜伝説にちなみますが、水に浮かんでいる1976年というこの団体の創設年が辰年であったことにも起因します。

予算の関係で色の数を抑える必要があり、当初イメ-ジした極彩色の錦絵というわけにはいきませんでしたが、染物屋さんと打ち合わせて、なんとかこの表現でおさめてもらいました。写真はありませんが、この反対側には母智丘の桜の花びらを、黄色地に白抜きでその当時の会員の人数分だけ散らしてあります。もともと、絵はわたしの専門外の仕事であり、はじめてのことで四苦八苦しましたが、いい勉強にはなりました。ただ、こうやって現在眺めていますと、「ちょっとダサイな」という気もしますし、「よくできてるじゃん」という気もします。技術的には、滝の上部の甌穴(おうけつ)部の表現がイマイチのようですし、山と滝のバランスがちょっと悪いような気もしますが、実際に着用したものを見ると、目線が竜のところにきますので、この写真で見るほどではないようです。

この作品の優劣はともかくとして、この作品のつくられた背景には、日本の誇る浮世絵芸術(とくに北斎)と永谷園のお茶漬けがあったことは間違いありません。たとえ、商売のためとはいえ、オマケに付いていた浮世絵カ-ドに惹かれた少年の心が、このハッピの図柄を生んでいます。文化とはそういうものであり、広範囲に影響を及ぼしますので、たいせつにする必要があるわけです。そういうわけで、さいきんは大相撲の懸賞でやたらと永谷園の垂れ幕を見かけますが、浮世絵の方もひとつよろしくと言っておきます。

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2008年6月 8日 (日)

素直な人

ひとの言うことをよく聞き、それを守ろうとする人がいます。このひとたちは素直なひとと呼ばれています。

わたしは、自分の言うことに忠実であろうとおもっていますので、ひとの言うことより自分の言うことを優先することがたまにあります。でも、わたしも自分の意思に素直なひとであると言えます。

ひとの言うこと、自分の言うこと、どちらに忠実かの違いはありますが、どちらも素直なひとであると考えます。

わたしは、自分の言うことに忠実であろうとはおもいますが、それをべつのひとが聞き入れなくても怒ることはありません。ひとそれぞれ、いろんな考え方があって当然だからです。

ひとの言うことをよく聞いて守る人は、しばしば、その意見を他人にも受け入れさせようとし、それが聞き入れられないと反感をもつような傾向があるようにおもいます。

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2008年6月 7日 (土)

第4回竜一忌

いつのまにか6月になり、ことしも竜一忌の季節になりました。

竜一忌というのは、数年前の6月に亡くなった作家・松下竜一氏の命日に会わせて、生前の氏と氏の仕事を偲ぶ会であり、氏が活動していた中津市に本拠を置く「草の根の会」の手で開催されています。ことしで4回目だそうで、時の流れを感じさせます。

ビンボ-で病弱で、家族おもいで、仲間をたいせつにし、中津の風景と自然を愛し、それらを守るためにに権力の傲岸不遜に強靭な精神力をもって立ち向かった作家、それが松下竜一です。入梅のこの時期、雨のひとときをセンセ(松下氏の自称であり愛称)の本を傍らにおいてやり過ごすのもいいでしょう。

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これは我が家にある松下さんの著作です。左側の「檜の山のうたびと」はハンセン病者の隔離入所施設に生きる歌人のことを記録した本であり、あとの2冊の文庫本は氏がノンフィクション作家として立つきっかけにもなった豊前灘沖の火力発電所建設反対闘争とその論理をあきらかにした本です。地球温暖化、二酸化炭素の削減など、こんにちの地球環境問題や省エネを考えるうえでもたいせつな思想を内包しています。

センセの著作は44冊に及び、すでに、センセの生前に「松下竜一 その仕事」という著作集全30巻も発行されており、都城市立図書館にもありますが、今回、単行本に収録されていない新聞、雑誌などに発表された文章を全5巻にまとめた「松下竜一 未刊行著作集」が発行されることになりました。

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都城市立図書館はじめ近隣の公共図書館に購入してくれるようリクエストしたいとおもいます。松下氏がもっと注目され理解されることが、よりよい社会づくりのために必要なことですし、時代の要請にもかなっています。

第4回竜一忌は6月8日 中津オリエンタルホテルで開催されます。

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2008年6月 5日 (木)

「島津の国宝と篤姫の時代展」

日曜の大河ドラマ「篤姫」が佳境に入ってきました。「うつけ」と噂されていた嫁ぎ先である将軍が、うつけのフリをしていたのだという設定に、オット!と興味をひかれたばかりのきょうこのごろ、本日ある人から、「島津の国宝と篤姫の時代」展覧会のチケットをいただきました。

この展覧会は数年前オ-プンした九州国立博物館で、ことしの7月12日から8月24日にかけて開催されるものです。開館以来、次々と大型で魅力的な展覧会を企画して、その存在を主張している同博物館の、またしてもタイムリ-な企画に拍手をおくりたいと考えます。

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これがそのチラシです。戦国時代から雄藩として聞こえ、明治維新の原動力となる実力のあった薩摩藩だけに、すぐれた美術工芸品や古文書類をこんにちに残してくれてます。現在は東京大学史料編纂所が所持する莫大な資料から、選りすぐりの品を選んでの展覧会だそうで、期待できそうです。

ところで、ここからが本題なのですが、上のチラシの右側に見えている鎧(よろい)は、都城島津に縁のあるもので、重要文化財に指定されているものですが、所有者は都城市となっています。正確にいうと、市内在住の個人蔵なのですが、個人では貴重な文化財を管理することは困難ですので、市に寄託しているものなのだそうで、展覧会のチケットをわたしにくれた人物が、その所有者の縁戚にあたるとのことでした。そんなわけで、博物館からチケットが送付されたので、あなたは歴史好きみたいだからあげる、ということなのでした。

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もうひとつ、上の「虎狩図屏風」も都城島津の伝来品です。こちらも上の鎧とおなじく今回の展覧会に出品されます。おそらく、こちらの品は、先年、都城島津の現当主である島津久厚氏が都城市に寄贈した千点に及ぶお宝に含まれていたものでしょう。したがって、現在の所有者は都城市であるはずです。都城に存在する貴重な宝が、今回の展覧会に2点も出品される(もしかしたら、もっとあるのかもしれませんが)ことは快挙です。南九州という、歴史的に全国でもっとも貧しい経済圏のひとつであり、そのまた貧しいシラス台地という地に位置する都城に、これだけの品が残されていることを誇りにおもわずにはいられません。

さいごに、現在、都城観光協会が都城島津のマスコットキャラクタ-のネ-ミングを募集していますので、その紹介をしておきます。昨今、すっかりマスコットキャラクタ-ばやりで、セント君やマント君がマスコミをにぎわせていて、またキャラクタ-かよと言いたくもなりますが、都城島津を象徴するいいネ-ミングができましたら、それはそれでいいことですので、フルって応募してください。詳しい内容は都城観光協会までお願いします。

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2008年5月28日 (水)

宮崎県の照葉樹林・徳蘇山系

先日、竹の会の例会が青島であった。今回のゲストは地元青島に在住する植物社会学者の河野耕三さん。河野さんはことしの3月まで県内の農業高校の教師だった。そして現在は綾町にて照葉樹林の担当をしているそうだ。その河野さんから青島周囲の植生などについて、幅広い話を聞くことができた。

照葉樹林といえば綾であり、綾といえば照葉樹林だ。日本を含むアジアの広い地域に分布する常緑の広葉樹林帯のことであり、日本はその北限であるという。タブとかカシなどの肉厚の濃い緑色の葉をもつ樹種が多いことからそう呼ばれる。かつては西日本の多くがその樹林帯であったのだろうが、数千年という時を経て、開発や伐採、勤勉な国民性により人工林に置きかえられていることは周知のとおり。いまや日本の山は杉と桧で覆い尽くされ、多くの人が花粉症に悩まされている。そのなかで、綾には日本最大の面積をもつ照葉樹林が残されている。そんなわけで、綾の照葉樹は脚光を浴び、いまや世界遺産に指定しようという人もいるほどの盛り上がりである。

面積では綾に軍配を譲るものの、質では綾を凌駕するのが今回の徳蘇山である。宮崎市の南部にひろがる双石山や椿山、そして北郷の猪八重渓谷にかけてひろがるのが徳蘇山系であり、青島から堀切峠、ウド神宮にかけての風光明媚な海岸線の内陸側ということになる。

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上部中央の水色部分が木花の水田地帯。その海岸側に運動公園がある。右上のポツンと飛び出た島が青島である。地図の左側に緑の部分が南北に伸びているのが自然林の照葉樹林帯であり、この周囲が徳蘇山系ということになる。地図の茶色の部分が杉や桧などの人工林であり、かなりの部分が茶色に覆われている。この徳蘇山には、多種多様な樹種があるという。青島が亜熱帯性の植物であるビロウに覆われていることでもわかるとおり、ここには亜熱帯系の樹種が豊富なのだという。植生が亜熱帯的で豊富であるということは、多様な生き物がいることでもある。ここには多様な昆虫あるいは鳥、大型の生き物まで見ることができる。そんな大自然の森が空港からわずか10分というというところにあることが驚きなのだそうだ。なんでも、県庁所在地で大規模な自然林をもつ都市は、札幌と宮崎だけであるそうだ。札幌は北海道大学の演習林が開発から自然を守った。宮崎ではこの徳蘇山が金と人がいないことをさいわいに、開発の及ばない辺鄙な地ということで残された。

このことは青島と宮崎の将来にとって宝の山を持つことに等しい。現在、都市近郊における自然のニ-ズは高い。安心して豊かな自然にふれあえる場所は、東京の高尾山を筆頭に、都会人の癒しの場所として高いニ-ズがあるのである。河野さんのもとにも、東京や大阪など都市部からの宮崎での自然探訪のちょいとしたミニツア-の照会があるという。木花の運動公園を拠点に、南に海あり山あり川あり-しかも本物の自然が残る-、ちょいとした岩のぼりもできる。また神話や神楽などの文化的要素もここにはある。このコンパクトでアクセス容易な青島周囲の地域は、とても魅力的であり可能性のある地域なのであった。

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これが徳蘇山系の手付かずの照葉樹林。

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森の内部はこんなふうになっている。

本物の豊かで魅力的な自然が、金がないことをさいわいにこの地に残されている。これをたいせつにしたい。県庁だってそうだ。建て替え計画はあったが、金がないことで立ち消えになったのである。宮崎県のこれからの観光のヒントがここにはあるのではないだろうか。何もしないことでせっかく残された本物の自然を、なにもせずにそのまま残すのである。なにもしないといっても、必要最低限のことは必要であるが、ハッタリやコケオドシ的な要素は排除し、訪れる人の便宜を考えた一定の質と品のある環境整備をおこなうのである。ハコモノは極力抑えることはいうまでもない。

ついでに言うと、現在シ-ガイア近くの海岸に計画されている砂浜を守るための巨大なコンクリ-トの突堤は、はたして必要なのだろうか、もっと宮崎らしい解決策はないものだろうか。もともと、余計な?人口ビ-チとマリ-ナをつくったことで海流が変わり、砂浜が侵食されたことがその発端だという。マリ-ナはともかく、人口ビ-チは海水がよどんでいて泳げたものではない。あきらかに失敗策だとおもう。その失敗をさらに巨額な金額を費やす人工物で補おうとする。失敗作を取り除くための出費は批判されるが、巨額の補助金をともなう新たな人工物をつくることで、地元の土建業が潤うことで批判もやわらげられるのだろうが、そんな姑息な思想のおかげで、自然破壊と資源のムダ遣いが行なわれていいのだろうか。せめて、重機を廃して人間の手でできる範囲での改変にとどめることを考えたらどうだろう。それなら失敗しても傷も浅いし、手の痕跡がのこる構築物は歴史の観賞にもたえる。

さいごに、河野氏が講師として登場する、次の日曜日・6月1日に綾町で開催される照葉樹林に関するシンポジウムの案内を。梅雨の前のひとときを、初夏の陽射しを浴びて輝く照葉樹の探索と勉強に出かけてはいかがでしょう。子どもの部活等の日程が空けば、わたしも行く予定です。※なお、このペ-ジに使用した映像等は、全て河野氏の提供によるものですので、転載はご遠慮ください。

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このイベントのことは、下のHPにも詳しいので、リンクをつけておきます。クリックして現れるトップペ-ジの右下に降りたところに案内があります。もっと詳しい情報は、それをクリックしてくだされば得られます。

「照葉樹林文化シンポジウム2008in綾」を案内するHP・「環」のサイトへ

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2008年5月26日 (月)

都城市民会館を守った市民の800日

日経ア-キテクチュア誌の5/26号が送られてきました。4月に日経誌の宮沢氏による、雨の中、ほぼ半日を費やしての取材を受け、どんな内容になったのか、楽しみにしていたものです。

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これが表紙です。わたしが購読していた数年前までは、建築の専門誌らしく、その号を代表する建築物の写真をバ-ンと打ち出したものでしたが、しばらく見ないあいだに、ずいぶんと表紙がスマ-トになった印象を受けました。今回の特集は「建築と社会をつなぐ15人の提言」ということで、現代社会で活躍する多彩な人物のインタビュ-であり、その15人が表紙に並んでいます。建築界以外のところで活躍する人がほとんどですが、中央右の人物はおなじみの宮崎県知事・そのまんま改め東国原知事です。宮崎県の観光大使として200%の働きを見せる知事であり、さすがにいいことを書いています。宮崎県庁舎が年間40万人もの観光客で賑わうとはだれが想像したでしょう。インタビュ-記事内に、これからの観光はつくることではなく、考えることだという知事の提言があり、そのとおりだとおもいました。

4月に、わたしたちの取材に訪れた日経誌の宮沢氏は、前日に知事を訪問してインタビュ-してきたとのことでしたので、てっきり市民会館の取材だったのだろうとおもっていましたが、こんな伏線があったようです。もうひとり、タイトルをはさんで知事の左手にいる人物はタレントの菊川怜さんです。15人の中に紅一点、彼女が選ばれたのは東大建築科卒の才媛であるからでしょうが、このこともア-キテクチュア誌の変化を映し出しているのかもしれません。

さて、本題です。

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都城市民会館の保存のことが詳しく記されています。右側のペ-ジにはこれまでの存続をめぐる経緯が年表でまとめられていますが、薄い緑色で描かれた折れ線グラフ状のものは、存続への期待度と記されています。もちろん、そんな指標はありませんので、これは日経誌の独断によるオリジナルなものだと解すればいいのでしょうが、メディア人らしいおもしろい発想だと感心します。最初の鋭い落ち込みは2005年12月の都城市の検討チ-ムが「解体」を結論付けた報告書の発表時です。

その後、「守る会」が結成され署名集めをするなど、期待度が大きく膨らんできますが、だんだん尻すぼみになってきて、解体83%という数字が出たアンケ-ト結果でジリ貧となり、DOCOMOMOの新10選入りを期に、ちょっと盛り返しを見せますが2007年の9月、市議会の解体予算可決で奈落の底へ。ところが一転して南九州大学の登場で急上昇します。この期待度の折れ線は秀逸であり、わたしの実感とほぼ一致しています。さいごは、風船をたくさん飛ばした秋祭りの写真がハッピ-エンドを表現しています。

タイトルには「都城市民会館を守った市民の800日」となっていますが、その数字を勝手に解釈してみますと、たぶんエンドが2007年12月の市議会での存続案の可決でしょうから、そこから800日さかのぼると2年と2ヶ月余りということになり、2005年9月のMAPによる保存請願の提出あたりということになります。MAPとは、わたしもよく知らなかったのですが、ここではMIYAKONOJO ART PROJECTとなっています。都城駅前の商店街などで「ア-トストリ-ト」などの文化イベントをおこなっている市民団体です。

そうです、彼らが市民会館の保存にはじめに立ちあがった人たちです。解体を示した最終報告が出る前から、保存をうったえるチラシを配布したり請願を出すなどの活動をおこない、2006年の12月には市民会館の設計者である菊竹事務所のOB・遠藤氏を招致して講演会を開催し、それが「都城市民会館を守る会」の結成につながりました。「守る会」は、チラシ配布、缶バッジ制作、署名集め、シンポジウムの開催など活発な運動を展開していきます。「守る会」を立ち上げ、組織した人たちの功績は高く評価されなければなりません。

2006年の3月ごろになって、遅れて運動に参加したわたしにはとっては800日ではなく600日程度ということになりますが、2005年の10月ごろ、MAPの人たちと会館のことで意見交換したことがありますので、そのころからカウントするとほぼ800日ということになりますし、危機感はその前から感じていましたので、わたしに限らず、あるいはもっと長い日数となるのかもしれませんが、保存運動としての実質は800日がキリもよくて妥当な表現だとおもいます。

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もうひとつ、同誌巻頭のグラビアペ-ジで、「1966年にタイムスリップ」というタイトルでこの写真が見開きで登場しています。これは、都城市民会館の完成発表時に建築誌などで使われた小山孝さんという写真家の撮影したもので、市民会館フリ-クのあいだでは著名なものです。背景に鰐塚山系の山肌がおおきく迫っているのは望遠レンズによる写真のマジックともいうべきものですが、盆地にある地方都市に突如出現したメカゴジラ的な会館の相貌と印象がよくとらえられた出色の作品です。山並みを除く周囲の景観はすっかり変わってしまいました。会館の右手には古い市役所が見えていますし、前方には高架になる前の西都城駅に貨物列車が長い列をなしています。周囲は瓦葺の建物ばかりであり、現在とはまるっきり変わってしまった40年前の都城があります。この中で、唯一変わらないものが都城市民会館です。どこにでもある、画一的で薄汚れた地方都市の景観のなかに、ここが都城であることを唯一示してくれているこの会館が、今後も継続されることになった喜びが、この写真を見るたびに喚起されます。そして、左手に映っているのが今はなき「須田記念館」です。この建物が残っていたら、都城市はもっと文化的で奥行きのある景観を手にしていたのですが、かえすがえすも残念なことです。

ある人から聞いたところでは、当時の市議会はこの須田記念館の解体を審議するにあたって、特別な建物につき、3分の2以上の賛成を要する特別議決にしたとのことです。真偽のほどはわかりませんが、そうであるのなら、当時の議員の見識を示しているのかもしれません。古くていいものは大切にする、あたりまえのことですが、なかなかそうはならない現実があります。「数値化することでしか価値を実感できなくなっている、数値化できない深みにこそ喜びがある」とは、本誌の特集に登場する15人のひとり、内田樹(思想家・神戸女学院大学教授)さんの提言です。

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2008年5月23日 (金)

竹の会の建築

宮崎在住の建築家を中心とする勉強会「竹の会」があり、建築家、施工者、造園家、写真家、建築関連業のひとたち総勢20人ほどのゆるやかな組織です。

月に1回例会を開催し、県内外の著名な建築家や多彩な講師を招いてのレクチャ-や、会員相互の作品の発表や見学会などをとおして、各自の建築の意識を高めています。先にこのブログで紹介した高原に「無門庵」というアトリエを構える建築家の岩切平氏が代表をつとめています。

INAXという日本を代表する建材や衛生設備機器のメ-カ-がありますが、その会社の主宰するウエブサイトが「10+1」です。INAXという会社は、建築界を文化的に支援する姿勢の強い企業で、出版やウエブサイトをとおして建築に関するさまざまな情報や広報活動をおこなったり、講演会や展覧会の開催など、多彩な文化事業を展開しています。年に4回発刊される「INAXレポ-ト」も秀逸であり、かつては日本の近代建築家やデザイナ―を特集していましたが、ここ数回はひとつの著作にスポットをあてる形式で建築家や評論家の特集をしていて、無料の情報誌としてたいへん重宝しています。

Toptitle_2  これを押すと別窓でサイトが開きます。

こちらからは、INAXレポ-トのバックナンバ-が見れます

さて、その建築サイト「10+1」も、建築に関する良質な情報を満載したすばらしい内容ですが、その巨大なボリュ―ムのなかに、建築史家の五十嵐太郎さんが管理運営する写真ア-カイブスがあります。もともとは氏がこれまで撮影した内外の建築写真の膨大なストックを整理して公開するためのものであり、月に1回、約100枚程度の写真を順次収録していました。やがて、氏の写真だけでなく、ひろく普遍的な建築に関する画像のデ-タベ-ス化をめざすこととなり、各都市、地域、建築家、あるいは用途・機能などのテ-マに沿って、はばひろい建築写真が多彩な撮影者から提供され収録されています。

現在91タイトルが収録されていますが、その最新号である91号は「宮崎・竹の会の建築」というテ-マでわたしが構成したものです。冒頭に書いた竹の会の建築家8人の12作品と、同会が運営する建築図書館の写真を収録しました。

昨年の7月、都城市民会館に関するシンポジウムで五十嵐さんと面識を得ましたが、その後、氏は立て続けに全国紙や週刊誌に都城市民会館やすぐれた近代建築の保存を訴える記事を発表し、都城市民会館の保存にも大きな影響力を行使してくれたことは周知の通りです。その縁で、メ-ルのやりとりをしているうちに、この「10+1」写真ア-カイブスへの掲載を求められたのでした。

当初、「宮崎県の建築」というテ-マをいただいたので、都城市民会館(1966/菊竹清訓)や日南文化センタ-(1962/丹下健三)、青島青少年自然の家(1974/坂倉準三)などのメジャ-な見栄えのする近代建築を収録しようと準備していました。それを五十嵐さんも期待していたのだろうと考えていましたが、そのうち、気が変わってきて「竹の会」に焦点をあててみたいと考えるようになりました。いわゆる大御所どころの著名建築家の作品だけをボ-ンと投げかえしてみたところで、それが宮崎県の建築といえるのか、むしろ東京の建築ではないのか、それより、宮崎の地域性から建築を考え、実践している竹の会の人たちの建築こそが「宮崎県の建築」によりふさわしいのではないかと考えたのです。急遽、締めきりまぎわのことし2月になって路線変更し、竹の会へ協力を要請することにしました。

さいわい、竹の会と「10+1」サイト側の協力をえて、このたび、ぶじにア-カイブスへの収録がすみ、公開されるはこびとあいなりました。ぜひ、8人の宮崎の建築家の力作を見ていただきたいとおもいます。このなかの3つは都城にある建物です。上に載せたリンクからは「10+1」のトップペ-ジに行きますが、下のリンクからは直接、写真ア-カイブスのペ-ジへ行くことができます。

「宮崎・竹の会の建築」写真ア-カイブス

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2008年5月19日 (月)

dokidokiIコンサ-ト終了

先日紹介した、dokidokiコンサ-トに行って来ました。当日は午前中は快晴でしたが、コンサ-トのはじまる午後には曇りがちな空模様で、この時期の野外コンサ-トには、もってこいの天気でした。

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午後2時、予定通りのオ-プニング。ア―プニングアクトはアイアンピ-スヒックバンド。都城在住の2人組のア-ティトです。わたしとは「都城市民会館秋祭り」でも縁がありました。

今回、演奏のさいごに、その不可思議なネ-メングの由来が披露されました。

このバンドのヴォ-カル氏の名が鉄平さんなのだそうです。つまり、アイアン=鉄、ピ-ス=平和からアイアンピ-スとのこと、しかし、さいごのヒックはナンジャロ?という疑問が残ります。謎があった方が人生は楽しいのでそのままにしておきますが、もし知っている人は教えてください。

アイアンピ-スヒックバンドのあと、午後2時ちょっと前からメインアクトのdokidokiの登場です。兄弟デュオというと「狩人」しか思い浮かばない世代ですが、ぱっと見20代の男性二人組でした。喜界島という南の島からのゲストですので、琉球音階を駆使したヘロヘロフニャフニャサウンドかとおもいきや、以外にジャパニ-ズポップスのスタンダ-ドな曲づくりが多かったようです。しかし、期待どうりにサンシン(琉球の三味線または蛇三線)を使った曲も披露してくれました。

200805171727 こちらはアイアン・・バンド。

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この2人がdokidoki。左が兄、右が弟。

これを主宰したウエスト・サイド・ブ-ルヴァ-ドでは、今年度あと3回のコンサ-トを企画しているそうです。いいじゃないですか。どんどんやってという心境です。この委員会の主旨は、野外です。野外なら街に音を響かせられるからです。こうして、都城がときにポップ又はクラシックな音の響く街になったら素敵なことです。昼間ですので快適なサウンドが騒音に変化することはありますまい。実行委員のみなさま、Yさん、M君、ご苦労さまでした。次回はジャズ、8月30日だとか。よろしくお願いします。

上のポスタ-左側の四角いリングを4つ重ねたカタチが委員会のシンボルマ-クのようです。シンプルな造形の中に、西という漢字が見出せます。オシャレですね。こうなったら次回にもっとドキドキするしかありません。

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2008年5月17日 (土)

docomomo総会終了

先日、都城市民会館のジャンヌ・ダルクと言ってもいいSさんが来訪し、今年度のDOCOMOMO Japan総会の資料を届けてくれました。DOCOMOMOとは、世界で唯一のすぐれた近代建築に関する保存と記録を行なう専門機関であり、世界中にその活動をひろげていますが、その日本支部がDOCOMOMO Japanであり、建築史家の鈴木博之氏がJapanの代表をつとめ、幹事長には兼松さんが就いています。建築家の夏目さんもその重要なメンバ-のひとりです。この3者は都城市民会館を直接訪れ、その建築的価値を強く訴え、保存活動の重要な一助を担ったことはこのブログでさんざん紹介してきたとおりです。

去る5月10日に、DOCOMOMO Japanの総会が京都で開催されました。その総会に出席したSさんが、その資料を持ってきてくれたわけです。Sさんは、このためだけに京都まで行って来ました。すごい行動力です。昨年の総会にも行っていますので、2年連続での参加です。その行動力が会館の保存に重要な影響をあたえたわけであり、あらためてすごい人だと感じ入ります。

昨年、DOCOMOMO Japanの総会が神奈川県で開催されました。その席で2006年度のDOCOMOMO10選が決定され、そのなかに都城市民会館が含まれていたわけですが、このことは、会館の保存にとって、たいへん重要な意義がありました。これまで、DOCOMOMO Japanは、115の建築物を選定していて、それらは、日本の近代建築運動にとって、たいへん重要な作品であり、その価値を公式に認定しているということを意味します。このことは、日本に数百万ある近代建築のなかから、ごく一握りの建築物を認定することであり、たいへん価値があることだとおもってください。

市民会館は南九州大学の申入れにより保存というカタチをとることになりましたが、その背景にこのDOCOMOMO選定が重要な役割を果たしたことをわたしは疑いません。ゴマンとある建築物から、わずかに100余の重要な建築物に選定されたのです。南九州では初の快挙でした。

さて、今年度の総会でも10の建築物があらたにDOCOMOMO選定ということでリストアップされたようです。昨年とおなじく、どれも建築史に欠かせない重要な作品ばかりです。まだ内定の段階であり、正式には日本建築学会との合議を経て、共同で発表されますので公開できませんが、今年度の10作品のなかに、隣県である鹿児島から初の建築物が認定されたことだけ披露しておきます。昨年は10作品目がなかなか決まらず、総会にて会員の投票で決したとのことですが、今年はそういうことはなかったそうです。わたしもDOCOMOMO会員の一員であり、選定建物を推薦する権利を有しています。来年は「日南文化センタ-」(竣工1962/丹下健三)又は、山之口の「安楽寺・久遠堂」(設計1969/光吉健次)のどちらかを推薦しようかなとも考えています。どちらもすばらしい建築物です。

ただ、これらDOCOMOMOの努力にもかかわらず、認定されたもの、されていないものでも、建築史を彩るすぐれた建造物が、日本の各地で解体の危機にさらされています。古くて価値のあるものはたいせつにする、そんなあたりまえのことがなかなか実現できない、日本の文化と建築にとって、きびしい状況は続いています。建築界の無力を感じざる得ません。

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2008年5月16日 (金)

日経ア-キテクチュア 5/26号

先月(4月)、都城市民会館の件で、建築誌の「日経ア-キテクチュア」の取材を受けましたが、その記事がまとまり、5月26日号の同誌に掲載されるとの連絡が入りました。

日経ア-キテクチュア誌は隔週発刊される雑誌ですので、このような表示がされるわけです。建築誌といえば「新建築」がもっともメジャ-だとおもいがちですが、発行部数ではこちらの方が上をいっているとおもいます。「新建築」はその名のとおり、新しい建築作品を紹介する作品写真集的な雑誌であり、おもに設計事務所が買っています。「日経・・」は新しい建築作品の紹介もありますが、施工、企画、設計、行政、マ-ケティングなど建築界の多岐にわたる情報を網羅し、隔週という利点を活かしてタイムリ-に、あるいは特集を組んでと多彩な紙面展開という雑誌であり、設計者のほか工務店、不動産業など対象が幅広く設定されています。

「新建築」に対抗する雑誌として「建築文化」があり、特集が充実していて、「新建築」にありがちだった義理での作品掲載がなく、広告ペ-ジが少ないのでわたしは愛読していましたが、残念ながら数年前に休刊となりました。「建築知識」は設計事務所にタ-ゲットを絞った雑誌で、設計実務に必要な情報を、毎号特集を組んで紹介し、現在でも健在です。「ニュ-ハウス」的な家を建てたいという読者を対象にした雑誌を除くと、書店に平積みになっている唯一の建築専門誌です。設計事務所、インテリア屋さん、家具屋さんに愛されてたのが「室内」です。作家で名コラムニストであった山本夏彦氏が主宰していた雑誌で、家具を中心に建築まで抱合した幅広くも良質な内容であり、山本氏のコラムと多彩な執筆陣の文章が魅力でもありましたが、山本氏の逝去のあと、こちらも廃刊となりました。「建築ジャ-ナル」という雑誌も健闘しているようです。対象がややつかみにくい雑誌ですが、新建築作品の紹介や建築界の話題を取り上げ、やや行政的な内容に強い気もしますが、巻末の作品集は設計事務所にペ-ジ売っているのか貸しをつくっているのかよくわからない、あまり作品の質にこだわらない姿勢に建築者としてはあまり好感がもてないところもある雑誌ですが、建築と出版のダブル不況の中で、まだ健在なのはそれだけの内容があるからでしょうし、都城市民会館の解体騒動のニュ-スを、もっとも数多く取り上げてくれたのもこの雑誌でした。ここまできたら「カ-サ・ブル-タス」も書いておかないわけにはいかなくなりました。この雑誌は一般の読者を対象にしていて、建築にちょっと関心のある知的かつオシャレな人たちに建築の魅力をもっと伝えようという意図があるようです。その内容のよさで部数を順調に伸ばしていて、もしかしたら、部数ではこの雑誌がすべての建築誌の最上位にあるのかもしれませんが、いかんせん、建築のプロとしてはちょっと物足りない内容ではありますが、それをおぎなってのリ-ズナブルな姿勢に星をあげたいです。

さて、そんな建築雑誌たちのお世話になりながら、わたしは建築の世界にいるわけですが、「日経・・」誌はここ10年ほど購読していませんでした。この雑誌は定期購読制なので、一般の書店では買えません。10年ほど前までの数年間は購読していましたが、やや広く浅く的な多彩な内容についていけないというか、建築をビジネスのひとつのカテゴリ-として扱っているような姿勢に魅力を失い、購読をやめたままになっています。建築界の多彩な情報や知識を得られることに重宝した時期もありましたし、そのことは重要ですが、おなじ労力を使って本を読むのなら、実務的なことより、古今のすぐれた小説や文献から、その強靭かつ自由な精神に触れた方がいいような気がしたからです。

取材に訪れた担当者のMさんからのメ-ルに、「残念ながら現在は「日経・・」誌は購読してないので、できたら送って欲しい」と返信したところ、そのつもりでしたとのことで、ホッとしたところです。そのときの取材を受けた仲間の人数分だけ送ってくれるとのことです。

5/26ということは、もしかしたら、今週中にも送付されてくるかもしれません。楽しみです。都城市民会館と保存をもとめて行なったわたしたちの活動が、どう評価されどんな記事にまとめられたのか、建築界と社会にとって、このことがどんな位置付けがされているのか。送付されたらまたこのブログで紹介しますので、こうご期待。

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2008年5月15日 (木)

もうひとつの耐震偽装

滋賀県に豊郷町という、芳醇な精神と土壌を感じさせる名前のまちがあります。

そこに、日本の建築史に名を残す、建築家・ヴォ-リズの設計で1937年(昭和12年)に建設された瀟洒な小学校があり、ここ10年ほど、それを壊す壊さないで、住民と行政とで混乱したようすを見せていました。

先日、その素敵な校舎の保存に向けて立ちあがった住民グル-プ「滋賀:豊郷小学校の歴史と未来を考える会」事務局のTさんからメ-ルがありました。それによると、解体派の論拠とされた「耐震性に問題があり、取り壊すしかない」という町の実施した耐震診断をくつがえす新たな診断結果が出たというものでした。その内容は、

本校舎・・・軽微な補強が必要
講 堂・・・建物部分の補強は不要、床下部分の若干の補強が必要
図書館・・・耐震補強は必要なし

というものです。

アネハ氏のおこなった耐震構造偽装は、実際の強度をごまかして、はるかに弱い強度しかない建物を設計したものです。この事件により、昨年6月の建築基準法改正が実施され、建築界はその影響で混乱と業務遅延の渦中にあり、たったひとりの建築士のおかげで、とんでもない事態になっていて、イタズラ的な稚拙な偽装を、高い手数料と長い期間をとりながら、ろくに見抜けなかった特定行政庁の係員達は、猛省するかとおもいきや、そんなそぶりはまったくなく、ただ自分達の責任を追求されないためだけとしかおもえない、建築基準法に書いてある文言と一言一句齟齬をきたさない表現を申請図書に要求するばかりで煩雑なこときわまります。

もちろんアネハ氏のやったことは、設計者としておぞましいかぎりであり、モラルを金に売った断罪されるしかない行為でありますが、それに対する今回の対応は、構造判定機関をあらたに設置し、そこで特定の高度及び大規模な建築物は数十万円という料金と数ヶ月という期間をあらたに要求するというものでした。それなりに合理的な解決策にもみえますが、拙速にことをすすめたことで、建築界はこんにちの混乱と不況に見まわれています。また、市民のための第三者機関を新設することを名目に、あらたに自分たちの天下り先を確保するという、官僚の常とう手法がみえみえでもあります。なにか問題が起こると、その対策として法律が改正されますが、多くは新たな天下り先が必ずセットになっていて、焼け太りを繰り返してきた体質を今回も疑わざる得ません。

それはともかく、今回あきらかにされた豊郷小学校の耐震偽装は、アネハの事件とは逆の内容です。実際はとても丈夫な建物なのに、危険であり、解体するしかないという逆の診断を下したわけです。そして、そのウラには、解体を推進していた行政側の意向があったことが推測されます。さらにそのウラには土建業者と長年持ちつ持たれつの関係でよろしくやってきた日本の政治風土があり、それを支持してきた住民がいるわけです。もっというと、このことは建築にかぎらず、すべての業種と行政・政治との関係でいえることですが、土建業が金額とモノが大きく目につきやすい事情があるようです。

Tさんのメ-ルによると、さる4月15日に開催された「まちづくりプロジェクト委員会」の席上でこのあらたな耐震診断の結果が報告されたようです。これが事実とするなら、その捏造された耐震診断をくだした㈱森野設計事務所(平成7年度に実施)の行為は、アネハに匹敵する悪行でしょう。耐震診断でおそらく数百万という報酬を得ていながら、さらに行政側に取り入ることであらたな設計受注を得ようというものだからです。

はなしは飛びますが、現在、構造設計家は多忙を極めています。先に述べた法律改正による確認申請の構造判定の厳格化で対応に追われていることに加えて、ここ数年学校はじめ築数十年を経過した公共施設の耐震診断が多数発注されているからです。この耐震診断は莫大な経費がかかります。新規の構造物を設計することに比べて、おそらく面積比で言うなら数倍の費用が発生します。たとえば、1000㎡の建物を新築するとして、その構造設計と計算を構造事務所に依頼すると、㎡あたり1000円ほどの経費を請求されるとして、約100万円ということになりますが、既存建築物の耐震診断となると、数百万円ということになります。わたしも以前ふしぎにおもって、構造屋さんに聞いたことがあるのですが、新規につくるものは自由に設定できるが、既存のものの診断は、既存の構造体をベ-スにシュミレ-ションを繰り返す必要があり、おそろしく手間がかかるという答えでした。

ちなみに、世間では設計屋さん、あるいは設計士、設計事務所とひとくくりにされますが、大きく分けて構造、設備、意匠に大別されます。わたしは意匠の分類に入ります。構造屋さんは構造設計と計算を専門とし(意匠と兼業するひともいる)、
アネハ氏はそのカテゴリ-の人物です。設備は設備設計を専門とし、電気、空調、給排水などに細分化されますが、その人数はひじょうにすくなく、多くは通常の電気、給排水設備業者が代行していますが、その場合は建築士である設備設計者とはいえませんので、建築士の資格をもつ設備設計者は、かなり特殊で稀少です。構造物の安全をつかさどる構造屋さんも、建築物全般を担当する意匠屋さんよりは少なく、人数比で1:10から1:5というところでしょうか。一定の要件を超える建築物は構造計算が要求されますので、一般的には、そこからが構造屋さんの仕事になりますので、そういう比率であるわけです。また、建築物の設計には、機能、コスト、工期、美的要素など多種多様な条件がからんできますので、そのすべてに対応する意匠屋さんはひとつの物件に数年を要することもあり、かたや構造屋さんは構造設計だけを担当しますので、その対応力も違い、こういう数字になっているわけです。

さて、はなしをもとにもどします。豊郷小学校の耐震偽装事件です。このことにより、貴重な文化財ともいえる校舎を解体するという愚行に設計者は手を貸しました。アネハ氏はなけなしの金をはたいて手に入れた夢のマイホ-ムを悪夢にひっくりかえしました。どちらもとりかえしのつかない罪深い行為であることにはかわりありません。しかし、豊郷の場合は、まだ解体が「考える会」の尽力により、最小限にとどめられただけ、ましだったのでしょうが、そのやろうとした行為のひどさは変わりないものです。貴重な文化財の消失は、金額に換算できない広範囲な影響を将来にわたってもたらします。

わたしは、豊郷のTさんのことを、都城市民会館の保存活動の途上で知りました。豊郷のことはニュ-スなどでも取り上げられていましたので、知っていましたし、建築家として関心もあり、市民会館の参考になるかもというおもいもあって、ネットで調べてたどりついた人物です。勇気ある闘士のひとりであるその人は、都城出身の女性だったのです。こうして、現在まで、たまに近況を報告しあうという関係が続いてきました。前大野町長の強硬な手法に負けずに、ついに小学校を守り抜き、今回の耐震偽装を見抜くところまで活動を進展させてきた「考える会」の人たちにはおおいに感化されましたし、その活動も参考になりました。また、市民会館に対してもいろいろなアドバイスをいただいたものです。その誠実な精神と活動には敬意を表するのみです。やはり、いい建築があることで、それだけの活動を人にさせるわけであり、いいものをたいせつにするという、まっとうでたいせつな姿勢をもった人物を育てます。いい建築はたいせつに残すべきなのです。

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